人事が知っておきたい治療と仕事の両立支援
~最新のガイドライン・企業が取り組むべき環境整備~
三菱UFJリサーチ&コンサルティング コンサルティング事業本部 組織人事ビジネスユニット HR第2部 マネージャー 吉田 英里氏
現在、働く人の約3人に1人以上が、治療と仕事を両立していると言われています。特に労働者の高齢化が進む日本では、今後さらに両立が必要となる労働者が増えていくことが想定され、企業が対応すべき重要な課題の一つです。
本コラムでは、厚生労働省が令和6年3月に改訂した「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」(以下、「ガイドライン」)[ 1 ]を踏まえて、事業者として取り組むべき仕事と治療の両立支援のあり方、特に環境整備について解説します。このガイドラインは、治療が必要な疾病を抱える労働者が、業務によって病状が悪化することを防ぎ、適切な就業上の措置や治療への配慮を行うための対策をまとめたものです。事業場の取り組みをまとめたものであり、まずは、このガイドラインに沿って、必要な対応を考えていくことが有効です。
事業者による両立支援の取り組みのスタンス
前提として、治療は労働者にとって非常に私的な事柄です。そのため、事業者としてどのような理由の下、どこまで関与すべきかといったスタンスを正しく理解しておく必要があります。
労働安全衛生法第3条では、事業者が労働者の健康を確保する責務が規定されています。また、同法および労働安全衛生規則では、「心臓、腎臓、肺等の疾病で労働のため病勢が著しく増悪するおそれのあるものにかかった者」に対して、事業者は就業の機会を失わせないように必要な措置を講じ、やむを得ない場合に限り就労を禁止するよう求めています。さらに同法では、中高年齢者など特に配慮を必要とする者については、心身の条件に応じて適正な配置を行うように努めなければならないと定めています。
従って、業務により病状が悪化しないよう、治療と仕事の両立のために必要となる一定の就業上の措置や治療に対する配慮を行うことは、労働安全衛生法第3条の労働者の健康確保対策に該当し、事業者には取り組むべき責務があると捉える必要があります。
両立支援の環境整備の基本的な考え方
ガイドラインは、治療と仕事の両立支援のために必要な環境整備(実施前の準備事項)として、以下の四つの事項を掲げています。ここからは、それぞれの解釈と実務におけるポイントを紹介します。
1. 事業者による基本方針などの表明と労働者への周知
まず、事業者は治療と仕事の両立支援に対する基本方針を明確にする必要があります。その上で、具体的な対応方法などの事業場内ルールの作成・周知徹底、両立支援の必要性や意義の共有を通じ、両立を実現しやすい職場風土の醸成を進めていきます。
その際は、自社における両立支援の目的ならびに両立支援により実現したいことを整理して伝えるようにします。具体的には、法的背景だけではなく、「安心して自社で働き続けられる職場を目指す」といった経営層のメッセージを示した上で、継続的な人材確保や従業員のモチベーション向上、および多様な人材活用による組織や事業の活性化など両立支援の必要性や意義を共有するのが望ましいでしょう。
2. 研修などによる両立支援に関する意識啓発
治療と仕事の両立支援は「誰もが当事者になり得る」と捉えられるよう、全社員を対象に研修などを通じて理解を深めることが重要です。現実の課題として理解を深める上では、治療と仕事を両立している社員本人の了承の上で、当事者の声を紹介することも有効です。
啓発活動を推進する中で、社内外への積極的な発信を検討する余地もあります。例えば、「がんと就労」問題に取り組む民間プロジェクト「がんアライ部」は、がんを治療しながら働く人を応援する企業などを表彰する「がんアライアワード」[ 2 ]を主催しています。これはがん治療との両立を目指した勤務制度、休暇制度、支援体制、風土・環境に関する各社の取り組みの紹介や評価を行うもので、2023年は、最高位の「ダイヤモンド」に、花王株式会社とサッポロビール株式会社が選ばれています。このような活動への参加により、「治療と仕事の両立は、経営理念とも連動した自社の主要な施策の一つである」という社内外の認知を深めていくことも考えられます。
3. 相談窓口などの明確化
治療と仕事の両立支援は、労働者からの申し出が前提となります。そのため、労働者が安心して相談や申し出ができる窓口や、申し出後の情報の取り扱い、措置・配慮が決定されるまでのプロセスなどを明確にしておく必要があります。
労働政策研究・研修機構が過去 5 年間にがん・心疾患・ 脳血管疾患・肝炎・糖尿病・難病の病気治療をした者(経過観察含む)を回答者として実施した治療と仕事の両立に関する実態調査(患者 WEB 調査)(以下、「実態調査」)[ 3 ]によると、勤め先への相談・報告の相手について、「所属長・上司」が62.0%と最多で、次いで「同僚」が27.8%、「人事労務担当者」が12.0%と続いています。つまり、相談窓口が設けられてない場合でも、業務遂行上必要であると本人が考えれば、所属長・上司に相談すると推察されます。しかし、所属長・上司は、自社としての両立支援の措置・配慮を決定することはできません。
一方、相談窓口であれば、本人の申し出を受け、治療と症状の状況および申し出時点における就労に対する本人の意向を確認した上で、人事労務担当者、所属上司、産業医などの関係者間で連携し、自社における措置・配慮を迅速に検討できます。必要な場合、医療機関関係者(主治医など)からの情報収集を行うことも想定されます。本人の状況・意向と検討内容、さらには同様の事例を踏まえ、人事部門など管掌部門の責任者が個に適した措置・配慮を公正に決定します。
労働者が安心して就労を継続するためには、この一連の流れを迅速に進める必要があります。そのため、労働者の申し出の第一歩となる相談窓口の明確化が肝要と言えます。
4. 両立支援に関する制度・体制等の整備
事業者は、自社の実情を踏まえた上で、治療と仕事の両立支援を目的とした休暇制度、勤務制度等を整備する必要があります。実態調査によると、高い割合で利用されていた制度は、「時間単位の休暇制度・半日休暇制度」(53.4%)、「在宅勤務(テレワーク)制度」(50.1%)、「フレックスタイム制度」(46.4%)、「失効年休有給休暇の積立制度」(41.7%)、「治療目的の病気休暇制度」(40.9%)と続く結果でした。
しかし、治療と症状および就労に対する意向は労働者ごとに異なります。また、事業者側、特に上司は、自身の部下から治療と仕事の両立を相談された場合、「なんとか働き続けられるように」などといった感情が生じることも想定されます。しかし、柔軟な勤務や休暇をその人のためだけにその都度認めることは、健全な事業運営に鑑みても適切とは言えません。あらかじめ定められた制度の中で、個に適した措置・配慮を決定し、両立支援プランを策定すべきです。そのためにも、両立支援の制度について、制度の適用要件や適用終了要件を明確にしておく必要があります。具体的には、治療と仕事の両立の始まりから両立が継続できている状態まで、病状によっては両立の始まりから両立が不要となる状態までを想定します。この一連の流れの中で、どのような要件を満たす場合に措置・配慮が適用されるか、本人からどのような情報提供・申し出が必要か、どのような選択肢があるかといった点を規定しておくことが望ましいでしょう。また、虚偽の申し出を防ぐため、制度の悪用を防ぐ施策も同時に考えておくことも実務においては重要です。
今後のために、人事担当者が取り組むべきこと
冒頭でも述べたように、今後、治療と仕事を両立する労働者が増加し、疾病の種類も多様化していくことが予想されます。現在は制度が整備されていたとしても、今後の見直しも十分想定されます。
ガイドラインでは両立支援を行う留意事項の一つとして「両立支援にかかわる関係者間の連携の重要性」を挙げています。人事担当者は、個人に対する措置・配慮を検討する時だけではなく、土台となる制度を構築・改定する際にも、人事労務担当者、所属上司、産業医など社内関係者にも意見聴取すると良いでしょう。多方面の意見を取り入れながら人事と関係者の役割を明確に定め、労働者がより安心して治療しながら就労し続けられるよう、適切な支援体制を確立しましょう。
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【参考】
[ 1 ]事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン(全体版)令和6年3月改訂版 (最終確認日:2024年9月1日)
[ 2 ]がんアライ部「がんアライアワード2024」がんアライアワード2024 – がんアライ部 (gan-ally-bu.com)(最終確認日:2024年9月1日)
[ 3 ]独立行政法人労働政策研究・研修機構『治療と仕事の両立に関する実態調査(患者WEB調査)』JILPT調査シリーズNo.241、2024年3月。【本文】調査シリーズNo.241『治療と仕事の両立に関する実態調査(患者WEB調査)』|労働政策研究・研修機構(JILPT)(最終確認日:2024年9月1日)
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