定年後の「シスクティーズ」は夫婦の大危機
ノンフィクション作家
久田 恵さん
定年を控えた中高年のサラリーマンを対象に「第二の人生へのライフプラン」などと題したセミナーや講座があちこちで開かれ、どこも盛況のようです。そうしたセミナーの多くでは、趣味や教養や旅行やボランティアなどといった新しい生き方でスケジュール帳の空白を埋め、「日々、充実を図ろう」と提案するのだと言います。でも、日々の充実というのは、まず何よりも家庭の円満があってこその話。企業から解放される男性たちは新しい人生に向かって晴れやかかもしれませんが、一方、彼らと改めて家庭で向き合うことになる女性たちはどういう気持ちなのでしょう?もしかしたら彼女たちのほうも、家庭を守るために懸命に担ってきた「妻」や「母」の役割から、もう解放されたいと願っているかもしれない……。近著『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)で、定年後の「60代」を生きる夫婦を取材したノンフィクション作家、久田恵さんにうかがいました。
ひさだ・めぐみ●1947年北海道室蘭市生まれ。上智大学文学部社会学科中退。放送ライター、女性誌ライターなどを経て、ノンフィクション作家に。90年『フィリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。読売新聞「人生案内」欄の回答者、講演などでも活躍。主な著書に『母親が仕事をもつとき』(学陽書房)『ニッポン貧困最前線』(文藝春秋)『おんなの眼』(マガジンハウス)などがある。最新刊『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)では、60代を迎えた男女44人の本音を聞き取り、ルポにまとめた。現在、「花げし舎」主宰。http://homepage2.nifty.com/hanagesisha/
「私、昼ご飯は作りません」と夫に宣言した妻
男にとって、女にとって、「60代」とは、どんな人生の課題に直面する世代なのか。団塊世代など60代がもう目前ですが、実際、60代から人生がどう変わるのか、そこがなかなか見えません。新刊の『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)は、今を生きる現役の60代の話を聞き取ったルポですね。
朝日新聞の家庭欄に連載したコラムをまとめた本ですが、この企画をお引き受けしたとき、私は、60代からの「第二の人生」ってこんなに楽しい、というような話を紹介できるかなと考えていたんです。中高年向けの雑誌などには、定年後に軽井沢とかハワイに住んで、「生き生き暮らしています」といった記事がたくさんあるでしょう。「60代」に対して私が抱いていたイメージもそんな感じで、仕事も子育ても一段落して時間はたっぷり、退職金でお金もそこそこあり、体力だってまだまだある。60代の暮らしとは楽しいものだろうと、正直、ワクワクして取材にかかったんですね。
ところが、現実の60代というのは、けっしてそんな薔薇色みたいな話ばかりじゃなくて、むしろ、解決の難しいいろんな問題が突然、噴出して、危機に陥っている人が多かった。どこの誰を取材するか、問題のありそうな人を恣意的に選んだわけじゃありません。人選の条件は「60代ならOK」というだけ。それで取材を進めてみたら、厳しい話につぎつぎと遭遇したんですよ。
取材した60代の人たちは、どんな厳しい問題を抱えているのでしょう。
目立つのは、夫婦の問題ですね。60代になって夫が定年を迎える。すると、妻の夫に対する長年の不満が一気に出てくる。それが凄いんです。妻が夫の退職金を持ってどこかへ行っちゃった、トラックが家の前に横づけになったので隣が引越しなのかなと思っていたら、妻と娘が荷物をまとめて出て行っちゃった――など、一体これって何なの?と。取材でそんな話に驚いて、それをコラムにして新聞に掲載すると、今度は女性読者たちから反響が返ってくる。それもまた、凄かった。
たとえば、夫に向かって「私、昼ご飯は作りません」と宣言した妻の話を書いたとき。定年になり、ずっと家にいることになった夫は、朝と夜と同じく、お昼も妻が作ってくれる、黙っていても目の前にご飯が出てくる、と思っている。それに妻がノーを突きつけた――という話に、女性たちから「よくぞ書いてくれた!」と投書が殺到したんです。思いがけない反響だったので、定年後の夫婦について私自身、改めて考えさせられました。その話の妻は、昼ご飯を作るのが嫌なのではなく、一日中ずっと夫に拘束される感じが嫌だったわけです。子育てが終わって、ようやく自分の自由な時間が持てるようになったのに、そこに突然、現れた世話の焼ける夫。「母」とか「妻」の役割から、もう解放されたいと願っている妻にしてみれば、夫の定年をきっかけにお互いの関係を仕切り直したい、ということなんでしょうね。
剥き出しの個人と個人に変わって衝突する
その他、「あなたは一人で老人ホームに行ってください」と妻に言われた夫が、入居後2週間目に脳梗塞になった話や、夫と離婚し独立するためにパートで1800万円貯金した妻の話もありますね。「定年離婚」も増えている昨今、夫と妻のこのズレは何なのでしょうか。
いま60代の日本の男性は、戦後の高度経済成長のために一生懸命に仕事をし、滅私奉公で会社に尽くしてきたけれど、その半面、一歩外に出たら「家庭に子もなし妻もなし」みたいな態度で生きてきたタイプが多いと思うんです。家庭のことを忘れて仕事ができたのは、それをひとりで支えてきた妻のおかげなのに、そのこともすっかり忘れ去っている。そういう男性=夫が60代を迎えて定年になって、年金生活でぶらぶらし始める。だけど妻のほうは引き続き家事やら夫への献身を求められる。「どうして私だけ?」と妻は感じて、不満が出てくるのでしょう。
夫婦や家族というのは、何か一大事が起きたりしたときに絆が強くなるものではないかと私は思います。子供の進学、就職、結婚問題。生活上のトラブル。夫婦で一緒に頑張って、それを乗り越えようとしますよね。ところが、それなりに山あり谷ありでも何となく平穏な時間のほうが長く続いていると、夫婦や家族の絆は逆に弱くなる。夫は「会社」、妻は「家庭」の役割分業でたんたんと暮らしてきて、その結果、気がついたら、夫と妻、父と子が他人のようになっていたりするわけです。そもそも夫婦は血のつながりがないですから、そんなふうに絆が弱くなっているところへ「定年」がやってくると、夫と妻は剥き出しの個人と個人に変わって関係に亀裂が生じやすくなるんだと思いますね。
私の両親の世代――いま70代、80代の夫婦には、そのように剥き出しの個人と個人に変わって危機を迎える、という話はあまり聞いたことがありません。
女性について言うと、60代より一つ二つ上の世代、70代、80代の生き方というのは、結婚が永久就職みたいなものだったんですね。親のすすめで結婚した夫が「マズイ男だ」ということに気づいても、「ちょっと運が悪かった」と半ば諦めて、夫や家庭に生涯を捧げる生き方をする女性が多かった。でも、今50代、60代の女性たちは、諦めることなんてできない、という人のほうが多いんですよ。
今の世の中、離婚は否定されていないし、50代60代の女性の多くは仕事をした経験があるから、年齢を重ねても働く道はありそうに見える。夫と別れて一人になっても何も言われないだろう、きっと何とかなると思うんですね。それに、70代80代の女性に比べると、それまでにいろんな男性を見てきて、「あっちの男のほうがよかったな、こっちの男にすればよかったかな」などという気持ちも残っている。元気に好きなことができるのは70歳ぐらいまでかなあと考えると、60代の貴重な10年を夫に捧げるような生き方は嫌だ、別の選択肢もあるんじゃないかと考えるのでしょう。男性のほうは、会社でよく働いたし、さんざん好きなこともやったから、定年で家庭回帰して妻と平穏に生きたいと考えるのに対して、女性は「さんざん頑張ってきたから家庭は卒業」と心に決めて、夫の定年を区切りに自分の人生を見つめ直そうとするんです。
リタイアした夫婦が別々に暮らすのも悪くない
「2007年問題」などと言われ、団塊の世代が数年後に大量定年を迎えます。そのとき、やっぱり今の60代と同じような夫婦の危機を迎えるでしょうか。
可能性は小さくないと思いますね。私も団塊の世代だけど、女性は家庭を懸命に支えてきた専業主婦が多いし、男性もやっぱり会社を中心に生きてきた人が多いですよ。しかも私の知る限り、団塊世代の男性ってすごく遊び歩いていて、「いま恋をしてるんだ」とか大騒ぎしている。私は「結婚しているくせに何が恋よ!」って呆れちゃうんだけど(笑)。でも、そういう夫の預かり知らないところで、妻のほうも同じようなことやっていたりするんですよ(笑)。
ただ、60代の夫婦に比べると、団塊の世代の夫婦は妻の力がわりと強くて、私の友人など、家計をぎっちり握っていて、「夫が悪いことをしたときはお小遣いを1円もあげないの」なんて言うんです(笑)。団塊の夫婦の間では、きっと退職金も夫の自由にはならないと思うし、妻が「マズイ男と結婚しちゃったわ」と気づいたら即、離婚を切り出しているケースだって少なくないと思いますね。とはいえ、善くも悪くも団塊世代の夫婦というのは60代夫婦より議論や喧嘩が多いから、妻が「怨念」めいた気持ちを鬱積させることは少ないと思う。夫の定年をきっかけに妻の不満が噴出、といったケースも少ないんじゃないでしょうか。
60代になってからの夫婦関係のバランスを保つためには、日頃のコミュニケーションが大事ということですね。
そう思いますね。それを怠ったツケが後で夫婦関係に出てきます。60代でこれまでの人生に区切りをつけて、夫婦ふたり、これからに向かって穏やかに旅立とうと思っても、その背後には、長年の間、未解決のまま放置していた課題がシビアなかたちで横たわっている、ということになるんです。結局、60代というのは、これまでに積み残してきた課題と、これからの人生に降ってくる課題を夫婦でどうクリアしていくか、その力量が最も問われる世代であると、そんなふうに言うことができると私は思う。
でもね、その一方で私は、60代でリタイアした夫婦が別々に暮らすのも悪くないと思っているんですよ。会社一筋だった夫と、家庭を守ってきた妻が、60代になってリタイアしたら付随できる、なんて幻想かもしれないでしょう。たとえば、夫は定年を迎えたらハワイに移住して、妻とゴルフ三昧の日々を過ごしたいと言う。妻のほうは地域社会での市民運動に力を入れたいと言う。こんな夢の違いが出てくるのは当然だと思う。だったら、お互い好きなことをやってみるのがいいんじゃないかなあ。夫婦一緒じゃなくちゃと思って、相手に気を遣いながら毎日を過ごすよりも、別々に、満足感のあることをしているほうが深刻な事態も起きないような気がするんです。
60代になったら夫婦は拘束し合わないほうがいい、と。
夫が望むライフスタイルと、妻が望むライフスタイルが全然違うのに、それを何とか一致させようとするのは大変ですよ。話し合いをするだけで、膨大なエネルギーを使っちゃう。そんな無駄なことはやめて、「お互いに好きなことをやってもいい」と保証し合えばどうですか。夫婦それぞれ、別々に好き勝手やってみる。そうすると、やがて「やっぱりふたりがいいね」の着地点が見えてくるかもしれません。
夢も暮らしも柔軟に変えながら生きていく
60代の課題は、夫婦関係だけでなく、その他さまざまな問題もありそうです。
夫婦問題のほかに、読者からの反響が多かったのが「子供の自立」ですね。なかなか自立しない息子やパラサイト娘など、終わらない子育てに悲鳴を上げている人が少なくないのでしょう。老いた親の介護に疲れている人、故郷の家の継承をどうするかで悩んでいる人もいる。これらは60代に固有の問題なんでしょうね。
夫婦の関係から子供の自立の問題、介護の問題まで、取材でそんな厳しい話に出合うと衝撃を受ける。それは事実なんだけど、さらに取材を続けて、問題を抱えた60代たちの生き方を見ているうちに、私、人生とはこういうものなのかもしれないという思いも出てきたんですね。みんなそれぞれ、大変だろうと何だろうと、毎日くぐり抜けながら生きている。大変な中からでも必ずポジティブなものを引き出して、前向きに生きている。それぞれの方の、自分の人生に対する納得の仕方を、私はすがすがしく感じたんです。
取材された方々とは今もお付き合いがあるのですか。
ええ。新聞で連載を始めたのが3年前で、それが単行本になったということでみなさんにお送りしました。そうしたら、取材をさせていただいた奥さんから、お手紙が返ってきたんです。「主人が亡くなり、ひとりになりました」と。一生懸命に市民活動をしていた方で、亡くなったなんて信じられなかったけれど、文面からは奥さんがそれでも気丈に生きていらっしゃる様子が伝わってくる。人生って、どんどん変わる。人生が変わったら変わったで、人はまた異なる境地で生きていくんだと、私は励まされる気持ちになりました。
60代のリタイアとセットで「終の棲家」とか「終のライフスタイル」などということが語られることが多いでしょう。だけど、人生ってどんどん変わるものだとすれば、そんな「終の何とか」なんていうふうに決めつけて考えないほうがいいと思うんですね。自分の夢も暮らしも柔 軟に、いかようにも展開していくものだと考える。そのほうが絶対、素敵な「シクスティーズ」の日々を送れるだろうと思います。
(取材・構成=丸子真史、写真=中岡秀人) 取材は2005年4月4日、東京・練馬区の久田さん宅にて。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。