定昇「廃止・縮小」を行うとどうなる?
中小企業における「定期昇給見直し」の考え方と実務上の留意点【前編】
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2. 「定期昇給見直し」の原点
定期昇給制度は、自社の従業員に対して、入社から定年に至るまでの長期にわたって、できるだけ大きな貢献を期待するという考え方に立つ「長期雇用制度の根幹」となっている制度であることが、正しく理解されねばなりません。
そこで、定期昇給の制度や慣行の見直しに取り組む際の、筆者なりの、いわば「原点」というべきものをいくつか示しておきたいと思います。
原点1:従業員のモチベーションと組織のモラールを支えられるか
企業における「従業員の雇用」とは、臨時的、短期的な「人手集め」の場合を除けば、企業が、その事業をと もに遂行していくための「仲間を求めること」を意味するのが一般的です。したがって、人の募集にあたっては、「どうすれば優れた従業員を得ることができる か」、そして採用後においては「どうすれば従業員に喜んで働いてもらえるか、事業に貢献してもらえるか」、という点に雇用の原点があるものと考えてよいと 思います。賃金についても同様です。
したがって、企業業績を維持するために従業員の賃金を抑え込もうとする考えが出てくるとすれば、それは明 らかな論理矛盾と言えるでしょう。その結果、従業員のモチベーションを希薄化させ、職場のモラール(集団士気)を引き下げ、もって顧客や市場への対応が疎 かとなり、やがてはその企業に対する評価を低下させていく懸念があるからです。事業を拡大している企業では、企業の規模を問わず、従業員を「目的遂行のた めのパートナー」とみるだけでなく、「ともに夢を追い、道を拓いていく同志」とみています。従業員を「戦友」「家族」と見ているところも少なくありませ ん。
原点2:従業員との約束を果たすことができるか
定期昇給は、例えば4月の新卒者採用とタイミングを同じくして、在職者について、1年間の経験や高まった 能力を評価したり、先輩としての役割を期待したりして、基本賃金に何がしかの積増しが必要とする考え方に基づいていることも多いものです。また、年齢が1 つ高まることで生活の費用が何がしか増加することも考えられることから、企業としてこれにいくらかでも対応することが重要だとする考え方に基づいているこ ともあります。さらに、そうした能力や生活費の上昇を正確に把握し評価するまでもなく、1年の苦労に応えて、何がしか賃金を上げていくという企業側の姿勢 が、働く人の生活設計を前向きのものとし、もって経営者への信頼度も高めていける、といった考え方があったものとも考えられるところです。
したがって、業績不振を理由に、自社の従業員の賃金を引き上げないということになれば、社員の士気を落と すばかりでなく、経営者としての評価にも関わるということで、「よほどのことがない限りは無理をしてでも約束を果たす」ということも、これまでに少なくな かったと言われています。その「約束を果たす」ということの重みが従業員にも十分に理解されて、これまで企業との間に強い信頼関係が醸成されてきたという 事実を知っておくことも、重要と考えられるところです。
原点3:人材として育てられるか
企業は、「一人ひとりを人として、人材として、育て、生かす」という考えを基本に置かなければ成り立ちに くいものです。なぜならば、事業の経営を進めるうえで、“必要な人材を、必要なときに、必要なだけ調達する”などということは、極めて限られた能力分野を 除けば、実際には難しいことです。また、綱渡りのような人材獲得の方法を続けても、組織力を高め、強化していくことはできないものです。組織は「目的の共 有」「仲間との協働の意欲あるいは精神」、そしてその2つを結びつけるための「コミュニケーション」という3つの要素が存在して成り立つもの(C. I. バーナード)と言われています。これらの要素を強固なものにしていくためには、時間をかけた人材の育成が不可欠と考えられるところですが、それを経済的・ 精神的に支える制度を何に求めるかが重要です。
原点4:人の成長を支えられるか
子供の成長ぶりに「人間はすごいな」と実感したことは誰にもあるはずです。「育てるもの」というよりも 「育つもの」と見るのが正しいとも言えるでしょう。人間の「育ちぶり」は、生まれたときからみれば、徐々に目立ちにくいものとなっていくことはやむを得な いことですが、必ずしも成長が止まったり遅くなったりしているのではないと考えるべきです。その目に見えにくい成長に、「目を向けるのか向けないのか」 「評価するのかしないのか」「今後に期待するのかしないのか」「伸びを待って見守るのか待たないのか」、という姿勢の違いが、一人ひとりをどの方向に向か わせるかの結果を分かつと考えます。
また、人間は特定の分野に絞って経験を重ねれば、誰でもその能力を伸ばすものです。先輩の後について学び取り、経験を積むことで確実に自分のものとし、やがてそこから抜け出て自分の境地を拓いていくものです。
自分の力の確かな伸びを実感することは、前に向かうための密かなモチベーションとなるものです。自らの頑 張りや努力は、本質的にはここからしか生まれないものとも考えられ、これが「内発的モチベーション」と言われるものですが、「周囲に認められ、褒められ る、励まされる」という「外的モチベーション」と合わせて、人間に足を1歩踏み出させる原動力になっているものと考えるべきです。
こうした考え方は、経営者と従業員が、お互いに信頼でつながれる企業や職場をつくっていくためには必須の ものと言えるかもしれません。したがって、こうした考え方は人事・賃金制度のあるべき原理とも言えるものであり、「定期昇給制度」がそこに確かな役割を果 たしてきたという事実です。これに勝る制度はないという見方もあるところですから、これをどのように改編していくかは、企業の将来を占う大きな課題である という意識を忘れてはならないと考えるものです。
ひらの・ふみひこ ● 日本大学経済学部教授、早稲田大学社会科学部講師。早稲田大学大学院商学研究科博士課程修了。専門は経営学、人的資源管理論、賃金論。日本賃金学会会長。実践経営学会会長。著書に『賃金管理の基本と課題』(学文社)、『新版・人的資源管理』(編著、学文社)、『賃金事典』(監修、労働調査会)等。
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