有賀 誠のHRシャウト!人事部長は“Rock & Roll”【第25回】
社長としての失敗(その1:社長業スタート!)
株式会社日本M&Aセンター 常務執行役員 人材ファースト統括
有賀 誠さん
人事部長の悩みは尽きません。経営陣からの無理難題、多様化する労務トラブル、バラバラに進んでしまったグループの人事制度……。障壁(Rock)にぶち当たり、揺さぶられる(Roll)日々を生きているのです。しかし、人事部長が悩んでいるようでは、人事部さらには会社全体が元気をなくしてしまいます。常に明るく元気に突き進んでいくにはどうすればいいのか? さまざまな企業で人事の要職を務めてきた有賀誠氏が、日本の人事部長に立ちはだかる悩みを克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。
みんなで前を向いて進もう! 人事部長の毎日はRock & Roll だぜ!――有賀 誠
この連載では、経営視点をもって人事を論ずるべきであると繰り返しお伝えしてきました。自分にとってその認識は、社長業を経験したことでより強くなったといえます。そして、社長としては大失敗でしたが、そこでの学びを人や組織に関わる仕事の中で活かせたと断言することができます。
とはいえ、失敗体験を振り返ることは自らの古傷をえぐるような痛みをともなう行為となるため、長年向き合うことができずに放置していたようにも思います。そのときから10年以上を経た今、どこで自分が失敗をしたのかを考察し、経営や人事に示唆するものを述べてみたいと思います。
経営者の価値観
鉄鋼や自動車といった重厚長大メーカーで20年以上のキャリアを送ってきた私は、その後に入社したユニクロで生産管理を担当する中、組織文化の大きな違いを認識することになりました。エンジニア気質(ロジック重視)の組織からアーティスト気質(フィーリング重視)の組織へ、という変化です。
また、その違いによって、相対的に自分の立ち位置も変わることを学びました。エンジニア気質の組織では「論理性が弱い、感情に流れる」と称されることもあった私が、アーティスト気質の組織では「有賀さん、理屈っぽい!」と言われるのです。確かに、エンジンの馬力やボディの空力は計算ではじき出せますが、来年どのような服が売れるのかについての確実なロジックはありません。
そのような「違い」を楽しみながらのユニクロでの業務でしたが、優秀な現場力と素人なりの発想のまぐれ当たりにより、品質改善や納期達成率向上で大きな成果を上げることができました。そして私は、「自分が洋服作りの素人だとしても、優秀なプロを集め、彼らが仕事をしやすい環境を作れば、ファッション・ブランドの経営ができる」と思い上がってしまったのです。この辺りのエピソードは本連載の本題とは異なりますので省略しますが、ご関心ある方はこちらをご覧下さい。
ユニクロの天才経営者、柳井正さんから「僕と有賀君は価値観が違うね」と言われ、「自分の価値観を追求するには、自分で経営をするしかない」と思うに至ったのです。その価値観とは、簡単に申し上げると、「叱ったり怒鳴ったりしているばかりでは人は委縮し、前向きなアイデアが出てこなくなる。明るく、楽しく、元気に仕事をしてこそ、長期にわたってお客さまに価値を提供できる」というものでした。そして2006年、私はエディー・バウアー・ジャパンの社長に就任します。
そして、社長に
エディー・バウアーは1920年創業、米国シアトル発の老舗アウトドア・ブランドです。ダウン・ジャケットのオリジネーターであり、登山隊や米軍に制式採用されていた歴史をもちます。近年ではビジネス・カジュアルの服にも力を入れており、顧客は男女半々という割合でした。
日本には1994年に上陸し、私が社長に就任した時点では年間売上高約150億円、店舗数50、スタッフ1,000人(正社員300人、アルバイト700人)という企業規模でした。この売上高は、カジュアル系海外ブランドとして、ラルフ・ローレン、ギャップ、リーバイス、ディーゼルに次ぐ第5位という存在であり、ブルックス・ブラザーズを若干超える位置にいました。売上のチャネル別内訳は、レギュラー店舗60%、アウトレット店舗10%、カタログ販売20%、ネット販売10%でした。
社長となって初めて経験したことは、株主との定期的なコミュニケーションです。それまでも経営陣や労働組合やお客さまと接する機会はあったわけですが、定期的な報告のみならず、事業計画や投資案件承認のために株主に説明をするという責任を負ったわけです。ここで、上司と株主とは違うということを思い知らされました。
苦しいとき、上司は結果だけではなくプロセスを見てくれますし、一緒に考えてもくれるでしょう。しかし、株主は「状況を打開することが社長であるお前の仕事。しっかり利益を上げて配当を実施してくれ」と言うだけです。
しかも当時のエディー・バウアー・ジャパンは、複雑な資本構成をもつ日米独3ヵ国の合弁事業でした。独Otto(51%)と住友商事(49%)が出資するオットー・ジャパンが70%の株を保有し、残る30%を米Eddie Bauerが持っていました。そして、3ヵ国の株主がそれぞれの要求をぶつけてきます。単純化すると、Ottoは事業の安定成長(長期)を、住友商事は配当(短期)とマネジメント・フィー(短期)を、Eddie Bauerはブランド強化(長期)とライセンス・フィー(短期)を、といった具合です。どれも株主・投資家の立場からすれば不思議のない内容ではありますが、長期目標と短期リターンを同時に実現しなければ3者を満足はさせられない、ということでもありました。
株主3者に共通していた期待値は、3~5年で売り上げを2倍に、利益を3倍にというものです。はやりものというよりは定番的なファッション・ブランドであるエディー・バウアーには、過度な期待であることは明らかでした。ただ、私はそれを実行するべく社長として雇われたのです。口には出しませんでしたが、自分の中では、「トップラインをまずは伸ばそう(売上2倍)。いずれスケールメリットによってコストが下がり、利益幅も追いついてくる」という考えでした。この判断に基づき、各種戦略・施策を展開していくことになります。
甘い見立て、そして墜落へのスタートでした……。
有賀誠の“Rock & Roll”な一言
一回は、経験してみるべき社長業
でも、自らの能力と器の不足を思い知ることになるかもね
- 有賀 誠
- 株式会社日本M&Aセンター 常務執行役員 人材ファースト統括
(ありが・まこと)1981年、日本鋼管(現JFE)入社。製鉄所生産管理、米国事業、本社経営企画管理などに携わる。1997年、日本ゼネラル・モーターズに人事部マネージャーとして入社。部品部門であったデルファイの日本法人を立ち上げ、その後、日本デルファイ取締役副社長兼デルファイ/アジア・パシフィック人事本部長。2003年、ダイムラークライスラー傘下の三菱自動車にて常務執行役員人事本部長。グローバル人事制度の構築および次世代リーダー育成プログラムを手がける。2005年、ユニクロ執行役員(生産およびデザイン担当)を経て、2006年、エディー・バウアー・ジャパン代表取締役社長に就任。その後、人事分野の業務に戻ることを決意し、2009年より日本IBM人事部門理事、2010年より日本ヒューレット・パッカード取締役執行役員人事統括本部長、2016年よりミスミグループ本社統括執行役員人材開発センター長。会社の急成長の裏で遅れていた組織作り、特に社員の健康管理・勤怠管理体制を構築。2018年度には国内800人、グローバル3000人規模の採用を実現した。2019年、ライブハウスを経営する株式会社Doppoの会長に就任。2020年4月から現職。1981年、北海道大学法学部卒。1993年、ミシガン大学経営大学院(MBA)卒。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。