田中潤の「酒場学習論」【第22回】
仙台「くろ田」と、暗黙知・形式知
株式会社Jストリーム 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
街歩きは私の趣味の一つですが、街を歩いていると魅力的な酒場に出逢えることがしばしばあります。嗅覚は普通の人よりもかなり効く方かもしれません。黙って通過することができない、何ともいえない空気感に呼び込まれるのです。その場合、だいたいはずれはありません。この酒場との出会いもまさにそうでした。
初夏の夕暮れ前、目当ての酒場のオープンまで少し時間があるので、仙台の街中をふらふらと歩いていると、角地に立つ風情のある建物が目に入りました。まだ明るい時間ですが、すでにオープンしているようです。赤ちょうちんに紫色ののれん。そして、仙台でありながら「ホッピー」を前面に出した看板。おそらく間違いないと期待できる焼き鳥屋です。遠目に中をのぞくと開店したばかりのようで、カウンターだけの店内にはまだ客はおらず、カウンター内には女将が一人。のれんをくぐるのを少し躊躇しなくもありませんが、ここは気持ちを強く持ってお邪魔することにします。
席についてホッピーを注文。すると、焼き鳥とハラミのどちらかと聞かれます。なんだろう、この二択。しかも、焼き鳥屋でハラミ。条件反射的にハラミと言葉を返す自分がいます。すると、すぐにホッピーと煮込みが登場します。煮込みはお通しでしょうか。豆腐が入り、辛みのあるタイプです。旨い。
店のシステムが理解できずに少々圧倒されながら店内を見渡すと壁に貼り紙がありました。「セットになってます。やきとり五本、煮込み、飲物一ツ、一人前」。なるほど、何か飲み物を頼むと、焼き鳥5本と煮込みがセットで自動的に提供されるようです。表示にはありませんが、最初に焼き鳥かハラミかと聞かれたわけですから、おそらくセットのメインを選択するシステムが張り紙のルールに加わったのだと推察されます。このセットを終えてから、自由にオーダーできる仕組みのようです。ゼロ次会でちょっと立ち寄った身としては、焼き鳥5本はちょっと多い。ここはハラミにしておいてよかったかもと思いながら、ホッピーを呑み進めます。
焼き台では、結構な長さのハラミが3枚焼かれ始めました。私のあとに客が二人来ており、全員がハラミを頼んだのだなと思いながらさらに観察を続けます。1枚だとちょっと少ないけれど、ゼロ次会としてはちょうどいいかななどと思っていると、ホッピーがなくなりかけてきたので、焼酎のナカをオーダーします。ハラミが焼きあがりました。長いハラミをハサミでチョキチョキと一口大にしていきます。そして驚いたことに、3枚とも一つの皿に盛られて私の前に。ハラミ祭りです。焼き鳥5本に匹敵、もしくは、しのぐかもしれない分量です。
こんな小さな冒険を楽しめるのも、初めて訪問する酒場の魅力の一つです。今では事前にさまざまなサイトから情報を収集することが可能です。システムを調べ切ってから店舗に訪問することもできるわけです。でも、こんなひそかなワクワク感も酒場巡りの魅力の一つですし、酒場と対話ができているというささやかな自己満足感に浸ることもできます。整理して情報が伝えられていないからこそ、そして知る人ぞ知るという仕組みがあるからこそ、楽しめることです。
私たちの仕事の中では、暗黙知を形式知に変換して、組織の知として蓄積されていく重要性が指摘されています。言語化、体系化されていない知を文書やマニュアルなどによって誰でもアクセスできる客観的で可視化された知にすることにより、組織内での知の共有を図ろうという考え方です。これにより、知的生産性も著しく向上することでしょう。さまざまな知をマニュアルや文書で誰でもアクセスできるようにすることは、組織への新規参入者にも優しい組織を創ります。無駄な探索や、質問などにかかる手間と時間がなくなります。いいことづくめだといえます。
何かを探すときの探索や質問は、業務面からみると実に無駄な行為です。でも、実は愛すべき面もあったりします。一人でテレワークをしながら何かを検索して調べたり、マニュアルにあたったりするだけでなく、チャットや電話で先輩に聞いてみることにより、その先輩ならではの教え方にふれることができ、また先輩からプラスアルファの何かを得ることができます。何よりも、人と人との接点ができます。
フルテレワークが常態になってくると、意図的に人に聞くというプロセスを、日常の業務の中に折り込むことが必要になってくるように思います。特に新人に対しては、あってもいいように感じます。人との接点を意図的に創ることによって、組織になじむ場を提供する。組織のさまざまな人を知ることにより、組織の魅力を知る。そして何よりも人に聞くことができるという、生きていく上でとても大切なスキルを養うことができる、そんなことを思います。
初めて訪問した仙台の酒場のカウンターで、手探りでその酒場のシステムを探りながらそれに順応していく自分を振り返りながら考えたことです。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 執行役員管理本部人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。