新日鉄住金ソリューションズ株式会社:
あるべき未来像から「仕事」を考え、「働き方」を語る
それが企業社会を支える人事パーソンの使命(前編)
新日鉄住金ソリューションズ株式会社 人事部専門部長/高知大学 客員教授
中澤 二朗氏
働く人々が幸福に近づいているか――問い続けた上司との出会い
大学で経済史を専攻していた大江さんの問題意識は、「近代化あるいは合理化とは何か」にありました。単に人を削るという意味での合理化ではなく、本当の意味での「合理化」、すなわち英語で言うRationalizeが彼の関心事でした。それがどのように進んでいくのか、それによって人は本当に幸せに近づいているのか。現場に飛び込み、自らの目でそれを確かめたい。実際、その執念たるや、そばでみていてもすさまじく、鬼気迫るものがありました。目の前のリアルな出来事に目をすえる。そのミクロのなかにマクロをみる。細部のなかに普遍をみる、ということでしょうか。その時から、私もおよばずながら、そんな現場との対峙の仕方をするようになっていったように思います。
ときおり自宅へもうかがいましたが、たくさんの本がありました。大江さん本人は豪放磊落(ごうほうらいらく)。飲み助でしたが、ものすごい勉強家でもありました。どんなに飲んで帰っても、決まった時間には必ず机に座る、と言っていたのを今でも覚えています。真偽のほどはわかりませんが、その後40年を費やして400ページを超えるドイツ賃金制度に関する学術文献を独りで完訳したそうですから、あながち大袈裟ではなかったのだと思います。仕事で手を抜くことも一切ありませんでした。そんな大江さんと出会って、私は気づかされました。会社とは、本来、人のためにあるものだと。それなのに自分は、口では会社嫌いと言いながら、逆に会社に振り回されているだけではないか、と。
大江さんが直属の上司だった期間は、どれくらいだったのですか。
私が大江さんと出会ったのは、入社後の三交代研修が終わって配属された7月で、彼が釜石の製鉄所へ転勤になったのが、その年の11月ですから、たったの4ヵ月なんですよ。しかし、とてもそうとは思えないから不思議です。それほどに強烈でしたね。彼は私に、「俺はこう思うけれど、中澤はどう思う?」とよく聞くことがありました。それを耳にした当時のテーブルマスターが、大江さんに「自分でもわからないのに、どうして新米の中澤に聞くのか」と言ったそうです。その時大江さんは、「俺がわからないから聞くんだよ。わかっていることを聞いたって、仕方がない」と答えたそうです。真理はどこに潜んでいるか、わからない。だから、相手が新人であろうとなかろうと、おかまいなし。そこに大江さん一流の流儀があったように思います。
大江さんは、中澤さんの能力を試したり、意欲や関心を刺激したりするために、問いかけをされていたわけではないと?
はい。人の考えを変えようなんていう思いは、全くなかったでしょうね。だから私にも響いたのだと思います。それと、これにからんでもう一つ、彼の作った私の「新人育成計画書」には、ほとほと参りました。たとえば、そこに書かれた「模擬労使委員会」がその一つです。人事の指定した様式は、素っ気ない紙一枚。にもかかわらず大江さんは、頼まれもしないのに、微に入り細に入り、私のために何枚ものプランを作ってくれたのです。そんな手のかかる場を、自分で組合に頼んで設定してくれました。「いったいこの人はどういう人か!?」。私でなくても聞きたくなります。そんな感じでしたから、とても「人を育てる」という言葉では言い尽くせません。本当の人材育成とは、「育成」という言葉では包みきれないのかもしれませんね。