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「『内々定』だから安全」という誤解が招く、企業の致命的損失

―― 働く側の視点から人事に伝えたい、本当のリスクと誠実な採用 ――

 

「まだ正式な契約ではないから、経営判断による取消しは許容範囲だ」
――もし貴社の経営層や人事部門で、このような認識が共有されているとしたら、それは看過できない危うさをはらんでいます。

 

もっとも、採用現場が、限られた情報と時間の中で、極めて難しい判断を迫られていることを、私は理解しています。採用計画は常に不確実性を伴い、業績や経営環境の変化も避けられないからです。

 

それでもなお、ここで立ち止まって考えるべき視点があります。
それは、学生が「内々定」という企業からのメッセージを信頼し、人生の選択を行っているという事実です。

 

学生は、内々定を受けた瞬間に、他社選考の辞退や生活設計の見直しといった、後戻りのできない決断を下します。ましてや、SNSで個人の声が瞬時に可視化される現代です。一人の学生への不誠実な対応は、企業の採用ブランドを一夜にして毀損しかねません。

 

だからこそ、たとえ契約形式が未確定であっても、契約当事者間で相手方の利益を不当に侵害してはならないという「信義誠実の原則(民法1条2項)」を、採用の場面でこそ再確認する必要があるのです。

 

なお、労働契約法上は「使用者」という用語が用いられますが、本稿では、採用や内々定の判断主体としての実態を踏まえ、あえて「企業」という表現を用います。

 

働く側から見た「内々定」の重み

人事部門の方々にまず知っていただきたいのは、学生にとって内々定が持つ意味の重さです。

私が相談を受けてきた多くの学生は、内々定をきっかけに、次のような決断をしています。

 

  1. 他社選考を辞退する
  2. 就職活動を終了する
  3. 住居や生活設計を具体化する
  4. 親や周囲に進路を報告する
  5. 学業や卒業研究に集中する

 

つまり、内々定は学生にとって単なる「途中経過」ではなく、人生の方向性を定める判断材料なのです。

 

それを「まだ正式ではないから」という理由で一方的に取り消すことが、どれほど大きな混乱と不信を生むか。日々の業務に追われる中で、この視点が置き去りにされてはいないでしょうか。

 

実際に起きた内々定取消しと、その波紋

2023年秋、業績悪化を理由に、30名の内々定を一斉に取り消した大手メーカーがありました。人事部の判断は「正式な内定ではない以上、法的問題はない」というものでした。

 

しかし、SNSで拡散されたのは、取消し通知を受けた学生の声でした。

「入社承諾書も提出し、他社選考もすべて辞退しました。それでも、この扱いなのですか」

 

企業名は瞬く間に特定され、翌年の新卒採用では応募者数が大幅に減少しました。内々定取消しは、当該学生だけでなく、大学のキャリアセンター、就活生、そして既存社員にまで影響を及ぼしたのです。

 

人事が陥りがちな「3つの誤解」

誤解1:「内々定は契約ではないから問題ない」

たしかに、名称だけを見れば契約ではないかもしれません。しかし、労働法は形式ではなく実質・実態を重視します。

 

  1. 書面で内々定通知を交付している
  2. 入社承諾書の提出を求めている
  3. 採用確定と受け取られる説明をしている
  4. 研修参加などで他社活動を制限している

 

こうした運用が重なれば、裁判所は「内定=労働契約成立」と判断する可能性があります。その場合、労働条件明示義務(労基法15条)も発生します。すなわち、実務上、入社承諾書の提出や他社選考の辞退を促した時点で、それは事実上の「内々定の債務化」を引き起こしています。

 

もっとも、働く側にとっては、法的整理そのものが本質ではありません。「あなたを採用します」と言われた瞬間に、人生の舵を切っているという現実があるのです。

 

誤解2:「学生も並行して受けているから、お互い様だ」

内々定前と後では、状況は異なります。多くの学生は、内々定を受けた後、当該企業を信じて他社選考を辞退します。それが誠意だと考えているからです。

 

 

もし企業側が「確定ではないから、他社も受け続けてほしい」と考えるなら、そのことを明示的に伝える責任があります。伝えないまま「お互い様」とするのは、フェアではありません。

 

誤解3:「影響はその学生だけに留まる」

 内々定取消しの情報は、後輩学生や大学関係者といった「外部」に伝播するだけに留まりません。  

 

「この会社は、都合が悪くなれば人を簡単に切り捨てる」

 「業績が悪化すれば、自分も同じ目に遭うのではないか」

 

  こうした疑念は、既存社員の心にも深く刺さります。結果として、「自社への不信感によるエンゲージメント低下と離職」という形で、組織を内側から崩壊させるトリガーになりかねません。社外への不誠実は、巡り巡って社内の最強の資産である「人材」の流出を招くのです。

 

内々定取消しが生む「見えない経営損失」

30名の内々定を取り消せば、一時的に人件費は削減できるかもしれません。しかし、それは極めて短期的な数字に過ぎません。  

 

仮に新卒の平均採用単価を約93万円とすると、30名分で約2,800万円。これまでに投じた莫大な採用広告費と現場の選考工数は、その瞬間に「サンクコスト(埋没費用)」にと変わります。  

 

さらに深刻なのは、SNSでの悪評や大学側の推薦控えにより、翌年以降の採用コストが高騰し、承諾率が低下することです。信頼回復のための追加投資は、数億円規模に膨らむ可能性すらあります。出した内定の半数以上が辞退されるといわれる熾烈な採用市場において、自らブランドを傷つける行為は致命傷になりかねません。  

 

目先のコスト削減のために、企業の無形資産である信頼を損なう。これが、内々定取消しの経営的な正体です。すなわち、真に恐ろしいのは、その裏で進行する「ステルス・ブランド毀損」です。これらはPL(損益計算書)には即座に現れず、人事KPIの悪化という形で静かに、しかし確実に経営を蝕みます。一度始まったステルス・ブランド毀損を止めるには、失った信頼の数倍のコストが必要になるのです。

 

もし経営環境の激変により、どうしても苦渋の選択を迫られるのであれば、書面一枚で済ませず、学生一人ひとりと対面し、誠実に状況を説明した上で、他社紹介や就職再開の支援(アウトプレースメント)を企業責任として申し出るべきです。

 

その誠実なプロセスこそが、ブランド毀損を最小限に食い止める唯一の防波堤となります。

 

内々定は「企業の都合」ではなく「人生の約束」

私は、企業側の事情も理解しています。経営環境の変化は避けられませんし、裁判所も一定の理解を示します。

 

しかし、そのリスクを、もっとも立場の弱い学生に一方的に転嫁してよいのでしょうか。

 

内々定を出すということは、「あなたの人生の選択を信じてください」と企業が語りかける行為です。その信頼に応える覚悟があるのか。そこが、今あらためて問われています。

 

働く側の視点を取り入れた「内々定運用改善3ステップ」

ステップ1:内々定が学生の人生に与える影響を想像する

 

  1. 取消した場合、この学生の人生に何が起きるか
  2. 取消しの可能性を、学生に伝えているか
  3. 学生を「調整弁」として見ていないか

 

人生を想像できない内々定は、出すべきではありません。

 

ステップ2:働く側の声を採用プロセスに組み込む

 

  1. 若手社員へのヒアリング
  2. 内定辞退者への振り返り
  3. 大学キャリアセンターとの対話

人事部門だけで完結させないことが重要です。

 

ステップ3:内々定制度そのものを見直す

 

  1. 曖昧な期間を短縮する
  2. 正式内定への移行を早める
  3. 取消し基準を事前に明示する

 

曖昧さを減らすことは、企業にとってもプラスになります。

 

おわりに――信頼される採用へ

私は一貫して「働く側」の立場から、採用の現実を見てきました。だからこそ、人事の皆様に厳しい指摘もいたしました。

 

しかし、それは対立のためではありません。企業と働く人が、互いに信頼し合える採用を実現してほしいからです。

 

内々定の運用を見直すことは、単なるリスク管理ではありません。それは、「人を大切にする企業である」という姿勢を示す行為です。

 

その一歩が、結果として採用力と企業価値を高めることを、私は確信しています。

「情けは人のためならず」ということわざの大切さをあらためてかみしめます。

 

 

このコラムを書いたプロフェッショナル

及川 勝洋

及川 勝洋
一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー

制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。

制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。

得意分野 法改正対策・助成金、労務・賃金、キャリア開発、資格取得、法務・品質管理・ISO
対応エリア 全国
所在地 志木市
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