データベースの名門をクラウドでNo.1企業に変革する
原点は「多様性」を目の当たりにした米国体験
日本オラクル株式会社 取締役 代表執行役社長兼CEO
杉原博茂さん
日米で事業の立ち上げを経験。キャリアアップを重ねた時代
そこからグローバルなビジネスに取り組まれるようになったわけですね。
80年代末ですから、日本がバブル景気で盛り上がっていた時期。海外でのM&Aも非常に盛んで、フォーバルアメリカには現地での投資の可能性を探るという役割もありました。アメリカに駐在していた約4年間に、フォーバルのテクノロジーをアメリカ市場で開拓、展開することと並行して、M&Aも手がけました。
そして1993年、アメリカのアリゾナを本社とする「インターテル」の創業者に声をかけられ、人生初めての転職をしました。日本・アジアに進出し通信革命をすることが夢だと伝えられました。当時最先端だった「コンピューター・テレフォニー・インテグレーション(CTI)」や「VoIP」といった技術を持った企業です。同じ頃、アメリカは日本に通信市場をもっと開放するように働きかけていました。そういう流れの中で、通信とコンピューターの融合を進める技術を日本に持ってくる仕事、まさに規制を打ち破って革新していこうという仕事ですから、とてもエキサイティングでした。
インターテルではアジア太平洋地域担当副社長、そして、日本の現地法人の社長というポジション。30代前半でしたが、日本に帰国してオフィスの開設や社員の採用から手がけました。フォーバルではアメリカでの事業立ち上げを経験して、今度は日本での事業立ち上げ。また、アジア全体も管轄していたので韓国、中国、台湾、シンガポール、マレーシア、フィリピン、タイ、インドネシア、と全て立ち上げから任されました。自分で起業した会社ではないですが、ほぼ創業者と同じような仕事をグローバルなスケールでのビジネス経験をさせていただきました。
その後、通信業界からストレージのEMCに移籍されました。
フォーバルとインターテルで約18年。「通信のその先にあるのは何か」と、深い興味がわき、かつ、ベンチャーでの経験に加え、今度は大企業や確立された組織論などを勉強したいと思いました。ちょうどそんな時、1994年に日本での拠点を設立し、急成長していた、EMCと縁があったんです。ストレージと言うと通信とは畑違いのように思われるかもしれませんが、「IT」「ICT」という大きなくくりで捉えると同じ畑。「通信」はいわば「道」で、その「道」を流れるのが、「データ」です。通信とデータは切っても切れないものです。どんどん蓄積されていくデータを保管するシステムがストレージですから。EMCはそのストレージの業界で世界トップ企業でした。
フォーバルアメリカやインターテルでは現地法人トップの仕事でしたが、EMCではいったん営業の現場に戻ることになりました。通信業界向けの営業を担当する事業本部長として、通信会社大手にストレージ・ソリューションを提案するなど改革を進めました。もともと通信業界にいたわけですから、お客様の思い、気持ちや意識を理解したうえで営業活動ができました。世界で最大級のビジネスとしての結果を残すことができ、日本の存在を世界にアピールできたことは今でも誇りに思います。縁があり、今期から、その当時通信に革命を起こした「iモード」を立ち上げた夏野剛さんに、弊社の社外取締役になっていただくことができました。一緒に日本の社会のために、革新的なことができることを望んでいます。
さらにシスコシステムズ、ヒューレット・パッカードと名だたる企業でキャリアを積まれています。
シスコシステムズ(Cisco Systems)に移ったのは、通信とストレージそしてインターネットをつなぐネットワークの業界を知りたいと思ったからです。その分野の世界トップ企業ですし、ジョン・チェンバースCEOの考え方にも共感し、興味がありました。
日本ヒューレット・パッカード(日本HP)には、サーバー事業とネットワーク事業、ストレージ事業の事業統括責任者として、強い組織づくりと事業変革をしてほしいとお誘いを受けて、転職しました。旧体制に変革を起こす、「チェンジ・エージェント」になり、組織に変化を起こすことが私のミッションでした。フォーバルアメリカ、インターテルと、法律、人事や企業会計など営業以外のことも勉強できる環境があったので、大きい組織でマネジメントを行う際にも、そういった経験が役に立ったと感謝しています。日本ヒューレット・パッカードでは、業績の二けた成長、V字回復にも貢献することができました。
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。