『復帰可能』診断書の罠――形式的判断と、復職準備性
はじめに:その「復帰」は、本当に組織の利益か
病気治療を終え、診断書に「復帰可能」の文字が踊る。人事がその一言に安堵し、現場へ社員を戻す。一見、円満な職場復帰の風景ですが、ここに大きなリスクが潜んでいます。
治療が一区切りついたことと、以前と同様の業務負荷に耐えうる状態にあることは、必ずしも同義ではありません。本稿では、筆者自身の再発体験を通じて、回復途上の社員を「即戦力」として扱うことの危うさと、人事に求められる真の判断基準である『復職準備性』の評価について、実践的に考察します。
「完治」と「無理」の境界線で起きたこと
責任感が招いた過信
昨年末、私は業務上の要請により、年末年始を返上して仕事に当たっていました。手術を経て退院した直後であり、体力は完全には戻っていませんでした。しかし、「仕事に穴を開けられない」という責任感、そして組織側からの「大丈夫だろう」という無言の期待が、私を突き動かしていました。
主治医は診断書で「仕事復帰への配慮」を求めていました。にもかかわらず、「復帰可能」という文言だけが独り歩きし、通常業務への即時復帰が既定路線となっていたのです。
再発という代償
しかし、その無理はすぐに限界を迎えました。夜中に腹部を襲った激痛により、夜間救急外来へ担ぎ込まれる事態となりました。原因は、体内に残っていた病原菌の再燃でした。抵抗力が落ちているなかでの労働が、引き金になった可能性は否定できません。
大晦日と仕事始めの5日。世間が休息と再始動に沸く中、私は病院の処置室にいました。腹部を切開して膿を除去し、体内から分泌物を出すためのドレーン(管)を装着されました。入院中、全身を管に囲まれ麻酔なしの処置に耐えた。その痛みを知る自分ですら、現場に戻れば「無理すればなんとかなる」と錯覚してしまったのです。
ましてや、本人の痛みを直接知らない管理職や人事が、回復途上の深刻さを正確に推し量ることは困難です。
なぜ現場は「形式的要件」に逃げるのか
二つの「正当性」という落とし穴
幸いにして再入院は免れましたが、現在も養生と一日三回の服薬は続いています。この経験から得た教訓は、医療的な「復帰可能」は、あくまで「日常生活への復帰」の認可に過ぎないということです。
しかし、多くの現場では、以下の二点を根拠に、通常業務への即時復帰が判断されがちです。
- 「医師の診断書が出ている」(形式的妥当性)
- 「本人が働けると言っている」(主観的事情)
これらは一見、正当な判断基準に見えます。しかし、主治医は治療の専門家であり、職場環境の専門家ではありません。具体的な業務負荷(残業時間、ストレス強度、身体的負担)や、通勤ラッシュでの消耗までは把握していないのです。
また、本人は「キャリアへの不安」や「周囲への申し訳なさ」から、無理をしてでも「大丈夫です」と答えがちです。私自身もそうでした。
形式依存が招く経営リスク
この「形式」に依存した判断が、結果として再発や長期離脱を招き、組織全体の生産性を著しく低下させます。短期的な人手不足を補おうとする焦燥感が、長期的には代替不可能な人材を失うという、最大の経営リスクを招いているのです。
厚生労働省『事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン』でも、復職判断には産業医等による「業務遂行能力の評価」が不可欠であると明記されています。しかし実務では、この評価が形式的面談で終わるケースも少なくないのではないでしょうか。
「復職準備性」という実質的判断基準
産業医の役割を機能させる
今、人事に求められているのは、制度を運用する「番人」としての役割だけではありません。回復途上の社員に対し、産業医と連携しながら「復職準備性」を実質的に評価するコンサルタントとしての視点です。
産業医は、主治医の診断を「職場環境」という文脈に翻訳する専門家です。しかし、その専門性を活かすためには、人事が以下の情報を適切に提供する必要があります。
- 当該業務の具体的な負荷(身体的・精神的)
- 繁忙期のスケジュール
- 通勤環境(満員電車の有無、通勤時間)
- チーム状況(代替要員の有無、サポート体制)
復職準備性の具体的評価軸
「復職準備性」とは、単に「働ける」か否かではなく、「その業務を、再発リスクなく継続できるか」を多角的に評価する概念です。そこで、以下のチェックリストが参考になります。
【復職準備性の評価軸(例)】
1.体力面:通勤ラッシュに耐えられる体力があるか
2. 持続性:フルタイム(週40時間)の継続的勤務が可能か
3.柔軟性:急な残業要請や業務変更に対応できる余力があるか
4. ストレス耐性:業務上のストレス場面(会議、締切、対人折衝等)への耐性は回復しているか
5. 治療継続性:服薬・通院スケジュールと業務の両立は現実的か
6. 再発予防:疲労の蓄積を自己管理できる状態か
これらの評価は、主治医の診断書だけでは判断できません。産業医との面談を実質的に機能させ、必要に応じて試し出勤(リハビリ勤務)制度を活用することで、初めて見えてくるものです。
そうした復職準備性を適切に評価することで、復職後の経過についての予見可能性が高まり、人事・現場双方が適切な支援計画を立てられるようになります。これは単なる「リスク回避」ではなく、社員・組織双方にとっての「成功への投資」なのです。
段階的復帰という現実的アプローチ
「調整期間」の具体的設計
治療と就労の両立支援において、復帰は「ゴール」ではなく、長期的なパフォーマンス維持のための「調整期間の始まり」です。
そのうえで、以下のような段階的アプローチが、結果的に早期のフルパフォーマンス達成につながります。
【段階的復帰の一例】
- 第1週~2週:時短勤務(1日5時間)、残業禁止、定型業務のみ
- 第3週~4週:1日6時間勤務、軽度の会議参加開始
- 第5週~6週:1日7時間勤務、業務範囲を徐々に拡大
- 第7週~8週:通常勤務、ただし残業は月10時間まで
- 2ヶ月目以降:産業医面談で状況確認のうえ、段階的に制約を解除
重要なのは、「本人の申告」だけでなく、客観的な指標(勤怠データ、業務量、産業医所見)を組み合わせて判断することです。
現場への問いかけ
人事は、現場管理職に対して以下の問いを投げかける必要があります。
- 「どの程度の負荷なら、再発リスクを抑えつつ継続できるのか」
- 「診断書の『可能』を、自社の『通常業務』にどう翻訳するか」
- 「短期的な戦力化を急ぐあまり、長期的な人材損失を招いていないか」
これらの問いに誠実に向き合うことが、真の意味での両立支援につながります。
結びに代えて:実質的なマネジメントの実現
社員の健康を損なってまで守るべき「納期」や「効率」は、果たして持続可能でしょうか。
無理な復帰判断によって生じる「再発」は、本人にとっては人生の大きな挫折となり、組織にとってはマネジメント上の重大な機会損失を意味します。失われるのは、その社員の労働力だけではありません。チームの士気、組織への信頼、そして何より「この会社は社員を大切にする」という評判です。
「形式」という防波堤を一度取り払い、生身の人間が抱える回復途上の痛みや脆弱さに寄り添うこと。診断書の文言ではなく、その人の実際の業務遂行能力を見極めること。産業医という専門家の知見を、形式的面談で終わらせず、実質的な判断材料として活用すること。
その実質的な配慮こそが、結果として組織の強靭さを育みます。
私の苦い経験が、皆様の組織における「復帰判断」のあり方を再考する一助となれば幸いです。そして、同じような再発の苦しみを味わう人が一人でも減ることを、心から願っています。
このコラムを書いたプロフェッショナル
及川 勝洋
一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー
制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。
及川 勝洋
一般社団法人地域連携プラットフォーム シニアリサーチャー
制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。
制度や理論を現場で機能させることを一貫して追究。学術研究と実務の知見を架橋し、人材育成・キャリア形成を横断的に探究。人事施策を実装可能な形に翻訳し、個人の納得感と組織の持続的成長を支える伴走者。
| 得意分野 | 法改正対策・助成金、労務・賃金、キャリア開発、資格取得、法務・品質管理・ISO |
|---|---|
| 対応エリア | 全国 |
| 所在地 | 志木市 |
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