変化に強い組織を作る「ダイナミック・ケイパビリティ」
人事データの把握・活用がチームの競争優位性を生む
神戸大学大学院 経営学研究科 准教授
庭本 佳子さん
企業を取り巻く環境は不確実性の高い状況が続いています。2020年は新型コロナウイルス感染症によって経済に大きなダメージが生じましたが、急激な環境変化を前に戸惑う企業も少なくありません。企業が変化に対応していくためには、どうすればいいのでしょうか。その道筋として「ダイナミック・ケイパビリティ」を強化することが重要であると説くのは、神戸大学大学院 准教授の庭本佳子先生です。ダイナミック・ケイパビリティとはどのような概念なのか、変化に強い組織を作るために人事は何をすればいいのか、庭本先生に詳しいお話をうかがいました。
- 庭本 佳子さん
- 神戸大学大学院 経営学研究科 准教授
にわもと・よしこ/京都大学法学部卒、京都大学大学院法学研究科法曹養成専攻修了。2015年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。摂南大学経営学部講師を経て、2017年より現職。大学・大学院で人的資源管理の講座を持つ。主な論文に「組織能力におけるHRMの役割」(『経営学の再生』〔経営学史学会年報21輯〕文眞堂、2014年、経営学史学会賞受賞)、「ダイナミック・ケイパビリティのミクロ的基礎としてのリーダーシップ」(菊澤研宗編著『ダイナミック・ケイパビリティの戦略経営論』中央経済社、2018年所収)、「人事ポリシーと組織文化」(上林憲雄・平野光俊編著『日本の人事システム―その伝統と革新―』同文館、2019年所収)などがある。
事業を理解し、「個と個のぶつかり合いの場」を生み出していくのが人事の役割
庭本先生のこれまでのキャリアや研究領域についてお聞かせください。
大学および大学院では法律学を専攻し、労働法や民法を研究していました。職場でコンフリクトが発生したときや従業員同士のトラブルが起きたときなど、「どうしようもなくなったとき」に出番がある法律です。
法的な解決を求めると、最終的には賠償の問題に行き着かざるを得ません。お金を求めていたわけではなく、職場でイキイキと働きたかっただけというケースでも、解決策としては金銭に落ち着いてしまうことが少なくないのです。さまざまな判例を通じて、経営側にも従業員側にもモヤモヤが残るような場面を目の当たりにしてきました。
そうなる前にもっと方法がなかったのか。その疑問から私は経営学へ転向しました。法律学のアプローチに意義はありますが、それ以外のアプローチでも個人を幸せにし、かつ組織も成果を上げられる枠組みがあるのではないかと興味を持つようになったのです。
神戸大学の博士課程に編入学して経営学の世界に身を置くようになってからは、自律的な個人同士が協働し、組織としてシナジーを生み出していくメカニズムを分析していくために、「組織能力」という概念に注目するようになりました。
「組織能力」とはどのような力を指すのでしょうか。
組織が、組織内外の経営資源を組み合わせて活用し、競争優位を実現していく能力のことです。組織能力は多様な資源を組み合わせる協働の場を通して鍛えられ、向上していきます。同時に、適切に経営資源を組み合わせていくことでうまくシナジーを創出し、組織能力が高く発揮されるのです。組織能力をうまく機能させていくためには、「個々の人材の能力向上」と「人材の組み合わせとしての適正配置」の二つが鍵となります。
こうした観点から人的資源をマネジメントするためには、自社の事業への理解の上に人事管理業務が行うことが重要でしょう。単に戦略と人事の制度体系が適合していればいいというわけではありません。組織能力は、人と人が協働することでしか発揮されません。かつ、この能力は発揮されながら同時並行で鍛えられていくものです。個と個のぶつかり合いの場を生み出していくのが人事の役割であり、しっかりと事業を理解し、新たな事業やビジネスを作るために適切に個人を組み合わせていくことこそ、現在の人事に問われている能力だと思います。
近年では人事の方もよく「戦略」という言葉を使いますが、「事業」という言葉はあまり出てこないように感じます。事業をどのように捉えて理解し、人的資源のマネジメントにつなげているのか。まずはこの点を振り返ることが大切です。
変化に強いのは「チームごとに環境へ立ち向かい、再活用や再構成を進めていく」組織
ビジネスを取り巻く環境が激しく変化している中、庭本先生は変化へ対応していくための指針として「ダイナミック・ケイパビリティ」の重要性を説かれています。
現在は技術的にも市場的にも、そして組織的にも不確実性が高い状況です。何が危機なのかがはっきりと見えてこない一方で、チャンスもたくさんある時代だと言えるでしょう。そのため、「組織としての持続的な競争優位性の確保」に関心が高まっています。特定の目標を達成していくだけではなく、企業には絶え間ない変化に適応しながら進化する力が求められているのです。
このような環境の変化を感知して、それに適応するように自己を変革していく組織能力が「ダイナミック・ケイパビリティ」です。この概念を提唱したデビッド・J・ティース教授は、ダイナミック・ケイパビリティを「企業が技術や市場変化といった急速な経営環境の変化にうまく反応し適応するために、内部・外部のケイパビリティの統合、構築、配置、再配置を実現していく動的な組織プロセス」と定義しています。
ダイナミック・ケイパビリティは、三つの能力から構成されています。一つ目はセンシング(sensing:感知)という、組織が競争的状況を把握して事業が直面する変化や機会、脅威を感知する能力です。二つ目はシージング(seizing:捕捉、活用)という、変化の中に利益を得る機会を捉え、必要に応じて既存の事業や資源、知識をさまざまな形で応用して再利用する能力です。そして三つ目はトランスフォーミング(transforming:変容)という、企業内外の資源や組織を体系的に再編成し変革する能力が挙げられます。
ダイナミック・ケイパビリティが発揮される組織には、どのような特徴があるのでしょうか。
ダイナミック・ケイパビリティとは、学術的にいうと、変化に対応するために自社の持っている資産を再発見して組み合わせて行くことです。すべてをゼロから生み出すわけではありません。社内になければ外部の資源と組み合わせていく必要もあるでしょう。それを最も行いやすいのは経営トップなので、ダイナミック・ケイパビリティが発揮されるかどうかはトップの能力次第だという考え方もあります。
とはいえ、環境変化に対する意識を持ち続けようにも、トップ一人の見える範囲や認知能力には限界があります。最終的には経営者の能力というよりも、組織的な能力だと考えるべきでしょう。まずは自律した個人が力を高め、他者との組み合わせによって成果を高めていくべきです。
一方で組織構造も重要です。伝統的な組織構造では、ダイナミック・ケイパビリティは発揮されづらいかもしれません。理想はチームでつながっている分散的な組織です。チームごとに直面している環境に立ち向かい、再活用や再構成を進めていく。それが競争優位を生む戦略的行動につながると考えています。
ヤフーとサイボウズ、2社の事例に見るダイナミック・ケイパビリティ
ダイナミック・ケイパビリティを発揮して成功している実際の企業事例があればお聞かせください。
最近注目しているのはヤフーとサイボウズです。ともに、新しい人事制度や組織作りを展開してきたことで有名ですね。
ヤフーは、広告やeコマースを軸に自社の資源・資産を組み合わせながらビジネスを展開してきました。ここ数年で、特にヤフーのダイナミック・ケイパビリティが発揮された結果だと感じたのはZOZOの買収です。形式的にはM&Aですが、莫大な資金を投じてでも、eコマースと服飾、物流システムとの新結合による価値創出の可能性を高めようとする戦略的行動であるといえます。
これが実現したのは「トップが優れていたから」という理由もあるでしょう。しかしそれだけではなく、おそらくヤフーの中には組織としてダイナミック・ケイパビリティを推進できる理由があるはずだと見ています。同社は革新的な人事制度や企業内大学などで注目されていますが、大胆な戦略行動を可能にするようなメンバーの感覚が育っているのではないでしょうか。評価制度も事業に合わせて更新し、人事も変化を続けています。
グループウェア業界大手のサイボウズは、し烈なソフトウェア業界での競争の中でクラウドサービスを安定して提供し続けています。顧客企業の多様なニーズに応じて次々とグループウェアを進化させ、その事業の特徴を人事制度に落とし込んでいます。
サイボウズの場合は「100人いれば、100通りの働き方」という言葉にあるように、従業員という組織内環境に徹底的に適応して人事管理を展開しています。それが、ダイナミック・ケイパビリティで言うところの認知能力の向上につながっているのでしょう。効果的なチームワークが可能になり、多様な顧客企業の動向や技術の変化を感知・捕捉するというダイナミック・ケイパビリティをうまく発揮できているのだと思います。
多様な人材が組織にいなければ、顧客の多様性には対応できません。ダイナミック・ケイパビリティを発揮するためには、意識的に多様な組織を作っていくことも重要です。
ダイナミック・ケイパビリティの鍵は「人事のデータ把握と活用」
自社をダイナミック・ケイパビリティが発揮できるようにしたいと考えた場合、人事はどのようなアクションを起こすべきでしょうか。
まずは、「組織人として行動しながら多様な個性を発揮できる」個人を確保していく必要があると思います。組織人として頑張るための基盤となるのは仕事です。「会社のために」という意識ではなく、「事業や仕事のために」という意識で活躍してもらえるよう、人事が事業の観点から求める仕事を落とし込んでいくことが必要でしょう。
多様な個性があるからこそ、適切なぶつかり合いやエネルギーの爆発が生まれます。ダイナミック・ケイパビリティにおいて、人は大切な価値ある「資源」。最新の技術や工場、機械を考えるように、人にも同じ視点で向き合うべきだと考えます。もちろんそれは、短期的な業績向上だけを目指していては実現しません。サイボウズの人事制度でも、一見すると短期的な業績向上につながるとは考えにくいものばかりですよね。
人事としては、「この人を活用したい」という主張を補強できるエビデンスが必要ですね。
人事データの意義はそこにあります。人材について丁寧に把握することが必要であり、定性でもデータによって証明することは可能です。個人のスキルや知識、あるいは「どんな人と仕事をするとどのように成果が生まれるか」といったデータまで蓄積できるかどうかが勝負でしょう。そうした意味では、セプテーニ・ホールディングスの「相性」に立脚したデータ活用は非常に興味深い取り組みです。
他に人事が取り組むべきことはありますか。
個人と個人が相互作用するための場を創出していくことです。具体的な舞台は、プロジェクト単位などのチームであることが多いはず。そうした場を通じて、チームワークやマネジメントに対する知見が深まっていくことが必要だと考えています。
うまくいっているチームでは往々にしてリーダーシップが共有されています。得意な人が得意な部分をリーダーとして担当し、他の人はフォローに回る。ラグビーのチームのように、それぞれの役割が決まっている前提で、優れた個人の能力を生かすためにチームとしてどう動くべきかという認知枠組みができあがっているのです。
こうしたチームとしての認知枠組みは、相手をよく知ることで生まれます。個々人の得意や不得意を理解し、対話を繰り返していくことでチームは強くなっていきます。人事としては、個人のデータをどこまで解釈できているかが鍵となるでしょう。適正配置はこれまでも行ってきていると思いますが、その重要性がより増していく、ということです。鳥の目で個人を見て、最適な組み合わせを考えることは人事にしかできません。
そのためには、人事制度改革に着手する必要も出てきそうです。
制度はどんどん更新していく必要があると思います。注意したいのは「他社がやっているからウチも」という状況に陥りやすいこと。人事の方は非常に勉強熱心で、外部の情報も積極的に取り入れます。他社へ関心を向けるのは大切ですが、他社の取り組みにどんな根拠や背景があるかを見極めていかなければ、ときに揶揄されるような「人事は流行にしたがう」という言葉を体現することになってしまいます。
人事制度もダイナミック・ケイパビリティにおける資産であると考えれば、組み合わせで補完し合いながら、徐々に再活用・再構成していくべきではないでしょうか。
ありがとうございます。最後に、変化の連続と向き合っている企業の人事担当者へメッセージをお願いします。
2020年における変化といえば新型コロナウイルスの話題に偏りがちですが、企業を取り巻く環境が大きく変化しているのは、コロナだけが原因ではありません。さまざまな変化要因の一つにコロナがあると考えたほうが適切でしょう。
ただ現実には、コロナの影響で勤務形態が変わったり、採用手法が変わったりと、人事にとっては「やらざるを得ない」対応が増えているのは確かだと思います。実際の業務の負担感はとても大きいはずです。
そんなタイミングだからこそ、目の前の業務に忙殺されてしまうのではなく、技術やツールだけに頼るのでもなく、コミュニケーションなどの従前からの課題を浮き彫りにして、「大きな変革のチャンス」として取り組んでいくべきではないでしょうか。戦略・事業の視点と個人の視点とのバランスを見ながら組織能力を高めていく。企業には今、そんな人事の力が真に求められていると考えています。
(取材:2020年10月9日)
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。