現場で働く社員はなぜ不正に走るのか
「なくならない」前提で考える、不正対応の原理原則
埼玉大学学術院 人文社会科学研究科 教授
水村 典弘さん

「不正があってはならない」。誰もがそう理解している一方で、社内・職場不正のニュースをたびたび耳にします。埼玉大学学術院 人文社会科学研究科の水村典弘さんは、「人間が感情の生き物である以上、不正の根絶は難しい」と話します。人事部門は社員の不正をどう捉え、どのように対処していくべきなのでしょうか。水村さんにお話をうかがいました。
- 水村 典弘さん
- 埼玉大学学術院 人文社会科学研究科 教授
みずむら・のりひろ/埼玉大学学術院 人文社会科学研究科長。1974年、東京都生まれ。明治大学商学部卒業、明治大学大学院商学研究科修了、博士(商学)。コンプライアンス・行動倫理を専門として、「コンプライアンス研修の設計と実際―研修の死角と「やらされ感」を生む原因」(日本経営倫理学会誌・2020年)で「学会賞(第1回水谷雅一賞・論文部門優秀賞)」を受賞。「現場で働く社員は何を思って不正に走るのか」(日本経営倫理学会誌・2024年)をはじめとして、論文発表やコンプライアンス研修を多数実施。製品・広告表現の社内チェック体制のアドバイザリー業務や不適切事案予防の取り組みもサポート。
我欲だけでなく「誰がため」の不正が増えている
職場における、社員による不正の傾向をお聞かせください。
最近の物価高に連動して、横領・着服などが増えています。タイプ分けすると、(1)私腹を肥やすための私利私欲型、(2)不正プールに代表される利益分配型、(3)私利私欲型と利益分配型の混成型の三つがあります。そのどれもが公私混同の典型で、人間の欲望や金銭的な欲求に根差した不正だといえます。
「不正は悪いこと」とわかっていながら、なぜ横領・着服をしてしまうのでしょうか。
当事者から話を聞くと、「味を占めて止められなくなる」というのが本音のようです。「ちょっとだけなら許されるはず」「ばれる前に補填(ほてん)しよう」といった軽い気持ちで始め、段々とエスカレートしていくのです。
「(横領・着服は)ポジションを得た者の当然の権利」だと社内で認識され、部内で連綿と受け継がれていたケースもありました。社内チェックが甘いと、「やらなきゃ損」と考えて、ごく普通の会社員でも横領・着服に手を染めて抜け出せなくなるのです。
我欲のために不正を働くケースが多いのでしょうか。
それもありますが、最近の不正は「(相手の)ためを思う」気持ちに起因するようです。相手を思うことは社会的動物としての本性であり、人間に備わる美点ですが、不正の引き金にもなるのです。
「ためを思う」気持ちによる不正は、(1)ゴリゴリの営業を現場に強いる上司のため、(2)我が社・自部門のため、(3)近しい人のため、という3タイプに分類できます。
ゴリゴリ系の上司は、「損か得か」が全てで、部下の不正に興味がなく、「ばれなければ不正もあり」と考えます。この手の上司の下で働く人は、目の前にいる上司のためを思って「結果を出すためには、不正もやむなし」と考えるようになるのです。
結果オーライの上司が社内でそれなりのポジションを得て跋扈(ばっこ)すると、自分に似たタイプの部下を優遇しがちです。加えて、目標未達で吊し上げを食らったり、営業成績を過度に重視した昇格・降格人事が運用されたりすると、「多少無理してでも結果を出さねば」と考える社員が出てくるでしょう。
でも最近は、パワハラに対する締め付けが厳しくなったので、ゴリゴリタイプの上司は減少して、「我が社・自部門のため」「近しい人のため」を思う不正が増えています。とくに、「近しい人」を思う不正が増えたように感じますね。
「かつて世話になった上司や先輩に請われて」だとか、「苦楽をともにした同僚から懇願されて」といった理由で、社内の機密情報や個人情報を横流しする事案を耳にします。ただ、真相を掘り下げてみると、不正を仕向ける側の方が一枚上手で、言葉巧みに相手を操っているケースも多く厄介です。
倫理観など、個人の属性はどのように不正と関係するのでしょうか。
不正を行うかどうかは、個人の倫理観に基づく判断です。加えて、どのような上司の下で育てられたのか、何に重きを置くのかといった因子の影響も受けます。ただ思うのは、個人の倫理観を正確に測定できるのだろうか、ということです。
誰であれ、上司の前、部下の前、取引先の前では、振る舞い方が違うのではないでしょうか。たいがいの人は、場面ごとに“自分”を使いわけるものです。だとすれば、個人の倫理観を測定してもあまり意味がありません。
なぜ人は不正を働くのでしょうか。不正の当事者と対峙して思うのは、「自制心の欠如」です。つまり、「すべきでない」とわかっていても、自分の欲望を抑えきれずに「すべきでないこと」を実行に移してしまうのです。言い換えれば、倫理観を持つ人が不正を働くのです。
自制心の欠如は、待遇面での不満や、目の前の相手のためを思う気持ちなど、人間の持つ感情に起因することも最近の研究で明らかになっています。人間は感情の生き物です。「これは悪いことだ」と理解していても、「自分を育ててくれた会社のために何かしたい」「仕事で世話になった人の恩に報いたい」といった感情が自制心を凌駕(りょうが)してしまうのです。
不正や悪事を犯すのは根っからの悪人ではなく、どこにでもいるような普通の会社員です。私が不正研究に取り組むきっかけになったのは、とある会社で起きた業務上横領の調査でした。横領犯として解雇された人は、社内で順当なキャリアを積み、家族思いの善い人で、「どうしてあなたが?」と言いたくなるような人でした。本人の弁は「魔が差した」とのことでした。
不正が起こる職場で感じる「よどみ」と「にごり」
社員が不正を起こしやすい職場には、何か共通点があるのでしょうか。
「よどみ」や「にごり」を感じます。私は、企業研修やコンサルティング・アドバイザリー業務も手掛けているのですが、依頼主の会社には必ず足を運ぶようにしています。社員に紛れて社員食堂で食事をしたり、休憩室や喫煙所で過ごしたり、三交代勤務のシフトに合わせて生活したりすることで、現場で働く社員がセミナー室や研修会場で見せる「よそ行きの顔」とは違う面を知れるからです。
よどみやにごりを感じる職場には、意思決定の質をゆがめる場の空気が存在します。「見なかったことにする」「厄介ごとの先送り」などが常態化しているともいえます。
「不正」というテーマはどこか暗く、ワクワク・ドキドキの対極に位置します。マーケティング会議のような「攻め」の話題はなく、「どうしてこうなったんだ」「誰が悪いんだ」など、「責め」の話に終始しがちです。こうした厄介な問題に対峙しない「場の空気」がまん延すると、何事もなあなあで済ませるようになり、事の真相がうやむやにされ、ひいては不正がはびこる組織になっていきます。

問題を先送りにする企業としない企業の差は、どこにあるのでしょうか。
目の前の課題に真摯に取り組む会社で働く人は、自分と会社とを同一視しない傾向があります。インテグリティが高いともいえます。加えて、組織メンバーの同質性が低く、同じ問いに対して皆が異なる意見を出し合うことで、課題解決を図るようです。
メンバーの同質性が低い会社の人事部門の方に、「なぜチームのメンバーが互いに異なる意見を持ち、議論できるのか」と尋ねたことがあります。すると、「性格特性が異なるタイプをあえて同じチームにしている」との返答が返ってきました。確かにタイプの異なる人が集うと、議論しなければ結論が出ません。その方は、「正直めんどうだが、そのひと手間を大事にしている」とも話していました。
場の空気を読んだり暗黙の了解で物事が進んだりする組織は、コンプライアンスの観点に立つと、リスクが高いと感じます。見て見ぬふりをする人が一定数いるのは仕方のないことです。問題は、素知らぬ顔して右から左に流す人に周囲の人が同調してしまうことです。コンプラ上の問題が降って湧いたら、「スルーしていいのではないか」「行政に問い合わせよう」「前任者の声を聴こう」など、さまざまな意見が出て然るべきです。
ところで、黙して語らずの社員は何を思うのでしょうか。実は、彼ら/彼女らの本音を引き出してみると、「かつて上司に相談したら、嫌そうな顔をされた」「返り討ちに遭った」「通報したけれど、何の応答もなかった」といった意見が多く聞かれました。全てではないにしろ、物言わぬ人には「物言わぬ理由」があるのです。
では、どうして上司は見て見ぬふりをするのでしょうか。会社に対して忠誠心が高い人ほど、「不正は身内の恥」と考えがちです。とある社内調査で不正が発覚したとき、当該部門の長は会議の場で涙を流しながら「恥ずかしながら我が部門で……」と事の次第を話し出しました。責任ある立場の人は、部下の不正に対して責任を取ろうとします。それはそれで義侠心があってよいのですが、部下の不正を追及すると自分に火の粉が降りかかるので、「聞かなかったことにする」「右から左に受け流す」上司もいます。
上司の役割も重要だと思いますが、上司を変えることはできるのでしょうか。
変われる人も変われない人もいます。かつてコンプライアンス研修の事後アンケート(記名式)に、「コンプライアンスに疎い上司の問題行動を長年にわたって我慢し続けてきた。周囲の同僚の協力を得てアクションを起こしたところ、上司の態度・行動が変わり、職場環境も劇的に改善した」と記されていました。当該の回答者に話を聞くと、「過去にもアクションを起こそうとしたが、同僚から「触らぬ神にたたりなし」と諭されて踏みとどまった」とのことでした。でも今回は違って、同僚と手を組んでアクションを起こしたら、上司の態度・行動が変わったそうです。例外的なケースなのかもしれませんが、同僚と手を組んで行動したことが功を奏したのだと思います。
人によっては、「コンプライアンスで飯(メシ)は喰えない」「売上を上げたければ、ゴリゴリ営業するのが正解だ」と考えるようです。昭和世代の上司や先輩から厳しく鍛え上げられた人たちから「令和の仕事観」を見ると、「甘い」と感じることもあるでしょう。昭和100年(2025年)の今、私が思うのは、「時代が変わった」ということです。だとすれば、「コンプライアンスに疎い」と感じる上司は、ただ時代の変化を素直に取り込めていないだけなのかもしれません。
コンプライアンス違反がない会社は存在しない
社員による不正を防ぐためには、どうすればいいのでしょうか。
未病対策にも似ていますね。不正を防ぐことができれば、それに越したことはありません。かつて「不正を働く人を特定する手法を考案してほしい」という依頼を受けました。技術的には可能なのですが、SFチックで倫理的に望ましくないのも事実です。
調べて知ったことなのですが、古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの時代から「なぜ人は不正を働くのか」が問われてきているのです。だとすれば、欲と感情を持つ生身の人間が仕事に就く限り、不正の根絶は難しいでしょう。
部門の許可を得て私は、研修の参加者に「これまであなたが見聞きした不正をありのままに書いてください。筆跡鑑定は行わず、秘密保持義務も負います」とお願いしています。これまでのところ、白紙・無回答だったことは一度もありません。ですから、「不正は起こるものだ」と腹をくくったほうがいいと思います。ただ不正と一口に言っても三人三様で、一概に「有効な対策」が見当たらないのも事実です。
それはそれとして、不正対応の原理原則は存在します。不正の実行犯を特定したら、社内や職場からつまみ出すか、本社管理部門の監視下に置くことが有効です。横領・着服については、“チェックがザル”が主たる要因なので、信賞必罰を徹底してください。横領・着服のスキームが現場で引き継がれているなら、誰を配属するのかを慎重に検討すべきです。
ノルマ偏重の売上至上主義もリスク含みです。ゴリゴリの上司が社内にのさばると、「結果を出すためには、不正もやむなし」という空気が蔓延し、不正を働いても何とも思わない社員が生まれるため、危険です。人事部門には、「売上に貢献しているが、問題行動が目立つ社員」に対する処遇が「コンプライアンスに対する会社の本気度」を測る指標になっていることを認識してほしいと思います。
厄介なのは、「我が社・自部門のため」を思う不正です。なぜ厄介なのかというと、悪意はないからです。これまで私が見聞きした中では、「数字を出さなければ、自部門が売却される」と信じて不正に手を出した人がいました。
近しい人のためを思う不正では、相手の弱みや過去のしくじりに付け込んで相手を操るケースや、相手が自分に対して抱く感情や親近感を巧みに操って相手を自分の意のままにするケースが増えています。当事者間の近しい間柄が、私たち人間の正常な判断力を鈍らせることは心理実験でも実証されています。尊敬する元上司や、苦楽をともにした元同僚から「頼む」「お願い」などと懇願されたら要注意です。
組織全体で倫理観を高め、組織としてコンプライアンスを守る文化を育てていくには、どうすればいいのでしょうか。
組織全体で倫理観を高めるためには、不正に対する社内の温度差を埋めていかなければなりません。人事部門やコンプライアンス部門の担当者と話していると、「コンプライアンスを自分事として捉えてほしい」という声をよく聞きます。確かに人事部門の担当者にとって不正は自分事でも、現場で働く人にとっては他人事です。なぜなら、社員の多くは、自分の会社でどんな不正が行われているのかを知らされていないからです。
外部講師を招くコンプライアンス研修のコンテンツはどれも似通っているのではないでしょうか。他社事例を取り上げて自分事にするためには相応の工夫が必要です。ならば、社内で起きた不正を一部加工して、「事例研究の教材」としてみてはどうでしょうか。
対面型であれば、研修講師がコーディネーターとなって「コンプラ部門との対話」の場を設けるのも有効です。担当者の生々しい話や、言葉を選んだり歯切れ悪くしどろもどろに話したりする様子が、逆に問題の深刻さと問題解決の難しさを伝えてくれるでしょう。
すべてを開示することは難しくても、社内や職場での発生頻度の高い不正については、徹底した原因分析と情報開示が理想ですね。「罪を憎んで人を憎まず」を軸に、事の次第を開示する。そうやって「不正の相場観」を社員に植えつけていくことで、組織の倫理観が形成されるのです。
コンプライアンスを組織の文化・風土にするというのは、「言うは易く、行うは難し」の典型です。ただ最近は、転職者サイトの社員口コミがコンプライアンスの組織風土・文化を「見える化」しているので、人事部門や管理職の方もチェックしてみることを強く薦めます。「みんなの意見」は案外正しい、と感じるのではないでしょうか。

コンプライアンスを考えるうえでの「ただ一つの正解」はないのですね。
コンプライアンスは「上から目線」で「指示に従え!」というニュアンスで語られがちです。「コンプライアンス」は「遵守」を意味し、医療の分野で「服薬コンプライアンス」は「医者が処方した薬を医師の指示通りに服用すること」を意味します。要は、医師や薬剤師等の指示に患者が従うかどうかなのです。
「コンプライアンス」に代わる考え方として注目される「アドヒアランス」は「患者が積極的に治療方針の決定に参加し、納得したうえで治療を受けること」だとされ、患者の意思に重きを置きます。私は企業コンプライアンスも同様に、「なぜ不正に手を染めたのか――不正の背景事情を丁寧に読み解く措置」が必要だと考えています。不正の当事者に寄り添うことで見えてくることがあるはずです。
不正な行動を選択するに至る理由は、三人三様で異なります。「白か黒かのコンプライアンス」でなく、まずは「なぜ」「どうして」不正に手を出したのかを確認する文化・風土を醸成すべきだと感じています。「ルールに従っているか否か」の二分法では、コンプライアンスのレベルは上がらないでしょう。
人事は当事者の言葉に耳を傾けよう
社内で不正が発覚したとき、人事部門は何をすべきでしょうか。
社内や職場で起きた不正が、重大な不正なのかどうかを見極める必要があります。そのためには、(1)意図的な不正か否か、(2)組織的な不正か否か、(3)管理職が関与しているか否か、(4)役員の対応は適切か否か、を判断することが重要です。
まず、意図的か否か――悪いことだと知りながら不正を働くのと、悪いことだと知らずに不正を働くのとでは、悪質さの程度が異なります。複数回にわたって注意・指摘しても同じ間違いを繰り返すのは、悪質性の高い不正です。
第2に、組織的か否か――不正の実行者と受益者が同一の犯罪であれば、対応は比較的楽でしょう。しかし組織ぐるみの不正となると、不正の当事者・受益者・関与者の利害関係が複雑に絡むので、慎重な対応が求められます。
第3に、管理職の関与――管理職が直接関与していなければ、現場で起きた不正の事実がエスカレーションされたかどうかを確認すべきです。併せて、当該管理職のコンプライアンスに対する態度・姿勢を聞き取ります。不正の報せを受けて親身になって話を聞く人もいれば、「仕事を増やすな」「自分で考えろ」などと突き放す人もいるからです。
最後に、役員の対応――重大不正なら、不正の実行犯や関与者の処分はさることながら、原因分析の徹底と再発防止に向けた組織的な対応が原則です。局所的で一過性の不正なら、抜本的な対策は必要ないでしょう。ただし結論を出す前に、社内や職場をさまざまな角度から点検することを勧めます。後日何か起きたら、「その場しのぎ」「場当たり的な対応」だと叩かれる可能性があるからです。
再発防止にはどのような策が有効なのでしょうか。
再発防止策を講じる際は、人事部門が人事部門として機能することが大切です。社内の複数部門が連携して、問題のある人を監視、あるいは異動させ、問題が起きた場合には対処することも求められます。しかし残念ながら、人事が経営のコマに成っているケースも見受けられます。問題社員が「経営層のお気に入り」だという理由で、温情ある措置を講じてしまえば、社員に示しが付きません。
次いで、コンプライアンス部門の人員の充実を図る必要があります。現場経験の乏しい人がコンプライアンスを語ると、現場で場数を踏んだ人から見透かされます。逆に、現場しか知らない人がコンプライアンスを語ると、「何をどう伝えればいいのか」言葉選びに苦労するかもしれません。
理想を言えば、仕事に求められる成果と「真っ当な仕事」を両立できる人を一本釣り人事で登用したり、過去に不正を働いたものの一から心を入れ替えて生まれ変わった人物を登用したりするなど、再発防止策を機能させるために必要な人材を発掘すべきでしょう。経験に裏打ちされたコンプライアンスは、説得力を超えたすごみがあるからです。
私はかつて、人事部門の方から「やんちゃが過ぎてコンプラ違反の絶えない役員にお灸をすえてほしい」という特命を受けて研修を実施しました。研修会場に着くと、ふんぞり返って座っている人がいて、誰が問題役員かは一目瞭然でした。そして、その後方には、「やれるもんならやってみろ」と言わんばかりの顔をした社長が私をにらみつけていたのです。つまり、人事部門の手に余る問題役員は、社長の「お気に入り」だったのです。
私は、社長が問題役員を優遇する限り問題は解決しないのだと悟りました。こうした危機的な状況では、社外取締役の出番のはずです。でも実際には、社外取が経営の軛(くびき)とならないケースも多く、私自身が「研修講師ごときが首を突っ込むな」と諭されたこともあります。ただやはり、コンプライアンスの推進には、経営トップの理解が必要であること、社外取締役を経営の監視役として活用することが重要だと言いたいですね。
社員の不正行為を減らし、健全な組織を実現することを目指す企業の人事部門や管理職の方々に向けて、メッセージをお願いします。
私がコンプライアンスをテーマとして研究しているのは、社内・職場不正でつらい思いをする人の数を減らしたいからです。人事部門や管理職の皆さんにもぜひ、コンプライアンス課題に対して真正面から取り組んでほしいと願っています。とある部門長は、「不正を働く社員を出したくない」「不正を強いる上司も出したくない」と話していました。私も同じ想いです。ただ実際には、現場に不正を強いる人も、自分の意に反して不正を働く人も、欲や感情に突き動かされる生身の人間なのです。だからこそ、難しいと感じます。
人間の行動を支配・コントロールしているのは理性と情動です。「ダメなものはダメ」を徹底して自制心を働かせれば、社内・職場不正の多くを抑止できるはずです。つまり、「やっちゃいなよ」と不正を促す心に「いやダメだ」とくさびを打ち込めば済む話なのですが、そう簡単にはいかないことは、人事部門や管理職の方々ならよくお分かりでしょう。
まずは、先入観を除して不正の当事者が語る言葉に耳を傾けてください。「なぜ不正を働くのか」を、当事者の側に立って考えてみることを勧めます。あるいは、第三者を交えて不正の事実を客観視してみてください。時間も手間もかかりますが、人事部門や管理職として、何をなすべきかが浮かび上がってくるはずです。
(取材:2025年5月12日)

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