松井証券株式会社
社員の主体性が「人事評価」を決める
変化の激しい時代、企業は生き残りをかけてさまざまな経営戦略を行っている。人事制度もそのひとつであり、昨今は日本的な終身雇用や年功序列などを見直し、個人の能力や成果による評価を重視する企業も少なくない。社員の働く意欲をどのように高め、どう評価するかが今後重要なポイントとなってくるだろう。「年俸制」と「360度評価」を導入し、年齢に関係なく活躍できる仕組み作りを行っている、松井証券の足立朋子・総務企画部担当課長に話をうかがった。(聞き手=ジャーナリスト・溝上憲文)
- 足立朋子さん
- 総務企画部担当課長
あだち・ともこ●1977年生まれ。2000年名古屋大学法学部卒業後、松井証券入社。2000年4月テレサポート2部(顧客サポート)、2000年6月開発部(トレーディングシステム開発)、2000年10月ネットストック運用部(WEB管理)、2002年2月営業企画部(営業推進、WEB管理)、2002年8月経営企画部(広報、IR)、2004年2月総務部(法務)、2006年5月から現職(人事労務・総務・法務担当)
松井証券といえば、松井道夫社長の個性に象徴されるように家族的な日本企業とは違い、会社と個人がある意味でドライな関係にある社風という印象があります。
当社が採用活動を通じて常に言っているのは「主体性のある人材を求めている」ということです。会社が社員の人生を囲い込むようなことはなく、対等な関係でありたいというものです。そのため福利厚生制度はほとんどありませんし、退職金なども全部廃止しています。給与体系も家族を持っているから手当を出すとか、住宅手当を出すこともなく、完全な年俸制を導入しています。プロ野球の年俸交渉ではないですが、「これだけ私は働いたのだから、これだけの年俸をください」という仕組みにしています。
松井証券自体は古い会社ですが、やはり松井道夫社長が就任してから変わったのでしょうか?
松井自身として社員が会社にぶら下がっている風土というのは負担だったようです。証券業は業績の変化による影響が大きいですから、好調なときはいいですが、悪いときに何百人の社員を背負っていくのは負担が大きいと考えていたのだと思います。社員一人ひとりが自立し、力を結集して会社として成長しようというのが基本的な考えです。
また、当社はインターネット企業ですから、営業マンが足で稼ぐビジネスとは違います。独立した社員一人ひとりの創意工夫が成長の原動力となりますので、主体性を持った人材を求めているのです。
年俸制が若手の「モチベーション」を上げる
具体的に求める人材像とはどういうものでしょう?
よく言っているのは「地頭のよい人」です(笑)。当社の採用試験ではおもしろい問題を出していまして、その中のひとつに「日本全国にガソリンスタンドは何軒ありますか?」というものがあります。これは具体的に何軒という数字の答えを求めているのではなく、答えを出す上での考え方のプロセスに注目しています。たとえば1ヵ月に何回給油し、日本に車が何台あるからガソリンスタンドはいくつあるといったように筋道を立てて考えることができるかどうかという点をチェックしています。
単なる知識ではない。
その通りです。知識はもちろん、理系・文系に関係なく、本当に主体性を持った考え方ができる人ということになります。ですから、面接でもその人がどういった考え方をしているのかわかるようなやり方をしています。また、東京証券取引所で開催された当社の会社説明会では、社長の松井自身が今後の人生にとって必要なものとは何かや、ものの考え方に関する熱い思いを学生さんに語りかけることもしています。今年4月入社予定の内定者は10人弱ですが、来年はもう少し増やしたいと考えています。
最近の学生は企業選びにおいて「人事処遇制度」に対する関心も高まっています。御社の年俸制とはどういうものですか?
年俸制を導入した背景には、若くても能力の高い人の収入をぐんと引き上げたいという思いがあります。それまでは年功序列の給料体系で、若くて能力の高い人でも、年齢が高い人に比べると給与を抑えられていました。そうではなく、評価が上がれば年俸も上がり、若い人でもどんどん抜擢される制度に変えたのです。役職者になるとモチベーションが上がりますのでよかったのではないかと考えています。
「好き嫌い」も評価基準になる
年俸制といっても実質的には給与と賞与を分けて支給している企業が多いですが、御社の場合は、年俸額1本で支給する完全年俸制と聞いています。
はい。学卒入社の初任年俸は350万円です。その後は評価と毎年の経常利益の増減に比例して年俸が決定されます。具体的には評価によってアップ率とダウン率が決まりますが、その評価に経常利益の増減率を掛け合わせる形で年俸が確定します。上限は2000万円、下限は300万円となっています。細かく言いますと、評価ランクは上からS、A、A-、B+、B-、C+、C、C-の8つに分かれ、それぞれ年俸額に対する増減率が決まります。たとえばS評価の場合は、15~20%の幅で年俸額が上昇し、逆にB-以下の評価を受けると年俸額が変わらないか減少することになります。入社3~4年目の社員でも大きく年俸額が上がる人もいれば、30代の社員でも大きく下がるなどアップダウンも激しいですね。
年俸を決める評価制度も特徴的ですね。上司が評価するための評価基準もなければ評価シートもありません。松井社長も著書(『好き嫌いで人事』・日本実業出版社)で「評価にあたっては、定量的に数字を積み上げるだけのスタイルを排して、面接を重視した、きわめて感性重視の手法で行われる。誤解を恐れずにいえば「好き嫌い」に基づく評価である。人が人を評価するのだから、それで構わないと割り切ることにした。そもそもどんなに精緻な定量的・評価基準を導入したからといって、完璧に客観的な人事評価制度など存在しないのである。ある意味、評価とは実に感情的・主観的なものであると割り切ったということである」と述べています。
刺激的なタイトルですが、松井が言っているのは、人が人を評価することは突き詰めていくと無理であり「好き嫌い」を評価基準にしてもいいのではないかということです。「好き嫌い」には、それなりの理由があるんだと思います。誰もが、仕事がしにくい、あるいは仕事を任せやすい、任せにくいという感情を持っているのではないでしょうか。もちろんその人の成果を重要視しますし、成果を出したのに、単に嫌いだから評価を下げるということはまったくありません。評価をつけていく段階では、必ず上司と面接をします。たとえば上司が部下を毛嫌いしていて、「お前はC評価だ」と言ったとしても、部下はその場で反論できるわけです。
なるほど。具体的には評価はどのような手続きで行われるのですか?
評価の流れは、まず直属上司が1次評価を行い、次にその上の部門長が2次評価、さらに人事委員会の評価と3段階で行います。基本的に評価シートはありません。以前は評価シートがあり、3つの項目に分けて達成率を評価していました。しかし、突き詰めていくと、いったい何に裏打ちされたものなのかがよくわからない。また、会社に貢献し、業績を上げることに直結するのかといえば、それもよくわからない。そうであれば、直属の上司が考える評価に関して全幅の信頼を置いてもいいのではないかということです。もちろん、その評価が各部門との比較でブレがあったら人事委員会で調整することになります。
それでも期初に上司と部下の間で目標なり、課題は設定するのですか?
期初と中間で面接を行うので、課題は設定しますし、中間面接では進捗状況について評価もします。そのときに部下が「私はこれをやります」と約束します。開発部門であれば、「この商品をリリースします」とか、それぞれの部門によって当然違う課題を設定することになります。その課題について、面接では部下が「私はこれを実現しました」と主張するのです。課題の設定はフリーなので大きな課題なら一つでもいいし、いくつあっても構いません。入社1~2年目の若い人は、そうした課題を見つけて成果を出すというのはむずかしいので、その人のポテンシャルや、どれだけ勉強し自己研鑽をしているかも評価の対象にするなど、将来性という意味で評価をしています。
成果に対しては中間の面談でも一応評価します。しかし、中間はあくまで目安であり、期末の評価が年俸に反映されます。
上司と部下が相互に「360度評価」
評価される側もどんな課題を設定するのか大変ですが、評価する上司の側もどういう基準で評価すればいいのか、悩みますね。
じつは上司が部下を評価するだけではなく、同時に部下も上司を評価する仕組みを取り入れています。いわゆる360度評価を実施しており、部下が直属上司の評価をします。被評価者は役員以外の管理職と年俸上位者である管理職候補が対象になり、現在、約25人います。
部下が上司を評価するといっても一般的な360度評価のように評価項目があるわけですか?
いえ、それもありません。部下が上司について自由に書き込む方式になっています。ですから自分なりにいくつかの観点を設定して評価することになります。たとえば部下の面倒見や、統率力といったものを自分で設定し、評価するのです。上司が部下を評価する時期と同じで、中間と期末の年2回評価します。さらに下からだけではなく、横の評価、つまり管理職や年俸上位者同士でも評価をします。横からの評価では、管理職や年俸上位者同士が自分を含めた25人の中でもっとも評価の高いと思う人から、25位まで順位付けをするのです。その結果は、部下の評価と部門長が評価したものを含めて一緒に人事委員会に送られ、そこで最終的な評価が下されます。上司側には部下がどんな評価をしたのか見えませんので、自由に評価できるようになっています。
そうなると、上司はいかに「好き嫌い」で評価してもいいといってもいい加減にはできませんね。ある意味で部下に対する適正な評価を促す牽制機能の役割もありますね。
もちろん、いいかげんな評価はできません。上司から不当な評価を受ければ、当然納得がいかないという意見も出るでしょう。上からの評価だけだと、そこしか見ていないということもあります。広く見渡せるという意味でこの評価制度はなかなかおもしろいし、それなりに機能しているのではないかと思います。もともと年俸制に移行する場合に、評価の仕組み自体も変えないといけないということで2004年の年俸制の導入と同時に評価制度も変えています。
部下にとっても管理職にとっても、まさに主体性を持って評価しなくてはいけないということですが、当初はとまどいもあったのではないですか?
まったくゼロからのスタートですので、とまどいはありました。評価する内容はフリーですから、何を書いていいのかわからないといった経験をしながら、蓄積してきています。何をどう評価するのかについて自主的に考えるのが上司に課せられた使命ですし、それぞれが自主的に勉強しているのではないかと思います。今では定着した感はあります。
そうはいっても評価に不満はつきものです。苦情処理を含めて人事委員会の機能はどうなっているのですか?
人事委員会には社長と副社長、人事担当の役員、それにコンプライアンスオフィサーと呼ばれる担当役員の4人のメンバーがいて、中間と期末の年2回開催されます。評価に対する苦情については、管理職は人事委員会で面接の機会を設けています。たとえば管理職が上司から不当な評価を受けた場合は、人事委員会で弁論の余地があり、「この評価はおかしいのではないか」と言うことができます。ただし、一般社員の場合は面接を重視して評価していますので、上司から評価結果のフィードバックを受けた際に、話し合いをすることになります。それでも不満があれば人事委員会に伝えることができますし、その結果に不満があれば、話し合う機会はあります。しかし、今のところは齟齬が出ているということはありません。
そういう意味では上司と部下のコミュニケーションは重要ですね。
もちろん、当社でも面接は重視しています。人事部で部屋などを事前におさえており、「この時間に面接してください」と通知していますので面接しないということはありません。
年齢に関係なく昇給や昇進が決まるということですが、今は同じ管理職でも年齢差は相当開いているのですか?
年齢に関係なく実績で登用していきますから、同じ管理職でも年齢はばらばらですね。ちなみに管理職の中で一番若い年齢は私でして29歳ですが、上は40代までいます。
評価の基準はあくまで実力・成果ということですね。年俸制になってから社員のモチベーションは上がりましたか?
あくまでも評価の基準は成果を出すことです。新しいことにどんどんチャレンジしていこうというのが当社の社風でもあります。いままでのルーチンワークを普通にやっているより、成功するか失敗するかに関係なく新しいことにチャレンジしていく人の評価を高くしていますね。私たちも評価をするときには「去年と同じことをしているのではいけない。新しいことをしている人の評価を高くするのでどんどんチャレンジしてください」と言っています。
足立さん自身は人事の仕事は長いのですか?
先ほど管理職の中では一番若いと言いましたが、じつは2006年5月からこの仕事に携わっています。それまでは法務の担当をしていまして、そこから総務企画部の担当課長ということで総務企画部全体を見る立場になり、人事も担当するようになりました。そういう意味では経験も浅いのです。去年から採用も担当していますが、学生さんに対して会社のすべてを凝縮して30分ほどの短い時間で伝える必要があり、いろんな意味で勉強になりますし、おもしろい仕事だと思っています。
就職活動をしている学生さんに改めて御社の魅力を訴えるとすればどんな点ですか?
若い人の力を信じていますし、何か新しいことをやりたいといえば積極的に登用する会社です。実際に私自身、入社1年目に携帯端末での株取引の導入プロジェクトに参加したいと手を挙げたらメンバーに入ることができました。積極的に手を挙げる人を信用してどんどんやらせていくという風土がありますね。たとえば自分の意志で新しい株取引をやってみたいとか、何か新しいことをやってみたいという思いのある人にとってはおもしろい会社だと思います。
本日はどうもありがとうございました。
取材を終えて 溝上憲文
多くの企業で成果主義人事制度が浸透しつつあるが、その運用の根幹ともいえる評価制度のあり方が改めて問われている。最近は従来の評価制度を見直し、新たに業種・業態や職種、あるいは会社の特徴に合わせた多様な評価制度も登場しているが、最終的には評価される社員の納得度が重要である。完全年俸制をとる松井証券は、評価に関して基準もなければ定型のシートもない。上司に評価権限を完全に委譲する一方で、部下による上司の評価も取り入れるという双方向型のユニークな評価システムを構築している。その根幹にあるのは上司と部下のコミュニケーションの重要性であり、互いが主体性を持つことで機能するという、まさに同社の社風に合った仕組みといえるだろう。
(取材は2007年1月23日、東京・麹町の松井証券にて)
みぞうえ・のりふみ●1958年、鹿児島県生まれ。明治大学政経学部を卒業後、月刊・週刊誌記者などを経て現在フリー。新聞、ビジネス誌、人事専門誌などで経営、ビジネス、人事、雇用、賃金、年金問題を中心に執筆活動を展開。主な著書に『隣の成果主義』(光文社)、『超・学歴社会』(光文社)、『「トヨタ式」仕事の教科書』(プレジデント社、共著)、『人事管理の未来予想図』(労務行政研究所、共著)など。近著に『団塊難民』(廣済堂出版)。日本人材ニュース編集委員も務めている。