田中潤の「酒場学習論」
【第11回】仙台「源氏」とテレワークでの“余韻”と“余白”
株式会社Jストリーム 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
酒場好きを自認する人であれば、必ずと言っていいほど訪れたいと思っている名店、それが「源氏」です。仙台の中心街に近い風情溢れる横丁街である「文化横丁」にある老舗酒場です。この「文化横丁」自体が実に素晴らしいのですが、横丁から「源氏」に向かう路地がまた酒呑み心をくすぐります。実は「源氏」は横丁には面しておらず、横丁から少し路地を入る必要があります。その路地に入ったときから、そこは「源氏」の世界であり、訪れる人は酒場に立ち入る前から「源氏」の雰囲気に少しずつ浸っていくのです。
縄のれんをくぐり、格子戸を開けて店内に入ると、典型的なコの字カウンターが待ち受けています。店全体が醸し出す世界観に私たちは覆われます。カウンター越しに銘酒「高清水」を頼むと、なみなみとコップに一杯注いでくれます。
このお店には独特のルールがあります。酒を一つ頼むと、一緒に一つアテが出でくるのです。これが2杯目、3杯目と続き、4杯目では「おでん」か「椀」かの選択を問われます。4杯でお酒はおしまい。この基本ルールを守って静かにグラスを重ねます。ここの日本酒は1杯の量がしっかりとありますから、4杯も呑めばかなり酔い気分です。
やぼなBGMなどはなく、静寂と客の談笑の声がBGMがわり。凛としながらも、やわらかみのある女将が酒場を切り盛りされていて、酒場全体の空気感がつくられています。日本酒の酒蔵には、酵母を添加せずに蔵についた酵母を活かして酒を醸す蔵があります。醸造する側は大変なはずですが、蔵つき酵母が酒を醸すというのは、なかなかロマンに満ちた話ではないですか。そして、酔い酒場には蔵つき酵母と同じように、何かがその空気の中に生きづいているように感じます。それを浴びながら、お酒をいただく。まさに「酒場浴」の世界です。「海水浴」や「森林浴」のように、私たちは酒場で酒場の空気を浴びて元気をいただくのです。
普段はぎちぎちのスケジュールの中で働いている私たちですが、このような素敵な“余白”の瞬間を楽しめるのが「酒場浴」の何よりの魅力です。そんなひと時をゆっくりと楽しめる「源氏」という素晴らしい酒場。今、この情勢下でどのような営業をされているのか、とても気になる酒場の一つです。
4杯の酒をいただき、気持ちよい酩酊感とともに店を出ます。「文化横丁」へと戻る路地を歩くときも、ずっと「源氏」の“余韻”は残ります。それは素敵な後味です。そして、そんな“余韻”とともに、次の店を探して酒呑みは歩みを進めるのです。
新型コロナウイルス感染症への対策の一つとして、多くの組織が春先から急遽テレワークを取り入れました。おそらくこれは、日本のビジネス社会に一定の定着を見せていくでしょう。単なる緊急避難的な感染防止のための働き方ではなく、恒常的で戦略的な働き方として、さまざまな取り組みが今後、各組織でなされていくことと思います。
「源氏」のような良い酒場の魅力を一言でいうと、“余韻”と“余白”の魅力だと思います。この“余韻”と“余白”が私たちの心をなごませ、私たちの気持ちに元気の灯を灯してくれるのです。そこには目的志向性のない世界があります。もはや呑むという行為、つまり“DO”自体は目的ではなくなり、強いていえば酒場にいるということ自体、つまり“BE”が目的になる、そんな世界です。このことが私たちの心を豊かにしてくれるのです。まさに「酒場浴」はマインドフルネスにつながるところがあります。
実はこの対極にあるのが、テレワークの世界です。典型的なのは、WEB会議でしょう。今ではすっかり慣れてしまいましたが、よく考えてみるとWEB会議は徹底的に目的志向性の強い行為です。
約束の時間になると、各地から皆がWEB会議室に集まります。そしてすべての議事をこなすと、一人ずつ画面から消えていきます。隣の人との雑談はありませんし、目配せしたり、空気を読んだりすることもできません。プレゼン前の緊張した若手メンバーを和らげるためのちょっとした会話もありません。会議でいい発表をした若手社員に、会議室から席に戻る廊下でねぎらいの言葉をかけることもできません。逆に会議で上手にプレゼンができずに意気消沈してしまったメンバーに声を掛けたり、改善点をそれとなく示唆したりする場もありません。
会議はプツリと一瞬で終わります。最後には、一人取り残された自分がいるだけです。まさに“余韻”と“余白”のない世界です。そして、瞬時に次の会議の開催時間が知らされます。会議室の移動という余白時間も、移動の間に同僚とする雑談の機会もありません。
“余韻”と“余白”は人が生きていくために大切なものです。私たち酒呑みは、それを求めて酒場に足を運んでいるのかもしれません。WEB会議に象徴されるようなテレワークの生活の中にも、上手に“余韻”と“余白”をビルトインすることが必要になってくるはずです。これから本当に日常となっていくテレワークを考えるにあたり、実は一番重要な要素がここにあると思うのです。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 管理本部 人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。