「売れる営業」と「売れない営業」の境界線
富士ゼロックス総合教育研究所
ソリューション営業コンサルティング部部長
渡辺 茂一郎さん
モノがあふれて商品や価格の差別化が難しい時代、企業は「営業力」が弱いと、激しい市場競争を勝ち抜くことなどできないでしょう。外部コンサルタントとともに組織的な「営業変革」に取り組んだり、他社から売れる営業マンを引き抜いたりしている企業もありますが、いちばんいいのは今いる社員全員が「売れる営業マン」になることです。売れる営業と売れない営業ではどこが違うのか。できる営業マンはどんな能力や方法論を持っているのか。富士ゼロックスでのコピー機販売で、新人時代の成績最下位からトップへと奇跡的に這い上がった経験を持つ渡辺茂一郎さんにうかがいました。
わたなべ・もちいろう●1955年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。1978年富士ゼロックスに入社。コピー機販売の営業マンになるが、「日本一売れないセールス」の屈辱を味わう。しかし、やがて自分なりの営業スタイルを見出し、トップセールスへの道を歩み始める。その後、営業所所長を経て、2000年に自ら希望して富士ゼロックス総合教育研究所へ。営業変革コンサルタントとなる(その軌跡は、同社ホームページの人気連載コーナー「茂一郎が行く営業変革物語」でも詳しい)。著書に『落ちこぼれ営業マンが見つけた「勝利の法則」』(すばる舎)。ここ数年は、多くの企業の営業変革を支援する中で、マネジメント変革の必要性を痛感。マネジャー向けのトレーニングにも力を注いでいる。
営業成績が最下位に落ちて「犬になりたい」と心底思った
新卒として富士ゼロックスに入り、半年の研修後、京都営業所でコピー機販売のセールスマンとして仕事を始められました。でも、全然売れなかったとか。
じつは私、あまり深く考えることなく富士ゼロックスを受験して、たまたま入ってしまったんです(笑)。富士ゼロックスでは新卒社員の全員が営業職になるということさえ理解していなかった。研修中の実習では1台も売れなかったし、京都営業所に配属後も全然ダメ。いつの間にか低業績者研修の常連になっていて、ある日、営業種別の全国順位表をそっと見たら、約600人の中で550番くらいだったんですね。何だ、オレより下の営業もいるんだと思ったのですが、よく見ると、その人たちは全員、休職中でした。先輩から「まともに働いている中では、お前がゼロックスで最下位だぞ」と言われて、すごく衝撃を受けたんです。
入社2年目から3年目になると、もう夢も希望もない状態でした。クリスマス・イブに夜10時頃まで営業に歩き回り、それでも1台も売れなかったり、立派な家の庭で犬がのんびり寝ているのを見て、「オレも犬になりたい」と心底思ったり……。そんな日が多かったですね。それくらい辛かった。
私は入社2年目で結婚したのですが、当時を振り返って女房が言うには、「日曜日はずっと暗い顔でいたわよ。夕方になると何も喋らなくなるし」と。夜、テレビで好きな日曜ロードショーを見ると少し気分がよくなるんですけど、映画が終わってエンディングテーマが流れ始めると、もう一気に、一段と暗くなる。それで月曜日の朝、うなだれて会社に行くという……。
そこまで苦しくて、会社を辞めようとは考えなかったですか。今の若い人なら、すぐに辞めてしまうと思います。
毎日毎日、「辞めよう」と思ってましたよ。辛うじて踏みとどまっていたのには理由があって、大学時代にお世話になったゼミの先生に、「会社に入ったら3年はやってみろ」と繰り返し言われていたからです。3年働いてみて、この会社はどうにも自分に合わない、ダメだと思ったら辞めてもいい。でも、その前に判断すると、いろんなことがわからないまま辞めることになるから、ものすごくもったいないよと。
「営業はゲームだ」と教えてくれた同僚と「アプローチブック」
最下位の成績から這い上がるというのは並大抵のことではないと思います。
売れない営業マンは自分が悪いとは思っていません。売れないから表面的には懺悔しているけれど、心の中では「担当地域が売れないテリトリーだから」とか「商品に魅力がない」などと思っているんですね。私もそうでした。でも、もしかしてオレの営業のやり方がまずいんじゃないかとか、お客様に何も伝わっていないのかもと、だんだん思い始めたんです。
そういう気持ちが出てきてから他人のアドバイスが受け入れられるようになり、自分でも考えるようになりました。女房のアドバイスだって、妙に心に響く(笑)。「環境が悪いなんて思っちゃダメよ。自分が変わらないと周りの環境だって変わらないからね」という。やっぱり自分に問題があるんだと、そう思う部分が心の中の多くを占めるようになってきました。
そんなときに同期入社のY君が、私が変身する決定的なきっかけを与えてくれたんです。彼はいつも素晴らしい営業実績を上げていたのですが、幸運にも彼の担当していたお客さんを私が引き継ぐことになった。それで3日間、一緒に営業をしたのですが、そのときにY君が自分のやり方のすべてを目の前で見せてくれたのです。私は「自分が変わらなきゃ」という臨界点には来ていたけれど、もしもY君がいなければ最後の殻は破れなかったと思いますね。そういう意味で、ものすごく価値ある3日間だったですね。
「Y君」の営業はどこが違っていたのでしょう。
競争相手や商談相手の行動を常に予測しているんですよ。たとえば、顧客の担当者に「A社さんは次にこんなことを言ってきますよ」と、Y君は競争相手が顧客に話すと思われることを先回りして伝える。競争相手の行動って、じつはワンパターンなんですね。それを読み切っているY君の予言がずばり当たると、顧客担当者は「あなたの言うとおりだ」ということになって、Y君の信頼度が高まる。結果、競争相手に勝つ可能性が高くなる、というわけです。
Y君は、顧客担当者の社内での立場も予測していました。たとえば担当者が課長だったら、部長をうまく説得したいし、部下にもいい格好を見せたいでしょう。そんな課長さんが上司を説得するための情報もY君は用意していて、それを商談のときに提供するんですね。
相手の出方を予測して先手を打っていく。そのうちにこちらのペースに巻き込む。まるで将棋を指しているみたいですね。
Y君は「営業はゲームだよ」と言いましたね。「真剣勝負の白熱したゲームをやりながら給料をもらえる。こんなおもしろいことはない」と。彼が自分のやり方を包み隠さず見せてくれたことは本当にありがたかった。営業という職種では自分の手の内を見せない人も多いんです。でも、富士ゼロックスの社員にはそんな人よりも、自分のうまくいったノウハウを惜しげもなく公開する人のほうが多かったですね。
Y君は訥弁なんです。流暢な営業トークを駆使するわけではない。自分が売る商品のアピールもしません。でも予測にもとづいた臨機応変の受け答えで顧客担当者からうまくニーズを聞き出し、その解決策として新しい機種への買い替えや新商品の購入を提案する。あまりしゃべらないのに、次々と受注を取るんです。
駆け出しの営業マン時代、独創的な「アプローチブック」を手作りして、営業ツールに使った渡辺さん。顧客担当者に見せると面白がり、それをきっかけに販売成績が急上昇した
口下手の私にはY君みたいな臨機応変の受け答えは無理。そこで、低業績者向けの研修で教わった「アプローチブック」を手作りしたんです。A4版のバインダーに、商品紹介の写真や、顧客が気づきにくいコピー機の問題を表す絵などをたくさん綴じ込んだ本。厚さ7~8センチにもなりましたが、これを顧客担当者に見せると面白がって、いろいろ話をしてくれるようになりました。それにつれて私の販売実績も上がり始めたんですね。
画期的な営業ツールですね。
要するに「百聞は一見にしかず」なんです。あれこれ言葉を並べて営業するよりも、目で見てわかってもらったほうが伝わりやすいでしょう。既成のカタログをぺたぺた貼っただけのアプローチブックではダメですよ。自分で考えたコピーを手書きしたり、写真を撮影したり、漫画のキャラクターを登場させたり……ともかく、面白くて、独創的なアプローチブックを作って営業に持っていく。Y君とアプローチブックのおかげで、私の中で「顧客にどうアプローチし、提案していくか」というセールスストーリーが何通りもできました。それで「日本一売れないセールス」から変身できたんですね。
若い営業マンの芽を摘んでしまう40代50代のマネジャー
売れないセールスからトップになった後、自ら希望して「営業教育トレーナー」に転身されました。
トレーナーになって若手の営業マンたちにさまざまな手法を伝える仕事を始めたのですが、これがいくらやってもダメなんです。販売実績が上がったという人がなかなか増えない。で、その原因をよくよく分析したら、行き当たったのがマネジャーの問題だったんです。40代、50代の上司が若い営業マンをダメにしていました。
上司と若い部下の反目は大きな問題ですね。「上司と合わない」「マネジャーが自分を理解してくれない」と悩みを持つ人は増えているし、それが原因で早々と会社を辞めてしまう若手社員も少なくありません。
これは私の持論ですが、日本の高度成長が始まった1955年頃から、バブルが崩壊した1993年頃までの40年近く、大半の日本企業はずっと「市場全体の成長に乗って成長する」というやり方で商売をしてきたのです。その期間というのは、前の年と同じことをやっていれば売上や利益がそれなりに伸びたんですよ。本当にダメな経営者が率いる会社はダメになったけど、注意深く競合他社とそこそこ同じことをやっていた企業は――たとえばシェアが3番目の会社は3位のままではあるけれど――それなりに成長することができた。成長すれば社員の給料も増えるから、会社の中で大きな軋轢が生まれることはありません。そういう時代が長い間、続いてきました。
そんな時代を体験した、とくに40代後半から50代のマネジャーが持ちやすい発想というのは、「去年と同じことを、今年もやりたい」ということです。「明日も成長する」という感覚や過去の自分の成功体験をなかなか捨て去ることができない。それで自分が若い頃からやってきた方法を部下に強要することになるんですね。ところが、若い部下のほうは新しいこともやってみたいから、そこで衝突してしまう。マネジャーの発想が変わらない限り、若い営業が何か斬新な方法で仕事をやろうとしても、その芽は全部摘まれてしまうと私は思うんです。
「去年と同じことを今年もやりたがる」姿勢から見えてくるのは、保守的な上司像です。プライドも高いのでは?
高い人が多いですね。たとえば、私が若い人に新しい営業の手法を教えて、それをやらせようとすると、大半の上司は口では「新しいことをやりなさい」と言いながら、行動面では支援しないですね。なぜかというと、彼らからすれば、自分の知らないノウハウを部下が知ることは脅威なんです。だから非常に嫌がる。もし、その新しい手法を部下より先に上司に教えてあげれば、若い人がその手法で営業できることになるかもしれませんが。
最近、企業経営者から「若手を育てたい」という相談を受けますが、話を聞くうちに、若手だけを対象に何かをやっても無理で、彼らを監督するマネジャーも変えなきゃダメですね、との結論に必ずなります。ただし、時間とコストを無限に使うことはできませんから、マネジャーの中でも「変われる人」と「どうしようもない人」に、線引きをする必要がありますね。
古い思考のマネジャーには「視点」を変えるトレーニングを
過去の成功体験に凝り固まっているマネジャーをリセットするような方法があるのでしょうか。若い部下の芽を摘むような上司を変えることは難しいのでは、と思います。
そんな上司に対しては、いろいろな視点を持たせるトレーニングをしなければならないでしょうね。ふだん靴を履いている人が高下駄を履いたら見える景色は変わってくるし、子供と同じ目線で話すといつもと違った感覚のコミュニケーションになるでしょう。それと同じように、仕事でも自分のこれまでの視点を変えてみる。そんな体験と方法論について研修などできちんと学ばせたらどうでしょうか。
富士ゼロックスでも「モノを売るとはどういうことか――それを、モノを買う行為の中から見つける」というテーマの研修をしたことがあります。自分自身がモノを買うまでのプロセスを振り返ったり、買うときの心理を分析したりしたうえで、実際に何かモノを買ってみる。そして、それから立場を買い手から売り手に変えて考えると、「どうしたら消費者の満足度を上げることができるか」などと商売をさまざまな角度から見るようになるんですね。
そういう実証的な研修やトレーニングを受けないと、マネジャーの凝り固まった視点は変わらないかもしれません。何につけても視点が1つしかないから、「去年と同じことを今年もやりたい」となってしまうのですから。
(取材・構成=岩崎義人、撮影=中岡秀人)
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。