カゴメ株式会社:
100年企業の人事を大改革! 世界市場で勝つための「グローバル人事制度」とは(前編)
カゴメ株式会社 執行役員 経営企画本部人事部長
有沢 正人さん
カゴメは積極的なグローバル展開を行う中で、従業員の多様化する働き方に対応するため、2013年度から「グローバル人事制度」の構築を進めています。世界中の従業員が自分に合うキャリアを自分で選択するオーダーメイド型の人事制度で、世界中どこにいても、また、どんな仕事をしていても公平な基準で評価され、公正な処遇を受けることができることを目指すものです。このような人事改革を進めるために、カゴメ史上初めて外部から人事部長として登用されたのが有沢正人さんです。有沢さんに「人事プロフェッショナル」としてのこれまでのキャリアと、今後、カゴメの人事をどのような方向に舵取りしていこうとお考えなのか、詳しいお話を伺いました。
- 有沢 正人さん
- カゴメ株式会社 執行役員 経営企画本部人事部長
ありさわ・まさと ●慶応大学商学部卒業後、1984年に協和銀行(現りそな銀行)に入行。銀行派遣にて米国でMBAを取得後、主に人事、経営企画に携わる。2004年に日系精密機器メーカーであるHOYAに入社、人事担当ディレクターとして全世界のグループ人事を統括、全世界共通の職務等級制度や評価制度の導入を行う。また、委員会設置会社として指名委員会、報酬委員会の事務局長も兼任、グローバルサクセッションプランの導入などを通じて、事業部の枠を超えたグローバルな人事制度を構築する。2009年に外資系保険会社であるAIU保険に人事担当執行役員として入社。ニューヨーク本社とともに、日本独自のジョブグレーディング制度や評価制度を構築する。2012年1月、カゴメに特別顧問として入社。カゴメの人事面におけるグローバル化の統括責任者となり、全世界共通の人事制度の構築を行っている。2012年10月より現職となり、国内だけでなく全世界のカゴメの人事最高責任者となる。
さまざまな企業で「人事プロフェッショナル」としてのキャリアを築く
有沢さんはさまざまな業界で、長年にわたり「人事プロフェッショナル」として仕事に携わってこられました。これまでのキャリアについてお聞かせください。
1984年に協和銀行(現りそな銀行)に入行し、支店での営業を経験した後、MBAを取得するためワシントン大学に留学しました。帰国した頃は、まさにバブル経済が崩壊したタイミング。しばらくは多額の債権処理に追われる日々が続きましたが、そのうち人事部に異動することになりました。実は入行以来、私は人と関わる仕事をしたいとをずっと考えていたので、人事の仕事は念願でした。
その後、一時的に業革推進部や総合企画部などにも在籍しましたが、再び人事部に異動。今までの人事のやり方ではダメだということで、人事の大改革を断行することになりました。具体例を挙げると、まずこれまでにない新しい研修制度を導入しました。土・日に自分のやりたい研修を選ぶ「選択型研修制度」で、自社をケーススタディとして使い、コンサルティング会社と共同開発した「銀行員のためのマーケティング講座」などは、当時の銀行界では画期的な取り組みでした。また、これからの銀行マンは世の中の流れを知らなくてはいけないと考え、トレンドを理解するための講座なども開設しました。「お金」とは直接関係のない講座を盛り込むことで、世の中を知るために必要な幅広い知識を行員に教え込んだんです。約50講座を用意したのですが、東京・大阪・埼玉の研修所が常に満杯状態だったことを、よく覚えています。また、新入行員に対してもこれまでの研修内容とは異なり、いきなり「ロジカルシンキング」や「マーケティング」など、ハーバードビジネススクールのケーススタディを使って勉強してもらいました。
銀行員は「お金」の話はできて当たり前であり、差別化を図るには、銀行員が「ソリューション・プロバイダー(解決策提供者)」にならなくてはいけないと考えたからです。お金はツールであり、問題を解決するためにはお金ではないものが必要になることがある、ということを行員たちに教えました。そして人事制度に関しては、それまで「人」に付いていた賃金制度(職能給)を外して、「職務等級制度」を導入しました。
そのような中、大和銀行との合併が行われ、りそな銀行として生まれ変わると同時に、3兆円あまりの公的資金を受けることになりました。私は人事責任者としてリストラを実施し、大ナタを振るいました。今でも、強く心に残る経験です。一方で、当時外部から来られた細谷会長は、人材育成のための費用を削らずに、むしろ増やしてくれたのです。「銀行で勝負ができるのは人材しかない、だから人に投資をすることを止めてはいけない」と明確に言ってくださいました。その結果、女性の支店長や部長を登用するなど、人事の仕組みを一気に変えていくことができました。もちろん、1000人以上のリストラを行ったことは事実です。私自身も、人事責任者としての仕事をやり終えたという気持ちが強く、思い切ってこれまで20年間勤めた銀行を辞めることにしました。
そして2004年、新たに精密機器メーカーのHOYAに移ることにしました。ここでは、グローバル人事の担当ディレクターという立場で、グローバル人事の統合を進めました。統合を進めた背景にはまず、HOYAはメーカーですから、いろいろな事業部が存在するということがあります。これはガバナンスの観点で考えるに、縦軸に事業部、横軸に地域を置いたマトリックス組織となっていました。そこで事業部と地域の重なったところ、例えば、A事業部のフランスといった地域には大きな「自治権」が存在します。つまり、事業部自体が一つの会社ということで、事業部長が社長と同じような扱いになる。PL(損益計算書)どころか、BS(貸借対照表)までも持っていて、人事制度もそれぞれ各事業部だけでなく各国で異なっている状況だったのです。
それぞれの事業部や国ごとの人事制度自体はよくできたものでしたが、これではあまりに統一感がありません。そこでHOYAはグローバルカンパニーですから、グローバルをキーワードに人事制度を統一していこうと、縦軸・横軸の上に斜めからの軸をかけた形の三次元で、人事制度を走らせることにしました。そのため、私はグローバルの「人事機能責任者」と呼ばれていました。海外に出向いて各国の事業部の違いを十分に理解した上で、グローバルレベルでの人事制度を構築しました。それを持って、海外の事業部へ説明と説得に回るというわけです。この時にどれだけの人と面談したのか、あまりにも数が多すぎてよく覚えていません。さらにその上で、サクセッションプラン(後継者育成計画)の作成も行いました。
2009年には、AIU保険で人事の担当役員に就任しました。外資系は初めてでしたが、また金融に戻ることになったわけです。しかし、私が行った直後にリーマンショックが起こり、19兆円の公的資金をアメリカから受け、人事責任者としてまたリストラを行うことになりました。以前にもりそな銀行で公的資金を3兆円以上受けてリストラを行っていましたから、このような多額の公的資金を受けてリストラを行った人事責任者は他にはいないと言われ、そこで付いたあだ名が「下り坂のスペシャリスト」です(笑)。とにかく、人事制度の改革をしなくてはなりませんでしたから、アメリカ本社といろいろと話し合いながら、日本独自の職務等級制度やサクセッションプランを導入しました。