経営戦略と人事をつなぎ、変革を駆動する――ソニー、テルモで培った人事トップの哲学とグローバル人事の要諦
テルモ株式会社 経営役員 チーフヒューマンリソースオフィサー(CHRO)
足立 朋子さん

「組織や人の課題に、絶対的な正解はありません。大切なのは理論よりも対話です」――。テルモ株式会社CHROの足立朋子さんはそう語ります。ソニーの変革期や欧州での経験を経て「経営戦略と人事戦略のアラインメント」を追求してきた足立さん。一見すると華麗なキャリアの裏には、「正解」を求めて会社を飛び出した葛藤や、現場での地道な試行錯誤がありました。足立さんのキャリアを振り返り、「変革を駆動する人事の役割」とグローバル人事の要諦に迫ります。

- 足立 朋子さん
- テルモ株式会社 経営役員 チーフヒューマンリソースオフィサー(CHRO)
あだち・ともこ/1990年よりソニー(日米欧)にて人事制度企画、チェンジマネジメント、組織・人財開発などを推進。2005年より欧州で人事コンサルタントとして独立。2010年にソニーへ復帰し、グローバル人事戦略や変革を支援。2019年よりテルモ株式会社にてグローバル人事戦略を企画推進し、2023年4月より現職。
事業戦略と連動する「Growth Mindset」
足立さんは現在、テルモのCHROとして全社的な変革を推進されています。どのようなテーマに取り組まれているのでしょうか。
テルモは、売り上げの80%、アソシエイト(社員)の約8割が海外という、グローバル企業です。私が入社した2年後の2022年度から、5ヵ年成長戦略「GS26」がスタートしました。GS26では、「デバイス(医療機器)からソリューション(医療課題の解決)へ」といった大きな変革のテーマが掲げられています。
この事業戦略上の変革を実現するためには、組織文化の変革も不可欠です。そこで、人事戦略の大きな柱の一つとして、「Growth Mindset」の浸透を提案しました。
Growth Mindsetとは、どのようなものでしょうか。
新しいことに挑戦し、たとえ失敗しても、そこから早く学ぶことができる組織文化や思考様式のことです。新しい領域に挑戦する際、「やればうまくいく」とわかっていることは多くありません。失敗するかもしれないという恐れが、挑戦の妨げになります。
どのようにして、その重要性を全社に伝えたのでしょうか。
経営陣の理解を得て、グローバルのリーダーが集まる会議で専門家による講演を行いました。その結果、「これこそ我々に必要な考え方だ」と多くのリーダーが共感してくれたのです。
そこから、まずは幹部層への研修を行い、各事業部門に「Growth Mindset チャンピオン」を任命するなど、現場のリーダーたちと一体となって推進しています。変革を推進するため、既存のすばらしい文化に加えて、「新しい風土を育む必要がある」と対話ができるようになったことは、大きな一歩でした。
まさに「経営戦略と人事戦略のアラインメント(整合)」を実践されています。テルモに入社された当初から、こうした課題感をお持ちだったのですか。
そうですね。2019年に入社した際、テルモの強みである「企業理念への共感」の強さに感銘を受ける一方で、グローバル人事の基盤には課題があると感じました。
テルモはM&Aなどで成長してきましたが、人事の仕組みはグループ各社が個別最適で運営している部分が多く、「グループ全体でタレントを活用する」といった議論や、そのために必要な基盤は、まだこれからという状況でした。そこで、日本・海外、部門に関係なく、経営リーダーが人財をグループ横断で見ることを可能とする施策や、アソシエイト同士がつながれるネットワーキングや社内公募制度のためのプラットフォームを整備し、「多様な力を生かす」というコンセプトを推進し始めました。
偶然から始まった人事のキャリア
足立さんは1990年にソニーへ入社され、キャリアをスタートされています。当初から人事の仕事を希望されていたのでしょうか。
いえ、人事を希望していたわけではありませんでした。1990年当時はまだ職種別採用が一般的ではなく、事務系として入社し、配属先がたまたま人事だったのです。
当時は、女性がしっかりとキャリアを築ける会社は、学生が知り得る範囲ではまだ少なかったように思います。ソニーには当時から女性の管理職がいたので、自分の力次第で仕事が正当に評価されるのではないかと感じました。もう一つの軸は、海外との接点です。私は9歳から12歳まで米国で過ごした経験があり、漠然と海外と接点のある仕事がしたいと考えていました。
最初は教育研修部に配属され、入社後3年弱は、語学研修や、海外駐在員向けの赴任前研修などを担当。当時としては新しい内容の研修を企画する機会にも恵まれました。希望していた、海外との接点を早速持つこともできたので、楽しかったですね。
その後、入社4年目に、米国へ2年間赴任。国境を越えて異動する方々の人事業務を担当しました。日本に戻ってからは、人事制度の企画・運用を担当。同時に、将来のグローバルな経営人財を育成するための新しい施策を担当することになりました。
キャリアの早い段階で、教育研修、海外人事、制度企画、経営人財育成と、幅広く経験されていますね。
幸運なことに、人事の中でも多様な経験をすることができました。ただ、キャリアを重ねて20代後半になった頃、「私はこのまま人事でキャリアを終えるのだろうか。他にもやりたいことがあるのではないか」という迷いが生まれました。
最初の数年間は、目の前の仕事で一人前の社会人として認められることに必死でした。ある程度仕事ができるようになってきて、他の可能性を模索したくなったのです。ちょうどその時期に、社内で広報・IRの仕事に誘われ、挑戦することにしました。
人事以外の仕事を経験されて、いかがでしたか。
広報の仕事も意義深く、充実していましたが、客観的に「人事の仕事は自分に合っていたんだ」と再認識することになりました。
もちろん、どんな仕事にも喜びはあります。人事の仕事だと、会社の成功という共通の目的のため、社員を直接支援できる点です。社員から制度に対する不満や意見をもらうことも多々ありますが、課題を解決しようとするとき、「会社も、社員であるあなたも成功するために、どうすれば良いか」という視点でソリューションを探求できる。そのわかりやすさが、自分には合っていたんでしょうね。2年ほど広報・IRを経験した後、再び人事部門に戻りました。
「正解」を求めて入学した大学院で知った、「正解はない」という真実
人事に復帰されてからは、欧州へ赴任されたのですね。
はい。今度は欧州という文脈で、再び人事に挑戦する機会を得ました。そのときの私の役割は、ソニー・ヨーロッパで初となる現地人財の人事部長とタグを組んで、本社の意向を理解しつつ、欧州の人事業務を幅広く、ともに推進することでした。
そこでは個別の制度設計というよりも、「組織をどう変えていくか」という大きなテーマに直面しました。欧州の新しい社長のもと、リーダーシップチームで合宿を行い、徹底的に議論する場を、現地の同僚たちと企画・運営。私も事務局として議論に参加し、人事の視点から何ができるかを考える機会に恵まれました。

この経験を通じて、人事の仕事の領域が非常に広いことに気づきました。個々の人事制度を整えることや、社員一人ひとりに向き合うことは、人事の基盤として絶対に欠かせません。それだけではなく、会社や事業が向かう方向に合わせて、組織をどう整え、推進力を作っていくのか。そのために人事ができることは限りなく広いと実感したのが、30代前半のことです。
2005年に一度ソニーを退職し、大学院進学と人事コンサルタントとしての独立を選ばれています。どのような経緯だったのでしょうか。
欧州での組織変革の仕事は面白かったのですが、同時に「このやり方で本当に良いのだろうか」「もっと他に方法があるのではないか」という疑問も強く感じるようになりました。
人や組織の課題については、誰もが自分の意見を持つことができます。それは健全なことですが、当時の私は、変革を推進するにあたり、「セオリー」が欲しいと考えるようになりました。理論を学ぶことで、より自信を持って提言し、より大きく会社に貢献できるようになりたいと考えたのです。組織コンサルティングやチェンジマネジメント(変革管理)といった専門的な領域を学ぶため、会社を退職して大学院に進むことにしました。
退職して大学院へ進むことに、不安はなかったのでしょうか。
不思議と、不安はあまりありませんでした。自分一人で生きていくための仕事は、何かしらできるだろうという楽観的な考えがあったのかもしれません。
また、ソニーという会社の社風も影響していたと思います。退職を「裏切り」と捉える雰囲気はなく、むしろ出入りは自由で、一度外に出て新しい挑戦をすることを応援してくれる文化がありました。欧州での勤務経験から、一つの会社にとどまらずにキャリアを築く人々を多く見てきたことも、決断を後押ししてくれました。
実際に大学院で学ばれて、いかがでしたか。
少し想定外のことが起きました。実際にいろいろな大学院のコースを検討していく中で私が入学を希望した大学院のコースは、フルタイムの学生向けではなく、「現在進行形の組織課題を持っている実務家」が、課題を持ち込んで理論を学び、論文を書くプログラムだったのです。私はすでに会社を辞めてしまっていたので、困りました。
そこで、欧州時代の知人などを頼り、フリーランスの人事コンサルタントとして仕事を得ることにしました。幸いにも、欧州ではプロジェクト単位で外部の専門家を活用することが浸透していたのです。「日本、米国、欧州での人事経験」を生かし、いくつかのプロジェクトをいただきながら、大学院で学ぶという生活が始まりました。
コンサルタントと大学院での学びの両方から得られたものは何でしたか。
組織や人の課題に関して絶対的な「正解」は存在しない、という結論に至りました。大切なのは、組織の当事者が「私たちはこれが大切だから、こうしよう」と本気で議論し、納得して決めるプロセスそのものだったのです。「こうすればいい」という「セオリー」を学ぶために進学したのに、皮肉ですよね。
コンサルタントとして、業界も環境も全く違う企業の課題に触れる中で、ソリューションの「やり方」は違っても、背景にある「なぜ、そうするのか」という議論の重要性は共通していると実感しました。この時期に、自分なりの仕事の「軸」が持てたように思います。
大変革期のソニーへ復帰。「できることは何でもやる」覚悟
大学院を修了された後、2010年にソニーへ復帰されます。
コンサルタントの仕事は充実していましたが、日本に帰国するタイミングで、再び組織の一員として働こうと考えました。ソニーからコンサルティングの仕事を受けていた縁もあり、中途採用の選考を受け、再入社しました。大学院で学んだことや、コンサルタントとして得た知見を、今度は組織の内部に還元したい、という思いもありました。
私が復帰した2010年から2019年までの期間は、ソニーが業績の立て直しと大きな変革に取り組んでいた時期と重なります。再入社後は、トランスフォーメーション・マネジメント・オフィスという部署に所属し、その後、人事部門に戻りました。
変革期の人事としては、どのような役割を担われたのでしょうか。
まさに「できることは何でもやる」という覚悟でした。新しい経営体制のもとで、会社のミッション・ビジョン・バリューを再定義するプロジェクトに参画したり、グローバルで人事制度や人財活用の仕組みを統一する基盤づくりに取り組んだりしました。
ソニーはグローバル企業でしたが、人事の仕組みは日本と海外で必ずしも共通化されていませんでした。事業の効率性やグローバルでの人財活用の観点に基づき、人事側から組織変革を後押しするピースを作っていく仕事にも取り組みました。
9年間で、やりがいを感じたのはどのような瞬間でしたか。
会社全体が厳しい状況でしたが、全員で力を合わせることにより、再び立ち直っていくプロセスの一端を担えたことです。私が実際に参画したのは人事がこの変革に寄与した一部分にすぎませんが、事業のポートフォリオを見直し、再び利益を出し続けられる「もうかる会社」へと変わっていく。その過程には痛みを伴う判断も多くありましたが、「良い会社だからこそ、なんとか立て直したい」という強い思いがありました。
大きな変革の渦の中で、組織や人の側面から「自分ができることは何でもやる」というスタンスで関わり、貢献できたと感じられたときは、大きな喜びでした。2019年にソニーを退職する頃には、会社も再成長の軌道に乗り、「やり切った」という感覚がありました。
2019年に、テルモへ移られます。
ソニーでの仕事に区切りがついたと感じていた時期に、偶然の縁でテルモの当時のCHROと会う機会がありました。
「グローバルでの共通の人事基盤を作りたい」という話を聞き、私がソニーやコンサルティングで経験してきたことが、この新しい環境で生かせるのではないかと直感しました。業界も組織文化も全く違う環境で、自分の経験をどう応用し、何ができるのか。非常にチャレンジングであると同時に、人事のプロフェッショナルとして、とても面白そうだと感じたのです。
テルモに入社されて、最初の印象はいかがでしたか。
二つの点に強く感銘を受けました。一つは、国内外のリーダーたちが、例外なく「医療を通じて社会に貢献する」という企業理念に強く共感していたことです。競合他社から転職してきた人でさえ、「テルモは本気で患者さんのことを考えている会社だ」と言うのを聞き、企業理念の浸透度合いに驚きました。
もう一つは、非常に優しく、人の話をよく聞き、人の役に立ちたいという思いが強い人たちが多いと感じたことです。医療という、人の命に関わる事業に携わっているからこその企業文化なのだと思いました。

CHROの役割は「経営」と「組織・人」をつなぐこと
ソニーでのグローバルなご経験が、テルモでのグローバル人事戦略に直結しているように感じます。
そうですね。振り返ってみると、私はライフワークとして「日本に本社を置く企業が、グローバルに展開する上でどうあるべきか」というテーマに取り組んできたように思います。人種や国籍にかかわらず、会社が持つ力を最大限に発揮するために何ができるかを考え続けてきたんですね。
多くの人事パーソンがグローバル人事に挑戦したいと考えていますが、その難しさはどこにあるのでしょうか。
難しい点は多々ありますが、最も重要なのは、「共通に持っているものは何か」と「違うことは何か」を明確に整理できるかどうか。国が違えば当然、言語も法律も慣習も異なります。その「違い」だけを見て「一緒にできない」と考えるのではなく、人のことだからこそ「普遍的に共通していること」や、同じ会社だからこそ「成功のために共通している目的」を、見いだすことが重要です。
「違い」を乗り越えるためには、「なぜ違うのか」という背景・コンテクストを、お互いが理解できるように対話することです。例えば、日本の人事は「日本は特別ですから」と言ってしまいがちですが、それではグローバルな理解は得られません。「歴史的背景や社会慣習から、このような仕組みになっている」と、相手が理解できる文脈で説明し、わかり合う努力が不可欠です。
日本の人事制度を、そのまま英語に翻訳するだけでは伝わりません。例えば、日本における「長期雇用」という概念は、それが当たり前であった社会で育まれてきたものです。しかし、世界の多くの国々では、経済的な理由や社会環境の変化から、日本とは前提が全く異なります。
日本の仕組みに「良い点」があるなら、日本のコンテクストだけで完結させるのではなく、他の国の人にも理解・共感してもらえるように価値を翻訳して説明する能力が、これからのグローバル人事には求められます。
足立さんが考えるCHROの役割とは何でしょうか。
会社によっては、日々の人事業務と、CHROの役割を分けている場合もありますが、テルモで私は両方に責任を持つ立場です。人事制度や施策を通じて、アソシエイト一人ひとりが活躍する環境を整えることは、人事の最も重要な基盤です。そして、CHROの役割は、個別の施策を最適化するだけではありません。会社がどこへ向かおうとしているのか、事業戦略はどちらを向いているのか。「経営戦略」と、「組織・人」という要素の整合性を図り、しっかりと結びつけること。それこそがCHROの中核的な役割だと考えています。
GS26の例もそうですが、経営者と共に、事業戦略の実現に必要な組織文化、人財についての議論の場を設定し、必要な提言を行い、アラインメントを取るためのきっかけを作ることに、CHROは責任を持つべきです。
そこで描いた大きな世界観と、現場で日々行われている人事業務やアソシエイトのリアリティーが乖離(かいり)しないよう、間を「つなぐ」ことも、各国の人事リーダーと共に取り組むべき、もう一つの大きな役割だと考えています。
足立さんにとって、人事の仕事の面白さは何でしょうか。
会社を「良い方向に変える」ことに、何らかの形で貢献できたと実感できる瞬間です。もちろん、変えること自体が目的ではありませんが、会社が変わらなければならない時期に、人事の立場から変化に参画し、寄与できたと思えること。それが私にとっての最大の喜びであり、エネルギーの源泉です。
最後に、次世代の人事パーソンに向けて、メッセージをお願いします。
人事の専門家として、制度や労務といった個別の専門性を磨くことは、キャリアの基盤として不可欠です。その武器を持った上で、ぜひ、自分の役割を「人事施策」だけに閉じないでほしいですね。
本来、人事の仕事が貢献できる範囲は、もっと広いはずです。会社の成功のために、そこで働く皆さんの成功のために、組織全体をどう動かしていくか。人事という立場からインパクトを与えられることは、無限にあります。会社が良い方向に変わり、そこにいる人々がいきいきと働くことができれば、必ず社会を良くすることにつながります。広い視野を持って、より良い未来を作る仕事に挑戦し続けてほしいと願っています。

(取材:2025年11月17日)
各企業の人事リーダーが自身のキャリアを振り返り、人事の仕事への向き合い方や大切にしている姿勢・価値観を語るインタビュー記事です。
会員登録をすると、
最新の記事をまとめたメルマガを毎週お届けします!
- 参考になった1
- 共感できる0
- 実践したい0
- 考えさせられる0
- 理解しやすい0
- 1
無料会員登録
記事のオススメには『日本の人事部』への会員登録が必要です。
