ハラスメント対策がもたらす従業員のハラスメント基準の厳格化、その影響と対応
パーソル総合研究所 シンクタンク本部 研究員 金本 麻里氏
ハラスメントは、どこからがハラスメントかの線引きが難しいという問題がある。被害者によって何をハラスメントだと感じるかは異なり、主観的要素が強い分、客観的な線を引くことが難しい。裁判でもハラスメントにあたるかどうかは、一律の基準ではなく状況を総合的に判断し判決がくだされる。
とはいえ、2020年6月、改正労働施策総合推進法(通称:パワハラ防止法)の施行や、事件の報道、多様性尊重意識の高まりなどによって、ハラスメントへの社会的な圧力は増しており、人々が考えるハラスメントの基準は厳しくなっている。ハラスメント冤罪のような事案が増加していることからも、その流れは明らかだろう。ただ、そのようなハラスメント基準の「厳格化」の流れが、企業のハラスメント対策にどう影響するのかは十分に検討されていない。
そこで、パーソル総合研究所が2022年8月~9月に実施した「職場のハラスメントについての定量調査」の結果から、ハラスメント基準の厳格化の影響について考えたい。
ハラスメント対策によって企業が抱く懸念
厚生労働省が平成28年に行った「職場のパワーハラスメントに関する実態調査※1」では、パワーハラスメントの予防・解決のための取り組みを進めることで起こる問題として、「権利ばかり主張するものが増える」56.9%、「パワーハラスメントに該当すると思えないような訴え・相談が増える」48.9%が挙がった。多くの企業が、ハラスメント対策を進めることで、従業員がハラスメントに当たらないような事案もハラスメントだと訴えてくることを懸念している。
このような懸念が生じる理由として、企業はハラスメント被害を訴えられたからといって容易に加害社員を処分することができない状況がある。加害社員が会社にとって有益であれば判断に迷うであろうし、とりわけパワーハラスメントは線引きが難しいために、立証にはかなりの手間がかかるからだ。令和2年度の同調査では、65.5%の企業がパワーハラスメントの予防・解決のための取組を進める上での課題として、「ハラスメントかどうかの判断が難しい」を挙げている。また、ハラスメントには企業に対する訴訟のリスクもある。そのため、ハラスメント被害者からの訴えが増えたら困ると考える企業は多い。
それでは、本当にハラスメント対策によってこのような企業の懸念は現実のものとなっているのだろうか。
※1 厚生労働省「平成28年度 職場のパワーハラスメントに関する実態調査」の企業調査
ハラスメント対策によって従業員の「ハラスメント厳格度」は高まる
まず、本調査では、9つのエピソードを回答者に提示し、ハラスメントにあたるかを判断してもらうことで、個々人のハラスメントに対する基準の厳格さを測定した。その結果は図1の通りである。そして、9つのエピソードへの回答の平均値(5:間違いなくハラスメントにあたる~1:ハラスメントにはあたらないと思う、の5段階得点の平均値)を、ハラスメントの基準の厳しさを表す「ハラスメント厳格度」と定義した。なお、属性別に見ると、性別では男性よりも女性が、年代別では20代よりも30代以上でハラスメントに厳格な傾向が見られた。
「ハラスメント厳格度」と職場におけるハラスメント防止対策の経験との関係を見ると、ハラスメント対策によって従業員のハラスメント厳格度が高まっていた(図2)。ハラスメント対策は従業員のハラスメントへの意識を高め、ハラスメント基準の厳格化を促していた。ハラスメント対策は、2020年6月に大企業に、2022年4月に中小企業に義務付けられた。法令順守によって、日本の会社員のハラスメント基準はさらに厳格化すると考えられる。
ハラスメント基準の厳格化はハラスメントの顕在化を促す
さらに、ハラスメント厳格度が高い被害者・目撃者は、会社への相談行動をとりやすい傾向があった(図3)。厳格度が高まることで、自身が受けた被害を会社に相談するハードルも下がると考えられる。また、離職といった回避行動もとりやすい傾向があった。ハラスメントを経験した時に会社に見切りをつけるのも早くなるということだ。
つまり、ハラスメント対策が進むと、従業員のハラスメント基準は厳格化し、ハラスメントの被害にあったり見聞きしたりした時に、会社への相談行動をこれまでよりもとるようになる。調査結果からはハラスメントとは思えないような被害まで相談が増えるのかは分からないが、被害者にハラスメントと認知される事案と会社に相談される事案は増加すると考えられ、先述の企業の懸念は的中しているように見える。
ハラスメントの潜在化のデメリット
しかし、今のところハラスメント被害者の多くが泣き寝入りしており、むしろハラスメントは顕在化しづらい状況にある。またそれによって企業がデメリットを被っている。現在、人手不足の企業が過半数を占める※2にもかかわらず、多くのハラスメント被害が大量の離職者を生んでいるのだ。
本調査の結果では、ハラスメントは働く人の3人に1人が経験し、その内5割が会社に伝えず泣き寝入りをし、2割が離職する。その背景には、ハラスメント被害者が会社に相談しても解決しないと考え相談しない実態、そして事実、会社がハラスメントを認知していたとしても実効性のある対応が行われない実態がある。
本調査の推計によると、ハラスメントによる離職者数は、全国の総離職者の1割にのぼる。その内7割は、会社に理由(ハラスメント)を伝えないまま離職しており、会社が認識するよりもずっと多い。
さらに、ハラスメントへの厳格化が進めば、ハラスメントを放置するような企業にはこれまで以上に人が集まらなくなるだろう。ハラスメントが顕在化せずうやむやになることで、水面下で企業の体力低下を引き起こすと考えられる。
※2 帝国データバンク「人手不足に対する企業の動向調査(2022年10月)」による
ハラスメント基準の厳格化を生かすには
では、ハラスメント基準の厳格化の流れの中で、どのようなハラスメント対策が有効だろうか。従業員が被害を早めに会社に報告すれば、訴訟などの大事になる前に社内で解決でき、離職を防ぐことができる。ハラスメント被害をうやむやにするのではなく、厳格化した状況を逆手にとって、早いうちから芽を摘んでいくという発想に転換するのはどうだろうか。ハラスメント被害の訴えで注意したいのは、被害を訴える時には既に被害者の怒りや精神状態が相当悪化しており、訴訟や重い処分などを求められる点にあるのではないだろうか。そうではなく、もっと早い段階で上司や同僚に相談するように促していくことが重要だろう。
そのために、まずはハラスメント発生後の対応フローの整備やルールの明文化など事後対策の強化を行い、それを従業員にも周知していくことが重要だろう。それによって、従業員が会社を信頼して相談しやすくなり、会社からしっかりと判断されることが伝わればハラスメント冤罪も減る可能性がある。
また、社員がハラスメントを会社に相談するかは、社内に相談できる相手がいるか(社内関係資本の厚さ)に左右されることが調査から分かっている(図4)。社内の関係が希薄であれば、相談行動よりも離職などの回避行動を選びやすいだろう。テレワークで関係づくりが難しい職場もあるが、社内のコミュニケーション活性化を進め、従業員の相談経路を作っていくことが、ハラスメント対策のために重要であろう。
まとめ
本コラムのポイントは、以下の3つである。
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ハラスメント対策によって、従業員のハラスメント基準は厳格化しており、それによってハラスメントの被害にあったり見聞きしたりした時に、会社への相談行動や離職などの回避行動をとりやすくなる傾向がある。
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ハラスメント対策の推進によってハラスメントの被害訴えの増加を懸念する企業は多いが、現在のハラスメント被害者の泣き寝入りが多く、大量の離職者を生み出している状況のほうがデメリットが大きい。
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今後は、ハラスメント対策によって従業員のハラスメント基準が厳格化することを逆手にとり、事後対応フローの整備や早期の相談を促す社内ネットワークの強化によって、深刻化する前にハラスメント被害の芽を摘んでいくような対策が有効ではないか。
本コラムが職場のハラスメント対策についての建設的な議論の一助になれば幸いである。
パーソル総合研究所は、パーソルグループのシンクタンク・コンサルティングファームとして、調査・研究、組織人事コンサルティング、タレントマネジメントシステム提供、社員研修などを行っています。経営・人事の課題解決に資するよう、データに基づいた実証的な提言・ソリューションを提供し、人と組織の成長をサポートしています。
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