株式会社博報堂:
“粒違い”のクリエイティブ人材を生み出し続ける「企業内大学」
人材開発戦略室 グループマネージャー
渡邉啓さん
暗闇の中で料理を味わう「クラヤミ食堂」という人気イベントをご存知ですか? 評判が評判を呼び、チケットの入手も困難とか。これは広告会社の博報堂が4年前に立ち上げた企業内大学――「博報堂大学」(組織上の名称は「人材開発戦略室」)の研究活動から生まれた企画です。激変するビジネス環境を勝ち抜くために、多種多彩なクリエイティブ人材を育成する博報堂大学の戦略とは。人材開発戦略室グループマネージャーの渡邉啓さんにお話をうかがいました。
(聞き手=ライター・平林謙治)
- 渡邉啓さん
- 株式会社博報堂 人材開発戦略室 グループマネージャー
わたなべ・けい●1985年博報堂入社。PR局(のちにCC局に改称)配属後、企業・商品広報のコンサルティング、コミュニケーション戦略の策定を担当。2004年よりブランドサイクルマネジメント局、MD戦略推進局にて地域ブランド開発等のチームリーダーを務める。2007年4月より現職。
「育てる」機能に特化するために人事局から独立
「博報堂大学」は2005年に開校されました。企業内大学を立ち上げるという大きなチャレンジに踏み切られた背景にはどのような議論や経緯があったのか、お聞かせください。
博報堂は「人が資産」。“人”については、大学が設立されるずっと前から同じことをいい続けてきました。それは、「粒違い」ということです。
「粒ぞろい」……ではないのですね。
「粒ぞろいより粒違い」ですね。全社員に同じ能力や価値観を求めるのではなく、それぞれの個性を組織としてどれだけ強みに転化していけるか――粒違いの人材を求め、育てるのが弊社の伝統であり、もともとのカルチャーです。
この伝統的なカルチャーの上に、03年に就任した現社長が「クリエイティブな博報堂を目指す」という大きな旗を掲げました。広告会社で「クリエイティブ」というと、たとえばコピーライターや、デザイナーなどの制作職のための形容詞と思われがちです。しかし、博報堂では、私のようなマネジメント系の人間を含めた全社員があらためてクリエイティブとは何かを自らに深く問い直し、追求していこうとしているのです。博報堂唯一の資産である「粒違い」の人材一人ひとりを、もっとクリエイティブにしていくためにはどうすればいいのか――クリエイティブな人材を育成するための装置として構想されたのが、この「博報堂大学」なんです。
教育研修のための施策や組織づくりには以前から力を入れてこられたと思いますが、あえていま、人を育てる方法論として「企業内大学」という選択肢を採られた理由は何ですか?
たしかに以前は「教育研修所」という名称の教育機関があったり、教育研修部、人事教育部といった組織があったりしましたが、それらはあくまでも人事局の組織・制度体系に属していました。普通はそれがあたりまえですが、博報堂大学は組織上、人事局から独立しているのがミソなんです。弊社の場合、人材マネジメント全体の体系の中で、いわゆる人事管理部門と人材開発部門との役割は明確に分かれています。もちろん、人事局とは緊密に連携をとりながらですが、本気で人材開発を進めるなら、管理や評価とは別に、人を育てる役割や機能に特化した組織を設けるべきではないか。そうした戦略的な見地から制度改革を進め、「企業内大学」を社長直轄組織として設立するに至ったわけです。
なるほど。「大学」と名乗るだけあって、まさに「教える・育てる」ための専門機関という位置づけなんですね。具体的なプログラムの編成は?
入社年次や人事制度上の階層に対応する形で、制度設計は大きく二つのステージに分かれます。第1は、入社8年目までの若手・中堅社員を対象に「全員を一定水準のプロに育てる」ステージ。多様な経験と教育の機会を与え、プロとしての土台を広く、分厚くするために、「構想BASICS」と名づけられたプログラムが用意されています。博報堂の社員として迎えたからには、誰でも8年目ぐらいまでには、博報堂のプロフェッショナルとして一人前と胸を張れるレベルに引き上げよう、というコンセプトです。
入社8年目を目安として、それ以降が第2のステージということですか。
はい。「プロをさらに伸ばす」段階です。この第2ステージには「構想サロン」と、より上位の「構想ラボ」というプログラムが組まれています。今日、広告ビジネスをとりまく環境は激変し、従来とは違う、さらに高度なクリエイティビティが要求されるようになりました。クライアントが抱える課題は多様化・複雑化し、企業と生活者をつなぐメディア環境も変わり続けています。こうした変化に対して、会社がいちいち旗を振って差配していたのではとても間に合いません。むしろ一定水準以上のプロに新しい領域へ挑戦する機会をどんどん与えることで、より高度なプロフェッショナルへと進化させ、現場レベルから博報堂や広告業界の既存の枠を打ち破る原動力を輩出していきたい。プロをさらに伸ばす第2の人材育成ステージの目的はそこにあります。
入社8年目までに“HAKUHODO Way”を教え込む
「構想BASICS」「構想サロン」「構想ラボ」の序列は、本物の大学でいうと、教養課程があり、専門課程やゼミがあって、その上に大学院があるといった感じですか?
そうですね。イメージとしては近いと思います。
すべてのプログラムに、「構想」という言葉が共通していますが。
博報堂大学設立にあたり、私たちは、先程申し上げた「クリエイティブな博報堂」の源泉を「構想力」と位置づけ、これを大学運営の理念に掲げました。「構想力」とは、発想力や創造力、実現力などをすべて包含した力で、「発見・共創・設計」の3つの要素から成り立っています【表1】。この3つを育み、社員の構想力を高めることがすなわち博報堂の人材開発施策の根幹であり、構想BASICSから構想サロン、構想ラボへと至るプログラム編成の背骨となるコンセプトなのです。
最初の「構想BASICS」では、若手全員を一人前に育てるということですが。
BASICSは、構想力を鍛える上で必要な“基礎体力”を身につける場です。たとえば、若手社員全員が職種に関係なく参加する「コピーライティング教室」というプログラムがありますが、これは単にコピーの書き方を学ぶのではなく、物事の本質をどう見抜くかを鍛えます。営業であれ、経理であれ、それが、広告に携わるもののコア・スキルだからです。100枚の資料よりも、たった一言で世の中を動かす―それがコピーライティングであり、できるかできないかは才能の差や向き不向きによりますが、本質を捉えるプロセスそのものは全員が共有していなければいけないと、私たちは考えています。
講師は、社内やOBの優秀なコピーライターが務めます。社内の各ジャンルの専門家を講師にして、博報堂の社員全員が共有すべき価値観・知識・スキル=“HAKUHODO Way”を徹底的に教育するのが、BASICSのプログラム群の大きな特徴。博報堂の企業DNAが、ここで継承されていくわけです。
プロをさらに伸ばす「外部知」とのコラボレーション
プロをさらに伸ばすステージである「構想サロン」や「構想ラボ」でも、講師は社内から選ばれるのですか?
そこはプログラムの性格上、BASICSとは大きく異なります。まず構想サロンですが、これは、社会のさまざまな領域で活躍されている「外部知」の方々に学び、触発されることで、日常の業務を離れた、より大きな構想への気づきや出会いを得る知的交流の場です。活動の形式は、おもに講演会とゼミの2種類。講演会では、あえて広告・マーケティング業界以外から多様なキーパーソンをお招きするようにしています。そして刺激を受けるだけでなく、そうした外部知の方々にコーディネーターとして参加していただくのが研究ゼミです。「人口減少」や「脱石油社会」といった世の中の大きな変化・潮流をテーマに取り上げ、問題を深く考え抜くことによって、最終的には社会を動かしていくような「構想の提案」にまでつなげていくことを視野に入れています。
この構想サロンが構想に「気づく」場だとすれば、次の構想ラボはその気づきを具現化し、構想に「挑む」場だといえるでしょう。たとえば以前、編集工学研究所を主宰される松岡正剛先生をお招きして、『「こども」と「日本」を「編集」する』というゼミをコーディネートしていただきましたが、このゼミから最初のラボが生まれ、07年秋から対外的な活動がスタートしました。現在も続いている「こどもごころ製作所」というプロジェクトです。
具体的にどのような活動を行なうプロジェクトですか?
「いまの子供の歪みは大人の歪みの投影であり、大人の心から子供がいなくなってしまったことに原因があるのではないか」という問題意識から出発し、大人のなかにもう一度「こどもごころ」を立ち上げるためのさまざまなイベントを企画・運営しています。とりわけ大きな成果が上がっているのが、真っ暗闇のなかで食事を味わうワークショップ「クラヤミ食堂」。日常では味わえない、新鮮な感覚が呼び覚まされる、と評判なんです。最近はウェブサイトでチケットを販売すると、すぐに売り切れてしまうほどの盛況ぶりで、各方面からも注目されるようになってきました。少しずつですが、博報堂大学発のムーブメントが形になり始めている手応えを感じています。
評価の視点ではなく、「育てる」視点から社員を見る
忙しい業務と平行して、サロンやラボの活動を継続するのは大変でしょうね。各プロジェクトのメンバーはどのようにして決まるのですか?
自主参加が基本です。参加したいと思う人は、イントラネットを通じて自分から手を挙げる。強制参加の“義務教育”だったら、きっと研修活動として成立しませんよ。忙しい仕事の合間をぬって参加するのに、残業代はつかないし、評価の対象にもならない(笑)。参加者自身の成長だけが目的であり、報酬なんですから。
とはいえ、すぐに業務の役に立つ、目先の利益につながるという性格の活動ではないだけに、社員の方のモチベーションを引き出すのは難しいのでは?
現在の参加実績は、大学全体でいうと1年間に延べ7,700人(2007年度)。一人あたり年に2回以上は、何らかのプログラムに参加している計算になります。これが業績にどう影響しているかはまだ測りかねますが、「役に立たない」ということは絶対にありません。実際、プロジェクトに参加したメンバーからは、現場での“ものの見方や感じ方”が大きく変わったという反応もありますし、ラボとしての活動には発展しなかったけれど、ゼミで煮詰めていたアイデアが仕事で活用できた、なんてことも少なくないんですよ。
より多くの社員に学んでもらうためにはどういう仕掛けをしていけばいいのか。プログラムを開発する上で、心がけていらっしゃることはありますか?
一番大切なのは、やはり現場の人間とのフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションなんですよ。いろいろな機会をつかまえてリサーチをかけながら、いま会社のなかで何が本当に求められているのか、現場の空気を読むように心がけています。もちろん現場が抱えている課題は最終的に現場が解決するものですし、私たちがその答えをもっているわけではありませんが、それに呼応するようなかたちで、世の中の変化・潮流と社員の問題意識とがスパークする視点や切り口を意識して、学びのテーマを探しています。
そもそも弊社は、「右向け右」というと全員がバラバラの方向を向きそうな“粒違い”の会社ですから、号令一下「これをやれ」では動きません。そこは、彼ら自身の問題意識をうまく引き出さないと難しい。でも逆に、何か新しいものがつかめるかもしれないとピンときたときの、社員の集中力やパワーはすごいと思いますよ。これは、博報堂大学での人材マネジメントを通じて、あらためて見直した点ですね。
では最後に、今後の展望をおうかがいします。博報堂大学をどのような方向に展開していきたいとお考えですか。
大学というのはあくまで「学び、育てる」場であり、枠組であり、システムですから、それをドラスティックに変えるつもりはありません。枠組を変えて新しいものが生まれるのならいくらでも変えますが、新しいものが生まれるか否かは、ひとえに参加してくれる社員にかかっているんです。ですから、私たちはもっと参加しやすく、学びやすい、フレキシビリティのある枠組を整えなければならないと思っています。何か新しいことをするために枠組を変えるのではなく、その中から自然に生まれてくるものを大事にしていきたい。こうしたスタンスは最初に申し上げたとおり、博報堂大学が人事管理体系から独立しているからこそとれるものです。私たちは社員のキャリアを、管理や評価の視点ではなく、純粋に「育てる」という視点から見守っています。一人ひとりがいま、「学び、育てる」環境のなかにきちんと入っているかどうか、それが最大の関心事なのです。
どこまでも、「人が資産」ということですね。
いうまでもなく広告業界はいま大変な時期ですが、だからこそこうした試みを通して、新しい可能性を探ろうとするモチベーションは持ち続けなければいけません。遠回りかもしれないし、試行錯誤が多くて効率が悪いかもしれませんが、「粒違いの人材を育てる」という弊社の原点に立ち返ることで、何らかの兆しや、それに向かっていくための裂け目のようなものが見出せればと思っています。
(取材は2009年3月12日、東京・港区の博報堂・本社にて)