就職率100%! 国際教養大学の教育プログラムに学ぶ、
“全人力”を養う人材育成の極意とは
国際教養大学 理事長・学長
鈴木典比古さん
授業はすべて英語で行う、海外に留学しなければ卒業できない、新入生は外国人留学生とともに1年間の寮生活――。独自の厳しい教育環境で学生を鍛え上げ、 驚異の就職率100%を実現しているのが、2014年4月に開学10周年を迎えた国際教養大学(秋田市)です。教学理念はその名のとおり、「国際教養」。 グローバルに通じる“個”を確立するために、対話を通じて全人力を養う、真のリベラルアーツ教育を実践しています。そのけん引役である鈴木典比古学長に、 教育者としてはもちろん、専門の経営学者としての視点からも、国際教養大学ではなぜ企業の求める人材が育つのか、深く掘り下げていただきました。
すずき・のりひこ/1945年、栃木県生まれ。1968年一橋大学経済学部卒業。同大学大学院経済学修士。インディアナ大学経営学博士(DBA)。ワシン トン州立大学助教授、准教授、イリノイ大学助教授などを経て、国際基督教大学準教授、教授、学務副学長を歴任。2004年、同大学学長に就任し、2期8年 を務め、2012年に退任。2013年に国際教養大学理事長・学長に就任。国際基督教大学時代から一貫して「リベラルアーツ教育」を推進している。
対話を通じて“個”の確立を促す真のリベラルアーツ
国際教養大学は、わが国のグローバル人材育成をけん引する大学として、「国際教養」(International Liberal Arts)」を教学理念に掲げています。まず、国際教養とは何か、ご教示いただけますか。
「国際教養」とは、「教養」という言葉に「国際」という言葉を冠したもので、二つに分けて考える必要があります。まず教養は、英語のリベラルアーツ を翻訳した日本語ですが、私たちが現在、教養という言葉からイメージする概念は、リベラルアーツ本来の意味からかけ離れてしまいました。国際教養とは何か を論じるならば、やはりそのオリジナルであるリベラルアーツのところまで戻らなければいけません。では、リベラルアーツとは何かというと、これも ‘Artes Liberales’というラテン語にまで戻っていく。Artesはアートですね。本来は、技術や技芸を指します。Liberalesはリベラルですか ら、自由のための、自由になるための、といったような意味です。古代ギリシャやローマには「自由市民」と呼ばれる人々がいました。彼らが自由市民であるた めに身につけるべき技や技芸――それがリベラルアーツの起源なのです。
自由市民は、非奴隷の立場である一方、都市国家を運営する責任や兵役の義務も負っていました。そうした自由と責任を担う人材には、知力・体力・精神 力にリーダーシップやさまざまなスキルなども含む、いわゆる“全人力”が欠かせません。その典型的な例が、4年に1度開かれた古代オリンピックの選手たち でした。市民一人ひとりを、国を支えるリーダーとして育成するために、必要な全人力を養うことがリベラルアーツ本来の狙いと言えるでしょう。突き詰めれ ば、個人を育む、全人力をもった個の確立ということなんですね。では、リベラルアーツ教育の場において、全人力に秀でた個の確立がどのように行われるかと いうと、これはもう“対話”しかありません。教える側から教えられる側へ、知識を一方的に与えるというわけではないんですね。
対話とは要するに、「私はこう思う」「いや、僕はこう思う」というふうに自分の意見や視点をもち、それを交わし、戦わせることにほかなりません。自 分の意見がなければ、対話は成り立ちませんから。意見や視点を持つということは、個を持つこと。つまり、相互批評的な対話と個の確立はセットであり、自分 の意見を持って他者と対話することが、個をつくるリベラルアーツ教育の出発点なんです。
対話のテーマは、基本的に何でもかまいません。音楽でもいいし、歴史でもいい。鍛え上げた肉体同士による“対話”もあるでしょう。古代ギリシャ発祥 の格闘技、ボクシングやレスリングがいい例です。しかし続けなければ、意味がありません。対話を重ね、ああでもない、こうでもないと自分の思考やスキルを 練り上げるほど、個は強くなるし、また個が強くないと、対話を続けることもできません。そういう広い意味での対話によって、切磋琢磨し、個を磨き合うのが リベラルアーツの本質であり、原理的な構造なんです。
「教養」という言葉は“広く、浅く”のイメージで受けとられがちですが、本来はそうではなく、アクティブなものなんですね。
そう、ただ静かに座って本を読むとか、講義を聴くというものではないんです。構造が非常にアクティブだし、主体的。個を確立するのは他でもない、自 分自身なんですから、主体的でなければいけません。「教養」という日本語からは、こういう学びの定義や構造はなかなか出てこないでしょうね。
では、「国際教養」という場合、それは、個を磨くための対話の相手やテーマがよりグローバルに広がっていく学びだと、理解すればいいのでしょうか。
その通りです。国と国との境が取り払われ、ヒト・モノ・カネがボーダーレスに動き回る時代を切り開いていくためには、対話力と全人力をもってグロー バルな社会に飛び込み、アクティブに行動していかなければなりません。そこで求められるのは、「私はこう思う」という個の強さであり、そうしたグローバル に通じる個を確立するのが国際教養の原理。ですから、英語ができればいいというだけではありません。もちろん英語は共通言語なので必須ですが、それを道具 立てとしながらリベラルアーツを体現できる人材を育成するのが、私たちの使命なんです。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。