田中潤の「酒場学習論」
【第13回】立石「ブンカ堂」と健全で猥雑な職場
株式会社Jストリーム 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
「コの字酒場」という言葉をご存じでしょうか。私が敬愛する呑み手で「コの字酒場評論家」としても知られる加藤ジャンプ氏は、コの字酒場について次のように語っています。
「コの字酒場は、究極の自由の空間であること。カウンターがコの字型になったコの字酒場。そこは上座も下座もありません。コの字型だからどこからでも顔が見えて、一人で飲んでも孤独になり過ぎない。二人で飲んだら、ちょうどいい距離感。そして、そこでは、店主が演者。カウンターを囲む客たちが、その夜の舞台を一緒に楽しむ空間です」
イメージがつきますでしょうか。私は酒場での一人呑みが好きです。ぼーっと一人で呑むことも多いのですが、隣り合った方とあれこれとお話をするのも一人呑みの醍醐味の一つです。良い酒場はそんな機会に満ち溢れています。コの字酒場であればなおさらです。コの字酒場では二人呑みのときも二人が全体の空間から切り離されることなく、酒場との暖かい一体感に包まれ続けます。
今回ご紹介する酒場は、コの字酒場の良さがぎゅっと詰まっている立石の名酒場「ブンカ堂」です。日本の酒都ともいえる立石。駅に降り立った瞬間から、ワクワク感を抑えられません。著名なもつ焼き屋「宇ち多”」の向かい側に位置する「丸忠」の店主を長らくつとめられていたのが、現「ブンカ堂」のオーナーである西村さん。「宇ち多”」は初訪者にはいろいろな意味でハードルの高い酒場ですが、「宇ち多”」で緊張感に満ちた時間(これが良いのですが……)を過ごした新参者の呑み手の多くが、向い側にある酒場「丸忠」に癒されに行きます。立石の街の共通体験があるからこそ、知らない同士の対話も進み、連れあって三軒目に出掛ける人たちも少なくありません。そんな場を穏やかに切り盛りされていた西村さんが開いたコの字酒場が「ブンカ堂」です。
昼酒ができる酒場ですが、実に素敵な空気感に包まれています。コの字カウンターのそこかしこで、対話が生まれます。対面との距離が近い細いコの字なので、向かい席のお客さまとも話ができます。穏やかで暖かい店の全体感を保ちながら、知っている仲も、初めての仲でもあちらこちらで小さな対話が起こる、この健全な猥雑さが酒場の素晴らしさです。特にコの字酒場は、そういった雰囲気に満ち満ちています。
「ブンカ堂」ではいつも燗酒をいただきます。そのアテとするのは「カルー」。できあがると店全体にその香りが広がります。「カルー」の正体はルーのみのカレーです。私はカレーをアテにして燗酒を呑むのが大好きなのですが、いつも邪魔になるのがライスです。コメは十分過ぎるほど酒からとっているので、必要ありません。そこで、たいていはカレーのライス抜きを頼むのですが、ここではその必要がありません。そもそもルーだけがメニューなのですから。実に酒呑み心理を理解されている酒場です。
店全体のゆるい一体感を保ちながら、そこかしこで対話が成立している。もちろん一人になりたいときは、その自由が担保されている。寂しくなったら周りの方に語り掛ければいい。初めての客には常連が声をかける……それがコの字酒場の良さの本質です。そして、実はこれらの要素は良い職場の本質でもあると思っています。
多くの人が日常的にテレワークをしていることかと思います。私も週に3日はテレワークです。テレワークは業務の生産性をかなり向上させます。通勤時間がなくなる効果も絶大です。ただ、テレワークにより失われるものもあります。
例えば会議を考えてみましょう。オンライン会議は生産性高く進められます。実際の会議と比較して本題から脱線した発言をする参加者が少なくなること、資料は事前共有が当たり前になること、全参加者が画面に注目せざるを得ないことなどが理由でしょう。
また、オンライン会議は、絶対的に一度に一つのイシューしか扱えない仕組みになっています。実際の会議では、進行そっちのけで隣の人と別の相談をしている人がいたり、発言まではしないものの隣の人とあれこれ批判的な意見を小声で交わしたりということもありがちですが、オンライン会議では起こりえません。コの字酒場で感じるような猥雑さが入り込む余地がないのです。
実際の会議なら、発表がうまくいかなくてしょげて席に戻ってきたメンバーを、次の発表そっちのけで上司がフォローする場面もありますが、オンラインでは不可能です。説明者が使う言葉を隣の席の部下が理解できていない顔をしているので、小声で解説をしてあげるなんていうフォローもできません。実際の会議は、意外と健全な猥雑さが許容されている場だったのですが、オンライン会議ではそれが一切できません。
これは会議だけでなく、テレワークが中心となった職場全体に言えることです。職場の片隅で交わされる雑談という健全な猥雑行為が、有効な情報交換であったり、アイデアの源であったり、心の癒しであったりしたわけです。上手にテレワーク時代を生き続けるためには、意図的にこういった機能を仕事の中に織り込んでいく必要があるのです。
コの字酒場は自由です。他者の迷惑にならない限り、一人で呑もうがお隣と語ろうがいろいろな過ごし方が可能です。興味のある話をしている人たちがいれば、恐る恐る加わらせてもらうこともできます。この健全な猥雑さが酒場に足を運ぶ楽しみです。一つのイシューしか扱えないオンライン呑み会にはない、酒場の「場」としてのパワーです。職場からもこういった「場」の効能と魅力が失われないように、上手に新しい働き方を創り上げていく必要があります。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 管理本部 人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。