「見えにくいけれど大切なもの」を見えるようにする社会学的視点
組織を変えたい人事のための
「組織エスノグラフィー」入門(前編)
法政大学キャリアデザイン学部 准教授
田中 研之輔さん
うまくいっている組織の内側を探るために自らアルバイトを体験
従来、社会学という学問の重心は、どちらかというと社会のネガティブな面、いわゆる社会病理の分析にありました。労働現場における社会学にしても、劣悪な職場環境や雇用の悪化、非正規雇用の増大といったさまざまな社会問題への分析や考察を試みてきたものです。そのため、社会学は経営側と対峙するスタンスをとるのが普通でした。
しかし、最近のトレンドは逆なんです。日本ではまだですが、アメリカでは先ほど述べたように、社会学と経営がものすごく近づいてきている。社会学者の研究会に経営者やビジネスパーソンも参加していますし、社会学のPh.D.をもって経営コンサルタントになる人もいるくらいですから。経営に対峙するのではなく、いわば経営に資する社会学。そうした新しいトレンドの中では、組織エスノグラフィーも、組織の問題や病理に対する処方箋というだけの位置づけにとどまりません。
逆に、うまく回っている組織に入り込み、なぜうまく回っているのかを読み解いて言語化すれば、他の組織や職場に展開することもできるでしょう。うまくいっている組織は往々にして、なぜうまくいっているかを語れていませんから。そこにある暗黙知や目に見えない仕組みをきちんと糸をほぐして見えるようにする――組織エスノグラフィーは、“経営×社会学”という切り口で、いい組織の実態に迫るためにも有効な手段となり得るのです。
田中先生の、エスノグラファーとしての最初の研究成果をまとめたご著書『丼家の経営』では、24時間営業の牛丼チェーン店の実態を取り上げています。
4年間の客員研究員を終えて帰国したとき、たまたま丼家に立ち寄って、感動したことが本を書く出発点でした。あの低価格にして、あのサービスと質の高さは世界に類を見ません。しかも24時間営業ですからね。どうやって各店舗を回しているのか、驚きの提供スピードや低価格の舞台裏、圧倒的なコストパフォーマンスの秘密に興味がわいて、5年間にわたるフィールドワークを行いました。『丼家の経営』は、その調査成果をまとめた組織エスノグラフィーです。
具体的な調査手法として、来店観察や店舗マネジャー・従業員へのインタビューだけでなく、驚いたことに、田中先生自ら店舗でのアルバイトまで経験されていますね。
各社あわせて125店舗ぐらいに客として来店し、店の様子を観察しました。そうすると、オペレーションの輪郭が客観的に見えてくるので、次はオペレーションする側へ回って見てみようと。それが、先ほど言った「自らの身体を賭けて現場に入り込む」ということなんです。
フィールドワークの対象が労働現場である以上、そこで働く人々に取材をしながら、なおかつ、いっしょに働いてみないと、現場の内側へ深く入っていくことはできません。そこで、実際にアルバイトの面接を受け、採用された店舗で研修を積み、店員として顧客に商品を提供するところまで体験したのです。もちろん、完全な“潜入取材”というわけではなく、マネジャーを始め何人かのキーパーソンには本当の目的を説明しています。ちなみに、私の師匠であるヴァカン教授は、シカゴの貧困社会の深部に迫るために、街のボクシングジムに入会し、ボクシングを始めました。ジムに集まる人々と拳を交えることで、シカゴの社会が分かると考えたからです。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。