株式会社 三越伊勢丹ホールディングス:人事部が変われば、現場が変わる、店頭が変わる とことん“個”に向き合う三越伊勢丹グループの人材戦略とは(前編)
株式会社 三越伊勢丹ホールディングス 執行役員 人事部長
中村 守孝さん
「切れている」――人事部の課題が組織全体の人事課題だった
では、販売力強化のための人事改革に取り組む前に、人事部改革が必要だったということですか。
いえ、どちらも並行してやらなければいけません。人事部そのものの改革に取り組みながら、全社的な人事改革も進めました。人事部改革は人事改革を進める上での、いわばインフラですし、また実際の仕事で具体的な成果を出していかないと、人事部自身も変わっていきません。だから、並行して進めたのです。そして、もうひとつ大きかったのは、当時の人事部が抱えていた課題と、グループ全体に見られた人事面の課題が、実は共通していたということ。人事とか人材とか、あるいは働き方といったことに関して共通する根本課題があった。人事部の課題は、グループの人事課題でもあった。そこに気がついたんです。
その根本的な人事課題とは何だったのでしょう。
ひとことで言えば、「切れている」ということです。この簡単な一言に課題が集約されていました。人・組織・仕事がいろいろな意味で切れていた。たとえば同じ人事の問題でも、人によってまず関心事が違いますよね。自分自身の評価に関心がある人もいれば、部下の昇進昇格が気になる人もいる。あるいは、今年の採用は良かったとか悪かったとか。人事が大切といいながら、その一部の、自分が関心のある個別の問題しか見ようとしない。これって「切れている」状態ですよね。
それから人事部の中でいうと、人材を採って、配置して、育成して、評価するという一連の業務のプロセスが、やはり切れていました。なぜ切れてしまうのか。私なりに観察したり、話を聞いたりして原因を探ってみた結果、見えてきたのが反省の欠如に伴う“他責”の風土です。要するに、自分の担当業務だけが仕事だと、勘違いしているんですよ。たとえば採用担当者なら、本来はその人材がどういう形で配置され、どんな教育を受けるのかというところまで想定しながら、採用活動を行うべきでしょう。ところが、自分の仕事が後工程にどう影響するかとか、前工程の人がどういう意図でこの仕事を自分に渡したのかなんて、考えていない。何かトラブルが起きたら、他人のせい、他部門のせい。担当や部署の枠を越えて、知恵を出し合うという意識も仕組みもなかったんですね。他責だから切れるし、切れているからますます他責になっていく。そんな悪循環だったのではないでしょうか。
人事部内では、誰も「切れている」という現実を認識していなかったわけですか。
仮に気づいていたとしても、重大にとらえてはいなかったと思いますよ。だから、私が「切れているよ!」と、示さなければならなかった。人事部員の猛省を促すために、合宿もやりました。他責に基づくすべての不平不満を一度脇に置いて、自分たちはいったい何が悪いのかをとことん議論して問い直す。そこから始めたんです。
また、以前は業務のフローが切れていたことで、ケアレスミスが年間100件も頻発していました。そもそもこのデータも整理されていなかったのですが。そこでうちの人事部員と、シェアードサービスの子会社のスタッフとを強引に混ぜて、ミスを減らすプロジェクトをやってもらったところ、ごく短期間で大きく改善されたのです。ときには厳しい叱責も必要でした。多少強引にでもチームを構成し、切れていない体制をつくって、それがどういうものかを肌で感じてもらえるような働きかけを進めていったわけです。たとえるなら、足でけってボールを出すサッカーのパスではなく、きちんと魂を込めて手渡すような仕事の受け渡しに変えたい――そういうイメージですね。多少強引でも、そのパスの出し方から変えていくように仕向けないと、改革は進みません。また早い段階で改革の成果すなわちアーリーサクセスが実感できないと、途中でみんな、方向性に疑問を抱いて、結果、改革が嫌になってしまいます。