ジョブ型人事指針を読む(下)
-先行20社の事例より:権限移譲と導入プロセス[前編を読む]
ニッセイ基礎研究所 総合政策研究部 主任研究員 小原 一隆氏
1――はじめに
前稿では、「ジョブ型人事指針」に基づき、同指針の「3.(4)等級の変更」までの各項目について触れ、ジョブ型人事の基本(全体の枠組みや設計)と目的(導入の狙いと背景)について、事例から共通点、独自性のある取り組みを整理した。
本レポートでは、前稿に続いて、同指針の「4.人事部と各部署の権限分掌の内容」(権限移譲)、「5.導入プロセス」(制度の具体的な導入手順や組織への定着)について概観する。基本から一歩進み、各企業がジョブ型人事を効果的に運用するための手順・工夫について取り上げる。権限委譲の形態や導入プロセスは企業ごとに異なり、ジョブ型人事制度の効果的な運用には柔軟な対応が求められる。組織に制度を定着させる手順や工夫等について触れつつ、企業に加えて公務員への適用、そして懸念点等も含んだ所見を述べる。
ジョブ型人事指針の構成は下記のとおりである。
2――ジョブ型人事指針の内容
(以下の番号は、ジョブ型人事指針の構成に合わせている)
4|人事部と各部署の権限分掌の内容
ジョブ型人事制度の導入により、多くの企業が人事部の権限を現場に委譲している。採用や配置、昇進、さらには報酬の原資等、従来は人事部が一元的に管理していた領域を、各部署のマネージャーが事業戦略に応じて柔軟に運用できるようにし、人事部はサポートや戦略策定に注力する形へと移行している。この体制によって、より迅速かつ的確な人材マネジメントが実現されている。
共通する取り組み
(1)権限の委譲
中央集権的な人事運営から、各部署や現場に権限を委譲する方向にシフトしている企業が増えている。特に、採用、昇進、配置等の決定権が現場マネージャーに委ねられている。例えば日立製作所、オムロン、中外製薬、三菱マテリアル等がこの方向性をとっている。
(2)HRBP(Human Resource Business Partner)の導入
権限移譲の支援として、多くの企業でHRBPが導入され、各部門の人材マネジメントをサポートしている。HRBPは事業戦略と人材戦略の統合を支援し、企業の持続可能な成長に貢献している。例えばリコー、三菱マテリアル、メルカリ等が導入している。
(3)HRテクノロジーの導入
富士通、三井化学、三菱UFJ信託銀行等では、各部署の予算・定員管理やパフォーマンスの把握をリアルタイムで行う仕組みを導入することで、より戦略的な人材管理を実現し、現場での意思決定をデータで支援している。
独自性のある取り組み
(1)人事部改革の徹底
レゾナック・ホールディングスでは、メンバーシップ型人事制度の影響を受けた多くの社員が、事業部門への権限移譲後も従来の運用に戻るリスクを懸念していた。これに対し、人事部の変革を徹底的に進めなければならないと指摘する。
(2)人事部門の創設後に現場に権限移譲
東洋合成工業では、従前は人事機能が整備されておらず、組織成長上の課題であったことから、いったん中央集権的な人材総務部を創設した。その後、主力拠点に人事担当者を配置するというステップを踏んでいる。
まとめ
- HRBPの設置により、各部署への権限移譲が円滑に進んでいる。特に採用、配置、評価等に関する意思決定が現場レベルで行われるようになり、組織の柔軟性が向上した。
- メンバーシップ型人事からジョブ型人事へ転換する際に、従来の文化が強く残る場合があり、人事部の改革が鍵となっている。HRBPの役割が重要になっている一方で、その効果を最大限に引き出すためには、文化の転換が不可欠とされる。
- 人事運営におけるデータ活用が進むことで、採用・昇進・配置のプロセスにおける透明性が向上し、現場での判断がよりデータに基づいたものになることで、社員の信頼を得やすくなっている。
5|導入プロセス
ジョブ型人事制度の導入は、多くの企業で段階的に進められている。まず管理職層や特定の部門で試行し、フィードバックをもとに全社へ拡大するケースが一般的である。また、労使協議や社員研修を通じて従業員の理解を促し、制度のスムーズな導入を図るとともに、激変緩和措置等で柔軟な運用が行われている。
共通する取り組み
(1)段階的な導入
前稿においても触れたが、多くの企業は、ジョブ型人事制度を全社に一斉に導入するのではなく、まずは特定部門や管理職層に限定して導入し、徐々に拡大する段階的なアプローチを採用している。これにより、初期段階で発生する課題の特定と改善が可能である。例えば富士通や三井化学は管理職層から着手し、段階的に拡大した。また、企業によっては、実験的に特定部門で導入し、その後全社的に拡大するアプローチも見られる。
(2)労使協議の実施
制度導入前に、労働組合や社員代表と協議を重ねるプロセスが共通している。これにより、社員の不安を軽減し、導入後のトラブルを防止する。例えば、ライオンや資生堂では数年かけて労使協議を実施し、制度導入に向けた土壌を整備した。
(3)社員研修の実施
新しい評価基準やキャリアパスの理解を促進するための研修が行われ、多くの企業が社員に対して説明会を実施している。富士通では、ジョブ型の評価基準を社員に周知するための研修プログラムを導入した。
独自性のある取り組み
(1)柔軟な労使協議
メルカリのように労働組合を持たない企業は、全社集会や制度説明会を通じて、CHROや担当者が自ら社員に制度の説明を行い、フィードバックを基に制度を柔軟に改善していくという方法を取っている。
(2)企業統合後の制度統一
三井化学は、M&Aにより買収した会社との人事制度を統合する際、画一的なルールではなく、相手企業の人事制度の良い部分を取り入れて柔軟に対応する方法を採っている。
まとめ
- 段階的な導入により、初期の課題を特定して対応策を講じることで、全社展開時の混乱を防ぐことができる。
- 制度導入の前提として、労使協議を丁寧に行うことで、社員の納得感を高め、円滑な制度導入が実現できる。
- 全社的な制度導入後も、フィードバックを受けながら、必要に応じて制度の改善を行う企業が増加している。これにより、長期的な制度の安定運用が図られている。
3――全体を通したまとめ
以上、前稿とあわせて、ジョブ型人事指針における各企業の取り組みを概観した。特徴他をまとめる。
(1)導入目的の多様性と共通性
導入の目的は多様だが、従前のメンバーシップ型人事制度では、様々な変化に対応しきれなくなったことが背景にある。具体的には、業績、グローバル化、DXの必要性、合併対応、従業員の転職等である。これらを放置しては持続的な成長が難しいという危機感があったのだろう。現有の人材を起点とするのではなく、経営戦略を起点としてバックキャストした組織作り、ジョブ定義というのが特徴的である。
(2)ジョブ型人事の骨格は区々
企業ごとに事情が異なることもあり、導入範囲や、ジョブの等級、報酬、評価等は区々である。段階的に導入して全社に広げるアプローチが多くみられる。従来の年功序列型から、職務の責任や難易度に応じたものとなり、透明性を高めることとしている。ジョブの等級の数や範囲は企業ごとにことなる。報酬面では、同一ジョブでシングルレートであったり、レンジ級であったりと、これも区々である。評価に関しては、給与面まで成果に応じて増減するような建付けの会社もあり、欧米型のジョブ型と異なり、成果主義的要素等が混在しているケースが見られる。また、社員の成長と成果を促進するための仕組みが整備され、数量面だけでなく、行動や長期的成長をも評価対象とするケースもある。また、定年制度を見直す例もある。
(3)自律的なキャリア形成の促進等
ジョブに基づいた柔軟な人材採用が進められている。新卒採用だけでなく、経験者採用が重視され、特に即戦力となる専門人材の確保が重要である。中にはCxOクラスを外部から調達するケースもある。キャリア自律支援の面では、社内公募やキャリア開発プランの充実により、社員が自らキャリアを選択し、自律的に成長できる仕組みが整備されている。それをサポートする1on1ミーティングやその前提となる管理職の育成・指導能力の伸長も必須である。年齢にとらわれないため、若手の抜擢がある一方で、降格もこれまでより頻繁に発生するが、報酬の減少等に関して激変緩和措置を講ずる例が多い。一方、再チャレンジの制度も整備されるケースもある。
(4)権限移譲とHRBP
現場のマネージャーに人事に関する権限を委譲し、採用・昇進・配置等を判断を任せる一方で、人事担当者が現場で人事面でのサポートをする、HRBPとして機能させる、脱中央集権化のケースが多い。また、HRテックを活用し、人事関連業務におけるデータ活用による効率化、迅速化、透明性の向上させている。
(5)段階的な導入と労使コミュニケーション
時間をかけて合意形成するケースが多く、従業員の不安を払しょくする丁寧な説明がなされたとされる。なぜ、ジョブ型が必要なのかという(会社が危機的状況にあること等、)ジョブ型導入により社員に不利益変更が生じうることも包み隠さず説明することが大切とする例もあった。
加えて、組織文化とエンゲージメントの向上を意識した取り組みも見られる。個を重視するようにシフトをしつつも、組織全体の一体感も大切にしたいという思いを述べる事例もあった。
4――公務員はどうなのか
ところで、新しい資本主義実現会議では、三位一体の労働市場改革の指針の中で、「『まず隗より始めよ』の精神で、国家公務員に関して育成や評価に関する仕組みをアップデートし、これを地方公務員や独立行政法人にも波及させることが必要」と明言している。令和6年度の人事院勧告においては、管理職の給与体系を見直し、職務・職責に応じた俸給体系への刷新を図ることが打ち出されている1。しかし、目立った急進的な変革が見られないのが現状である。
それにもかかわらず、政府自身が民間企業に対しジョブ型人事の導入を促し、フロントランナーを称揚している現状に鑑みると、今後、より迅速で具体的な進展が見られるのか、それとも表面的な改革に留まるのかが問われるだろう。「まず隗より始めよ」の精神が十分に発揮されることが期待されよう。
1 国家公務員のジョブ型人事の導入に関する議論は、一部報道でも取り上げられており、人事院勧告は具体的なステップを示してはいるものの、劇的な変化はまだ進んでいない。
5――おわりに
本レポート前後編では、内閣官房の「ジョブ型人事指針」に基づき、20社のジョブ型人事制度の導入事例について概観した。ジョブ型人事制度は、多様な業界や企業規模において様々な形で導入され、それぞれの企業が直面する課題や戦略的ニーズに応じたアプローチがとられている。特に、DX推進やグローバル競争力強化、社員のキャリア自律支援を目的として、多くの企業に共通する目的がみられる。一方で、導入の方法や範囲、評価方法等は企業ごとに異なり、多様な戦略に対応していることがわかる。
ジョブ型人事制度は、企業の競争力を強化し、社員のキャリア支援や組織の柔軟性を高めるために、今後さらに多くの企業で普及することが期待される。ただし、制度導入の際には、自社の文化や運用体制への適合性に注意を払う必要がある。
さて、20年以上前に成果主義が流行した際、メディアやコンサルタントが強く推奨したこともあり、多くの企業が導入したが、その首尾については賛否が分かれる。成果主義の導入によって短期的な成果が評価され、長期的な成長が軽視されるという弊害があったといわれる。ジョブ型人事に関しても、単に「流行しているから」「他社がやっているから」といった理由だけで導入を決定するのではなく、自社にとって本当に必要なのかどうかを十分に検討すべきである。
ジョブ型の導入の惹句のひとつに、年功序列を排することで勤続年数に関係なく、管理職等として処遇できる等から、若い世代にはチャンスが広がるというものがある。一方で処遇の下がる人もいる。若い頃は働きよりも低い処遇を甘受させ、年齢を重ねた後にはそのギャップを埋めることで長期勤務のインセンティブとしてきた企業が、ジョブ型に移行したとたんに処遇を下げ、過去のいわば借り(働き手から見て貸し)を帳消しにすることではないのか、との疑念を抱かれることのないよう、透明で誠実なコミュニケーションが求められる2。そうでなければ、従業員エンゲージメントの低下やそれに伴う生産性の低下、さらには離職率の上昇等、意図せざる結果が生じることが懸念される。
また、ジョブ型人事制度の導入は欧米型の雇用慣行に近づく試みであるが、社会の構造が大きく異なる日本においては、「日本流ジョブ型」を模索する必要がある。新卒一括採用制度や大学教育等のあり方が大きな変化を遂げない限り、欧米流のジョブ型人事制度が完全には機能しないだろう。むしろ、日本の現状に合わせた形で導入する企業が多数派であることが予想される。
とはいえ、若年層の失業率が高く、インターンシップが主な職業訓練手段である欧米のシステムを無批判に取り入れることが果たして理想的なのか、慎重な議論が必要である。特に、社会全体の労働市場や教育システムを含めた広範な議論が求められる。
その点においては、三菱UFJ信託銀行の取り組みは、非グローバルな企業、特に金融機関においてはヒントとなるだろう。「一国二制度」といった限定的な導入やそれをサポートする各種制度の構築は、ジョブ型人事制度の普及と成功において重要な役割を果たすことを示唆していると考えられる。
最後に、ジョブ型人事制度が日本の企業にどのように定着し、進化していくのかに注目しつつ、各企業が自社の特性や文化への適合を十分に考慮しながら制度のメリットを最大限に生かす工夫を重ねることで、より良い組織づくりや人材育成の実現と、その結果として社員の成長や組織全体のパフォーマンス向上につながり、ひいては日本経済の活性化や社会全体の活力向上にも大きく貢献することを期待したい。
2 オリンパスは、「ジョブ型」という言葉に対し、「降格するための制度を入れるのか」といったネガティブな反応があったが、ジョブ型人事の導入で目指すことは「成果だけで処遇する制度にすることではなく、適時に、適所適材を実行することを通じたフェアネスの徹底」と説明し、何度も対話の場を設けて労使妥結に至った。アフラック生命保険は、新制度導入の目的は、社員一人一人が最大限力を発揮できる環境を構築することであり、人件費削減を目的としたものではない。ジョブ型人事の導入にあたり、総賃金原資も増加している、としている。他社においてもジョブ型導入後に総人件費は減っておらず維持ないし増加したとされる。(ジョブ型人事指針)
ニッセイ基礎研究所は、年金・介護等の社会保障、ヘルスケア、ジェロントロジー、国内外の経済・金融問題等を、中立公正な立場で基礎的かつ問題解決型の調査・研究を実施しているシンクタンクです。現在をとりまく問題を解明し、未来のあるべき姿を探求しています。
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