本当のIT革命を生き抜く
「個人尊重の組織論」とは(前編)
成果より「がんばり」で評価される組織が社員をつぶす?
同志社大学 政策学部 教授
太田 肇さん
『がんばると迷惑な人』という刺激的なタイトルの本の売れ行きが好調です。著者は同志社大学政策学部教授で、組織学者の太田肇先生。“個人尊重の組織論”を提唱する太田先生は、日本人なら誰もが小さい頃から教えられ、学校や職場で当たり前のように求められてきた「がんばり」こそが、日本の組織と個人を疲弊させ、国際競争力低下の元凶になっていると喝破します。なぜ、がんばると迷惑なのか。がんばりの実害やがんばりの代わりに求められているものとは一体何なのか――。インタビュー前編では、「がんばり」をめぐるドラスティックな価値観の変化を糸口に、いま日本の組織と個人が直面する問題を解き明かしていきます。
おおた・はじめ●1954年兵庫県生まれ。神戸大学大学院経営学研究科修了。京都大学経済学博士。公務員を経験の後、滋賀大学経済学部教授などを経て2004年から同志社大学政策学部教授(同大学院総合政策科学研究科教授を兼務)。専門は組織論。とくに個人を生かす組織・マネジメントについて研究。日本人のやる気とチームワークについて、その転換を主張した近著『がんばると迷惑な人』(新潮新書,2014年12月刊)のほか、『公務員革命』(ちくま新書)、『組織を強くする人材活用戦略』(日経文庫)、『承認欲求』(東洋経済新報社)、『日本人ビジネスマン 「見せかけの勤勉」の正体』(PHP研究所)などの著書がある。
いままで優秀とされていた人が活躍できなくなってきた
太田先生は、ご著書『がんばると迷惑な人』で、「現在は『がんばり』が価値を生む時代ではなく、逆に価値を損ないかねない」と指摘されていますが、そもそも「がんばり」をどう定義されていますか。
一つの方向に向けて努力する、全力を尽くすというのが、私の「がんばり」の定義です。「一つの方向に」というところがポイントで、目標や目的があらかじめ決められているわけです。そこへ向けて、ひたすら突き進むというイメージですね。大量生産・大量消費の工業化社会ではそれでよかったのですが、前提となる状況が大きく変わってくると、「がんばり」に対する評価も180度変わらざるをえません。
では、なぜ「がんばり」が通用しなくなったのかというと、私は、ITの影響が一番大きいと思います。いままで人間ががんばってきた、一つの既定の方向に推し進めるという作業は、人間よりコンピュータのほうがはるかに得意ですから。機械で全部肩代わりできるわけです。そうすると、人間の「がんばり」は意味をなさなくなっていきます。ただしどんなに優れた機械でも、がんばる方向が定まっていないとがんばれません。人間には、その方向を探すとか、考えるといった、機械が苦手とする仕事が求められています。
「がんばり」より上位の、知的・創造的活動ですね。
どちらの方向に進めばいいのか、これまでのレールの上にない未来をどう切り開くのか。こうした問題解決は、がんばってはいけません。「がんばり」を奨励する従来の価値観のままでは、むしろ人間特有の知的能力や創造性が発揮されず、機械に職を奪われかねない。そういう時代に来ているということです。
IT革命などと騒がれたのは15~20年も前のことですから、何をいまさらと思われるかもしれませんが、人工知能やロボットの技術革新に見られるように、IT化の本当の衝撃というのはむしろ今世紀に入ってからでしょう。人間が何を考えているかを感知するセンサーや、小説が書けるソフトまでできている。いままさに人間の「がんばり」が、取って代わられようとしているのです。この現実が、あまりに過小評価されているのではないでしょうか。
昨年、英オックスフォード大学の教授も「今後10年で、人間の行う仕事の約半分が機械に奪われる」という衝撃的な予測を発表しました。
しかし、日本ではあまり重く受け止められていませんね。日本ではそれが20世紀のIT革命と言われた頃の話で、とっくにその変化の波に乗り、うまくやってこられたと考えている。何かタカをくくっているような風潮があるのが、私は心配です。
たとえばソフト開発の技術者に聞くと、最近になって求められる能力が変わってきた、デジタルよりもむしろアナログの能力が重視されるようになってきた、と言います。つまり技術的な専門性は、すでにITが肩代わりしていて、アナログの人間的な泥臭い能力がプログラミングなどの現場で求められている。まさに現在進行形の新しい変化だと思いますね。実際、「いままで優秀とされていた人が活躍できなくなってきた」いう声を、いろいろな組織の現場で聞くようになったのが、『がんばると迷惑な人』を書くきっかけの一つでした。
組織の人事部門にとって看過できない話ですね。人事の価値観も覆りかねません。
少々極端なことを言うと、私は、これまでの人事の評価や管理の枠組みがまったく通用しなくなる時代が来るのではないかと思っています。つまり人間に残される仕事が、新しい方向を探したり、考えたりする知的活動だけだとすると、何をどう考えているかはそれぞれの頭の中。可視化も数値化もできないので、仕事のプロセスそのものが見えなくなってしまうわけです。見えないものは、評価や管理のしようがありません。むしろ人が人の中身を評価することはできないという、ある種の謙虚さも必要ではないでしょうか。従来の評価や管理の及ばない部分こそが、求められるのですから。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。