「ベンチャー魂を取り戻したい」
挑戦者であり続けるため、JINSが行ったオフィス移転の効果とは
株式会社ジンズホールディングス 人事戦略部 採用課 ディレクター
村上 康子さん
リモートワークの浸透や多様化する働き方への対応として、オフィスのあり方を見直す企業が増えています。アイウエアブランド「JINS」を展開する株式会社ジンズホールディングスは、「“大企業病”を払拭し、ベンチャー魂を取り戻したい」という思いのもと、2023年5月に本社を移転。高層ビルの最上階2フロアを離れ、一棟借り上げたビルの9フロアへと拠点を移しました。コンセプトは「壊しながら、つくる」。常識にとらわれないオフィスを目指し、半屋外のカフェやギャラリー、従業員向けサウナが併設されたユニークなオフィスが完成しました。では、オフィス移転によって、具体的にどのような効果があったのでしょうか。株式会社ジンズ 人事戦略部 採用課 ディレクターの村上康子さんにお話を伺いました。
- 村上 康子さん
- 株式会社ジンズホールディングス 人事戦略部 採用課 ディレクター
むらかみ・やすこ/ブライダル・ホテル業界、人材業界においてグロース期の組織拡大や人材開発を中心としたHR領域を経験。2022年 株式会社ジンズ入社し、本社スタッフのキャリア採用を担当。現在はJINS店舗における新卒、キャリア、アルバイト・パートを含めた事業全体の人材採用を担当。
立派なビルに入居してうまれた「勘違い」
2023年5月に本社を移転されていますが、その経緯をお聞かせください。
JINSがアイウエア業界に参入してから20年以上がたちました。事業の拡大とともに従業員も増え、これまでに数回オフィスを移転しています。そのたびに建物もグレードアップし、2014年の移転では、飯田橋再開発のランドマーク「飯田橋グラン・ブルーム」最上階に入居しました。ワンフロアのオフィスは、広くておしゃれで機能的。皇居や高層ビルが一望できる眺望も好評でした。
ただ、一方で問題も発生しました。一言でいうと、大企業病に陥ってしまったのです。そこで、創業社長の田中仁による一声で、新たなオフィスに移転することになったのです。新オフィスの設計を担当いただいた建築家の髙濱史子さんに送られた、田中のメールにはこのように書かれていました。
「メガネ販売本数が日本一になったものの、まだまだ挑戦者でいなければこの先の成長がないと、危機感をいだいています。しかし、立派なビルに入居したことで、いわゆる“大企業病”にかかってしまった可能性があります。身分不相応な場所にオフィスを構え、私を含めた経営陣も社員も勘違いをしてしまったのかもしれません。大過なく勤めたい、リスクはごめんだ、挑戦は面倒……。そのような安定志向ではなく、アグレッシブな挑戦者でいてほしい」
大企業の社員としてではなく、挑戦者としての振る舞いをしてほしい。移転プロジェクトは、そんな思いから始まったのです。
村上さんも「大企業病」を感じる瞬間はありましたか。
10年以上在籍しているメンバーから、「最近は顔と名前が一致しない」「雰囲気が変わってきた」などの声を聞いていました。従業員数が50人規模の頃は、どこの部署に誰がいて、その人がどんなパーソナリティーなのか、社員同士で認識できていたのですが、店舗も従業員も増え、企業規模が拡大するのに併せて、心理的な距離も広がっていったのではないかと感じます。
JINSは「Magnify Life」をビジョンに掲げています。「Magnify」というのは、レンズなどで拡大して大きく見せること。単にメガネを売るのではなく、メガネを通して人々の生き方を豊かにし、まだ見ぬ世界を切り拓いていくことを目指しています。そのビジョンをいつでも体感できるようなオフィスにしたい、という思いもありました。
移転のコンセプトは「壊しながら、つくる」。物理的に生かせるものは生かしつつ、新しいものをつくっていく。組織も同じで、これまでの常識を壊しながらJINSを刷新することを目指しました。
新オフィスの特徴を教えてください。
まず1階には、「働くソト」として誰もが気軽に立ち寄れるカフェがあります。建築家の髙濱史子さんが、「オフィスは室内にあるもの」という常識を壊してつくった、半屋外の空間です。
2階は「原っぱ」と呼ばれるフルフラットなフロア。床には、等間隔でベニヤ板が埋め込まれており、引き出すと椅子が現れる仕様です。何もないフラットな空間にも、会議室にもなる、マルチに自由に使える場ということで「原っぱ」と名付けられました。
3階にはギャラリーと商談スペース。5階から8階は執務室ですが、「Open Art Tube」という大きな吹き抜けに、存在感のある内階段がオープンな空気を醸し出しています。そして9階には、従業員用のサウナが設置されています。
オフィス内にサウナがあるのは、斬新ですね。
JINSは1on1文化が浸透していますが、なんとサウナで1on1を実施するメンバーもいます。サウナには、アイデアのディスカッションができるようホワイトボードが置いてあり、「いつもはできない話ができる」と好評です。
不便を楽しむためのクリエーティビティ
移転前後で、オフィスにはどのような違いがありますか。
新オフィスは、まず面積が狭くなりました。コロナ禍を経てリモートワークを導入したこともあり、史上初の「減床」です。また、以前は1フロアの執務室でしたが、移転後は9階建ての建物になり、執務室は四つのフロアにまたがることになりました。
それだけ聞くと、不便になったのではないかと思うのですが、何か狙いはあるのでしょうか。
不便になったのは、その通りです。重要なのは「不便な状況をどう捉えて、どういう働き方につなげるか」「今あるものをどう生かして、どのような意味づけをするか」です。
JINSでは、日々の業務にもクリエーティブなマインドで取り組んでほしいという期待をこめて、従業員を「クリエーター」と呼んでいます。不便な状況も、クリエーティビティを発揮することで、新しい価値が創造できると考えているのです。オフィスが狭くなることをグレードダウンと捉えるのではなく、実験のように、常識を外して物事を見てほしい。そういう思考を促すオフィスでありたい、という思いがありました。
引っ越しプロジェクトにおいて、人事部はどのような役割を担ったのでしょうか。
プロジェクトの中心メンバーは、店舗設計・システム・地域共生・人事・広報などさまざまな職種から構成されました。人事部からは、過去にオフィス移転を経験し、当時インナーブランディングを担当しているメンバーが参加。特に、「働き方をデザインする」というミッションを担っていました。
「働き方をデザインする」というのは、「新しい出社ルールを決める」といった単純な話ではありません。当社の場合、「制約をどのようにクリエーティブに昇華させ、実際の働き方につなげるか」まで目指します。なかなか答えのない難題で、担当者はいつも頭を抱えていました。
結果的に、どのような働き方が生まれたのでしょうか。
1階のエレベーターにサイネージがあったのを、ご覧になりましたか。新しいオフィスでは、週ごとに働くフロアが替わります。週初めに出社したら、サイネージに「8階 人事部/営業部/マーケティング部」などと書かれているのを見て、今週働くフロアを知る。また翌週は違う組み合わせになっている、というしかけになっています。
このしかけは、社員同士のコミュニケーションが「閉じない」ようにするためのものです。旧オフィスはフリーアドレスでしたが、実際はなんとなく同じ部署の人たちで固まって座る、という運用でした。新オフィスはフリーアドレスに加え、執務フロアも分かれているので、限定されたメンバーとしか顔を合わせなくなる懸念がありました。
このような課題や懸念を解消するため、新オフィスでは、週替わりで部署ごとにフロアをローテーションする仕組みをスタート。チームで働く利便性は高めつつも、フリーアドレスのエッセンスは残し、他部署とのコミュニケーション活性化もかないました。
ちなみに、サイネージには「8階 80%」「7階 52%」といった数字が表示されているのですが、これは各フロアの座席の稼働率です。これを見れば、混雑状況がすぐ分かります。また、フリーアドレスの弱点である「誰がどこにいるかわからない」問題も、「居場所を検索できるシステムを作る」といった対応により、解決しました。
出社している人ほど、仕事が面白くなっている?
出社ルールは、どのようになっているでしょうか。
移転前後は世の中的にもワークスタイルの考え方が多様化している頃で、社内でもさまざまな声がありました。原則は週3日の出社をルールとし、各本部の状況や業務特性を考慮しながら本部長の判断で運用できるようにある程度の柔軟性も残しました。リモートワークでも仕事はできます。しかし、リモートワークの普及によって「失われたものがある」というのが私たちの実感でした。それは「アイデアの種」です。
面白いプロジェクトは、社員同士の何気ない会話から生まれることが多い。リモートワークは決められたタスクを遂行するには適していますが、新しいものを生み出す環境としては厳しいので、アイデアの種を見過ごさないよう、出社を推奨する方向にかじを切りました。
従業員の皆さんの反応はどうでしたか。
正直なところ、出社に消極的な声もありました。しかし、しばらくすると、進んで出社する人はいきいきとしていること、仕事が面白くなっている人ほど出社していることを感じるようになりました。最初は会社のルールとして出社日数を増やしましたが、「仕事がより面白くなるかもしれない」と、主体的に出社の意義を見いだしてくれるようになりました。
そもそも、今回の移転では、出社そのものが楽しくなることを目指していました。例えば、週ごとに座席をシャッフルする仕組み。フロアごとに内装が異なるため、フレッシュな気分になりますし、隣にいる部署が毎週違えば顔と名前が一致し、どんどん仲間が増えていきます。わたし自身も、オフィスに来るといつも変化があり、わくわくします。
移転によって、あらためて挑戦者マインドは生まれてきたように感じますか。
はい。そもそもこの移転がなかったら、自分たちで働き方を考える機会もなかったと思います。指示されたことをただ遂行するのではなく、自分たちがありたい状態に向かうためにどういうアクションを取るか。そういう能動的な仕事の仕方に自然となってきたと捉えています。
オフィス移転に関してアイデアを募集したそうですが、取捨選択するときは、何を基準にされたのでしょうか。
社長、社員、建築家など、社内外問わず多くのアイデアが集まりました。アイデアを採用する際のポイントは、思わず行きたくなるような魅力的な場所や、わくわくが引き出せる場所になるかどうか。「この場所はこれに使いましょう」と細かく決めすぎず、世の中のオフィスの固定概念にとらわれない柔軟な発想を大切にしました。そうすることでオフィスのあり方に問いを立て、クリエ―ティビティを刺激するオフィスになったと思います。
クリエーティビティを生むオフィス環境にするために、工夫した点はありますか。
視界に必ず「未完成なもの」が入ってくるようになっています。例えば、むき出しの天井や、塗りかけのコンクリート。私が初めてこのオフィスに来たときは、まだ工事中なのかと思ったほどです。これらは「自分たちが未来をつくっていくのだ」という気持ちになってもらうための、余白になっています。
また、3階の会議室の手前には、美術館をほうふつとさせる真っ白なギャラリースペースがあります。会議室は、取引先との商談や社内の打ち合わせを行う場。「一つひとつの打ち合わせが、クリエーティブな時間になるように」という思いから、ギャラリースペースを通って会議室に入る設計になっています。
オフィス全体に意味があるのですね。
新オフィスは、考える機会が「自然発生」する場になっています。例えば、床から椅子を引き出して使う「原っぱ」のフロア。会議をすること一つとっても、椅子の配置は「コの字」がいいのかランダムがいいのか、そもそもどちらを前にすればいいのかなど、その都度使い方を考えなければなりません。
人の固定観念は、オフィスからつくられてしまうのではないでしょうか。意識していないと、「オフィスの執務室は、これくらいのスペースは必要だよね」などと、気づかぬうちに既存の枠組みにとらわれてしまいます。必要なのは、私たちがオフィスに合わせることではありません。先に理想があって、それをかなえるための空間はどんなものなのかを考える。そうすることで、理想として掲げていた「挑戦者マインド」を醸成するための常識にとらわれないオフィスができたのだと思います。
挑戦者マインドを持ち続けるためのしかけ
オフィス移転後に変化したことはありますか。
身近なところでは、社員同士の距離が縮まったように思います。オフィスが狭くなったことで、席の後ろを通るときに「ちょっとごめんね。後ろを通るね」という声かけが発生するような距離感です。新オフィスには社長室こそありますが、執行役員は一般メンバーと同様にフリーアドレスで働いています。つまり、執行役員が「ちょっとごめんね」の距離にいる。経営層との距離が近いとアイデアも気軽に話せますし、相互理解もしやすいように感じます。
また、新オフィスに来てから「月度朝礼」が始まりました。毎月、本社の社員が「原っぱ」に集まり、1時間程度の朝礼をするというものです。ここでは、会社の業績の概況を共有したり、持ち回りで特定の部署が直近のプロジェクトを発表したりしています。
これまでも、日々の売り上げを記したデーリーリポートは毎日配信されていましたが、直接共有する場があまりありませんでした。顔を合わせて共有し合うようになってから、「トップが何を考えているか」「各部署がどういうミッションを担っているか」など、より自社の理解が深まるようになっています。
個人や部署には定量・定性目標があります。オフィスが変わったことや、月度朝礼ができたことなどから「目標が何のためにあるのか」「どのように未来につながっているのか」といった、仕事の意味を再確認できるようになった人も多いようです。
移転前は社員のコミュニケーションが「閉じる」のではないかと懸念していましたが、新オフィスに来てから「開いた」コミュニケーションも生まれているように感じます。引っ越しプロジェクトのメンバーが苦心した結果が形になって、報われる思いです。
新オフィスに移転してから1年。挑戦者マインドを持ち続けるために、工夫していることはありますか。
大きなところでは、月度朝礼で全員が集合して熱量を生み出すこと。小さなところでは、1on1を実施してアイデアの種を取りこぼさないようにしていること。それから、年に一度の決起会ですね。本部のメンバー、全国各地の店舗を運営するストアディレクター(店長)やエリアディレクター、グローバルの代表者が参加し、1,000人ほど集まります。
前回の決起会は、後楽園ホールで行いました。後楽園ホールは格闘技の聖地とも呼ばれる場所で、リングには選手たちの闘志が染み付いています。そんな場所で、「挑戦者として挑んでいくぞ」という思いを全社で燃やしました。その前の開催は、代々木第二体育館。昭和39年の東京オリンピックを機に建築された、象徴的な外観の体育館です。イベント一つとっても、「いつもの場所」で済ませるのではなく、テーマを決め、思いを込めて、企画しています。
挑戦者マインドを持つ未来の「クリエーター」を採用するために、意識していることはありますか。
新卒の場合は、「Magnify Life」を実現するというビジョンへの共感と、「自分の成長に挑戦できるか」を見ています。JINSの場合、200人前後の新卒入社者がいますが、全員が店舗に配属されます。店舗では、お客さまに向けてJINSの商品価値を最大化することがミッション。店舗での経験を通してお客さまを知り、挑戦者としての土台を築いてほしいと思っています。
キャリア採用の場合は、「Magnify Life」への共感に加えて、「未完成さ」をあえて見てもらうようにしています。選考中に必ず一度はオフィスに来てもらって、各フロアを一通り説明します。多くの方が、風通しの良さを感じているようです。社員と話す以上に、オフィスから伝わるJINSの価値観やインパクトが大きいのかもしれません。それまでフルリモートで働いてきた人に、「こういうオフィスなら出社したくなります」と言ってもらえることも多いですね。
現在の課題や今後の展望があれば教えてください。
JINSは今、第二創業期です。2023年12月、株式会社ジンズの社長が田中仁から田中亮へと交代しました。今回のオフィス移転プロジェクトは、JINSの新時代を象徴しています。組織が次のステージに入っていく今、残すところと変化させるところを見極めなければいけません。変化の潮目にいるからこそ、この船に乗り続ける人がいれば、乗らない人も出てくると思います。それでも私たちは、意志を持って前に進んでいく必要があります。新時代を進むにあたり、オフィスを、働き方を、組織をデザインしながら、常に挑戦者でありたいと思います。