リスキリング促進に向けて企業に求められる人材マネジメントとは
マーサージャパン株式会社 組織・人事変革コンサルティング アソシエイト コンサルタント 嘉山 央基氏
昨今、「リスキリング」という言葉への注目が高まっている。2020年のダボス会議ではリスキリング革命が主要な議題に上がっており、国内でも2022年10月に政府が今後5年間でリスキリングの支援に1兆円を投じると表明するなど、今後リスキリングを巡る社会的な動きはますます活発化していくと考えられる。そのような中で多くの企業はリスキリングの必要性を認識し始めているものの、その取り組みはまだ緒に就いたばかりである。本稿では、企業がリスキリングを促進するにあたり乗り越えなければならない課題とその対応として考えるべき視点について述べていきたい。
リスキリングが求められる背景と企業の課題
まずは、現在企業においてリスキリングが求められている背景について見ていきたい。外部環境の激しい変化の中で、多くの企業では事業構造の大幅な転換等が進む結果、職務の見直しも進んでいる。それに伴い、今後の自社の職務に求められるスキルと自社の人材が保有するスキルのミスマッチに直面している企業は多い。リスキリングと言うとDX推進の文脈を想像しがちであるが、企業の置かれている状況によっては、デジタル系のスキルに限らないより広範な職域におけるビジネススキルやマインドセットの変革も求められる。従業員のリスキリングをうまく行えない場合、企業は職務に求められるスキルの変化に対応できず、事業の継続的な運営に支障をきたすことになるだろう。このような背景のもと、リスキリングの必要性に対する企業の認識は高まっており、各社は様々な取組みに着手し始めているところである。
ここで、ある企業のリスキリング施策について、筆者の支援実績をベースに論じたい。
製造業A社では、データやデジタル技術を活用した製造プロセス改革や新たな製品・サービスの価値の向上が喫緊の課題となっている中で、従業員のリスキリング施策を検討されていた。クライアント内では当初、自社に今後求められるスキルを定義の上、自社の人材の保有スキルとのギャップを確認し、そのギャップを埋めるための研修プログラムの開発・展開を行うことを想定されていた。しかし、外部の客観的な立場から当時のクライアントの状況を伺うと、このアプローチだけではリスキリングを促進することは難しいように思われた。A社はそれまでOJTを中心に従業員の育成を行っており、新入社員や管理職等の一定の階層以外には研修提供や学びを啓発するための施策を行っていなかった。そのため、従業員は新しいことを学ぶ習慣がほどんどなく、研修プログラムを展開しただけでは、従業員のスキル習得やその後の行動変容に結びつかないことが懸念されたからである。そこで、クライアントとの議論のもと、当初想定されていた検討内容に加え、従業員の学びを喚起するための施策についても検討・実施を行った結果、現在では少しずつリスキリング施策の効果が表れ始めていると伺っている。
一般的に日本の従業員は自ら学ばないと言われる。勤務先以外での学習や自己啓発活動を「とくに何も行っていない」人の割合に関する国際比較データでも、日本人の割合が最も高くなっている(図1)。
上記で紹介した事例では、事前に従業員の状況を想定することでリスキリングを効果的に促進することができたが、ここで想定された懸念点は多くの日本企業に共通する課題なのではないかと思われる。
学ばない従業員の原因を探る
では、日本企業の従業員が自ら学ばない原因はどこにあるのだろうか。原因は複合的ではあるものの、筆者は多くの日本企業が長年行ってきた従業員の非自律化をもたらす人材マネジメントに主な原因があるのではないかと考える。
ここで、マーサーが2022年10月に行った「キャリア自律に関する意識調査」を見ていきたい(図2)。
キャリア自律の高い層(キャリアを自己選択し、キャリアの構築を自己責任と考える人材)の割合は11%に留まっており、78%と大多数の人材がキャリア自律の低い層に位置づけられている。
これまで多くの日本企業が行ってきた人材マネジメントは、日本固有の雇用慣行の結果として、雇用保障と引き換えに育成・配置に対して広範な裁量を企業側が有し、従業員の意思や希望を尊重しない場面が多かった。こうした企業主導の人材マネジメントは、現在ほど環境の変化が大きくなく、高品質な製品やサービスをいかに提供するかが事業成功の鍵となった時代には、強みとして機能した。なぜなら、長期勤続で育った同質性の高い従業員が集まることによる、技術・ノウハウの習熟や、高いチームワークに裏打ちされたすり合わせ力によって高品質を実現しやすく、それが日本企業の競争優位となったからである。このような企業が長らく行ってきた人材マネジメントにより、調査結果に見られるようなキャリア自律の低い従業員が多く発生したのではないかと考えられる。
しかし、現在では、デジタル領域の技術革新やグローバル化が進み、企業の競争力の源泉が、デジタル技術を用いた製品・サービス、ビジネスモデルの変革やグローバルビジネスの展開力等に変わってきている。定まったルールの中で品質を向上させるよりも、変化に対応する力がより必要になっているのである。このような中で、これまで企業が主体となって場当たり的なアサインを行い、OJTで必要なスキルを後追い的に学ばせるやり方では求められるスピード感についていけなくなりつつある。それよりも、従業員が自らの意思で学びたい領域を選び、自発的に、事前にスキルを獲得する努力をするように仕向ける方が、より機能する場面が増えているからである。
さて、リスキリングの話に戻ると、多くの日本企業の従業員に刷り込まれたこのキャリア観は、リスキリングと相性が悪いと言える。キャリア自律の低い従業員は、自身のキャリアプランをもとに計画的に何か新しいことを学んで職務に活かすという発想になりづらく、与えられた環境の中で精一杯頑張るという状況に陥りやすい。キャリア自律の低い従業員が多数を占める企業においては、自社にとって必要なスキルを学ばせるための研修プログラムを提供したとしても、従業員の学びや行動変容につながりにくいと想像できる。
リスキリングを促進するために企業が考えるべき視点
以上に見てきた企業が直面している課題を踏まえ、企業がリスキリングを促進するうえで考えるべき視点を最後に述べたい。学ばない従業員を生み出してきた要因が、日本企業がこれまで行ってきた従業員の非自律性をもたらす人材マネジメントにあるという前提に立つと、企業がリスキリングを促進するためには、従業員のキャリアの捉え方のパラダイム転換を図る必要がある。企業は「リスキリング=教育研修機会の提供」という狭い視点ではなく、自社の人材マネジメント全体が従業員の自律性の向上や学ぶ意欲の喚起に寄与する仕組みとなっているかを今一度検討する視点が必要であろう。これまでの企業主導の人材育成・キャリア形成の考え方から、従業員主導の考え方へとシフトを図ることが重要となる。
具体的な施策の方向性としては、「従業員のキャリア自律を高めるためのマインド面への働きかけ」、「従業員主導でキャリアを選択できる機会提供」等が考えられる。前者では、自社のビジョンや戦略、それに伴いリスキリングを行うことの必要性等について従業員の理解を促し、会社と従業員の間でキャリアについて話し合う機会を定期的に持つことで、マインド面の変革を図っていく。後者では、社内公募制度・社内FA制度、副業・兼業支援制度等の導入により従業員主導でキャリアを選択できる仕組みを整備していくといった取り組みがあり得るだろう。自社に必要なスキルの定義や研修プログラムの開発も当然大事な取り組みではあるが、ここに挙げた施策を一体として展開することでより効果的に社内でリスキリングを促進することが可能になると考える。企業がリスキリングの促進のためにどのような視点を持つべきか、本稿がその参考となれば幸いである。
組織・人事、福利厚生、年金、資産運用分野でサービスを提供するグローバル・コンサルティング・ファーム。全世界約25,000名のスタッフが130ヵ国以上にわたるクライアント企業に対し総合的なソリューションを展開している。
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