小学生を「学び続ける自走集団」に変える
ぬまっち先生流・やる気を引き出すしかけづくりとは(後編)[前編を読む]
東京学芸大学附属世田谷小学校 教諭
沼田 晶弘さん
「やらされる仕事」と「任される仕事」はどう違う?
一人ひとりをしっかりと見て、理解して、お互いに何でも言い合えるような関係を築くために、心がけていることはありますか。
育ってきた環境が違うという前提に立つ、ということでしょうか。よく、「俺が若い頃は」と武勇伝を語る上司がいますが、時代環境が違うんだから、全く意味を成しません。子どもたちが生まれた頃には、既にデジカメがあって、スマホだってあった。一方、ボクが小さな頃は、写真はフィルムから現像するもので、スマホでネットにつながって、なんでも検索できる生活なんて想像もしなかった。それなのに、「ボクはこんなふうに勉強したから、やってみなさい」とは言えません。「価値観が違う」という前提で、素直に興味を持って、話しかけていけばいいのではないでしょうか。
また、「子どもが何か失敗しても、きちんと自分から報告すれば怒らない」と決めています。子どもだから、何かしでかすことはある。大切なのは「失敗したときどうしたらいいか」「次に失敗しないためには何ができるか」を考えることです。「教科書を忘れた」と言われても、「隣の人に見せてもらいなさい」と教えるのではなく、「じゃあどうする?」「どうしたら次は忘れない?」と聞く。「自分で考える」ことを徹底させてきたので、最近ではあまりボクを頼りにしなくなり、少し寂しくもあります。
子どもたちもボクのことをよく知ってくれています。ちょっと疲れているような時は、「今はそっとしておいたほうがいいな」と、最低限のやり取りで済ませてくれたりします。片付けが苦手だと知っているから、いつの間にかボクの机まわりを片付けるプロジェクトも立ち上がる。苦手なことはなるべく子どもたちが引き受けてくれて、その分、ボクは得意なことをする、という関係性ができているんです。だから、最近はどんどんボクの仕事が減っています。「ぬまっち、めんどくさいでしょ? やってあげるよ」って(笑)。
漢字テストの採点は子どもたちに任せているし、遠足の行程も自分たちで決めて、しおりもパソコンで作ってきてくれた。そうやって、子どもたちがやりたいことをどんどんプロジェクト化して、それを達成すれば壁の花が増える。子どもたちの学力が伸びれば、親御さんも喜ぶ。ボクは採点や資料作りの時間を、授業のアイディアを考えたり、執筆や講演をしたりといったことに充てられる。執筆や講演をすると、物事が整理されて新しい授業が浮かぶので、また子供たちの学びにつながっていく。いいことづくしです。
しっかり信頼関係を築いているからこそ、仕事を任せられるんですね。
関係性も築かないうちにいろいろ頼まれても、「やらされ仕事」になるでしょうね。「やらされる」と「任される」の違いは、頼まれた人のモチベーションだけ。頼まれた人にやる気があれば「任される」になるし、やる気がなければ「やらされる」になるんです。
何がやる気を生むのか、元をたどっていくと、それは楽しさです。いろいろなことができるようになったり、知ることができたり。それが楽しいと思えるように、サポートしています。加えて、信頼関係が築けていれば、「任されること」自体がうれしくなる。ボクも「すごいな。ありがとう!」と、本気で褒める。ただ褒めればいいわけではなく、本気でそう思える時にしっかり褒めることで、子どもたちにもそれが伝わります。
「がんばったから、失敗してもいい」とは、絶対に言わない
がんばってもうまくいかないことも、時にはありますよね。
もちろんです。先日もこんなことがありました。運動会のリレーで1位を取るために、子どもたちは精いっぱい練習をしていたんです。しかし、いろいろとうまくいかないことが重なって、納得のいく結果にはなりませんでした。子どもたちはリレーが終わると泣き出し、退場の合図があってもクラス席へ帰ろうとしません。ボクが「帰ろう!」と声をかけると、ようやく泣きながらうなだれて歩き出しました。それを見て、子どもたちのがんばりを知っていた親御さんたちも泣いていました。
本当にがんばったけどうまくいかなかった人を前にして、「がんばったから、失敗したことは仕方なかった」とは言えません。がんばったからこそ、つらいんです。だからといって、最初からがんばることをやめてしまっては、絶対に成功しません。だからボクは、「がんばれば失敗してもいい」とは言いません。よく「ゴールよりプロセスが大事」というけれど、ゴールがなければプロセスも起こりようがないし、ゴールがあるからこそ、ラストスパートができる。そのため、「努力が報われるとは限らないけど、成功しているやつはみんな努力している」と伝えています。
子どもたちには言いませんが、ボク自身は、本当にがんばれば別に失敗してもいいんじゃないか、と思っています。失敗から見えてくることもありますから。たとえば、うちの学校は毎年たくさんの教育実習生を受け入れています。実習生たちはまず、授業を教室の後ろから見学するのですが、中には授業が終わった後、「もっとこうしたほうがいい」「あれを変えたほうがいい」と意見を言ってくる実習生もいます。そういう場合は、最初はあえて少し距離を取る。その実習生が最初に教壇に立つまで、黙って見ているのです。大抵の場合、実際に授業をしてみると失敗します。後ろから見ているのと、自分が教えるのとでは、大違い。そのことが、失敗して初めてわかるのです。そのときにようやく、ボクは彼らにアドバイスをします。なかなか難しいとは思いますが、企業でも、こうした失敗の場をつくってあげたほうがいいのではないでしょうか。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。