【靴磨き職人】
“第二の敗戦”直後から続々参入。
平成のシューシャインボーイが職人の新モデルに
駅前や繁華街の路上で小さな台に足を乗せ、職人に靴を磨いてもらう――靴磨きと聞くと、そんな光景を思い浮かべる人が多いだろう。なかには、ベテランの職人が足元にひざまずいてサービスを提供するスタイルに、抵抗を感じる人がいるかもしれない。しかし近年、そうした従来のイメージを払しょくする新業態の靴磨きが増えている。磨けば光るのは、靴も、仕事も同じ。若き職人たちの発想が、一時代前の職業と思われがちな靴磨きに輝きが蘇らせた。
靴磨き職人はなぜ、路上から姿を消したのか
「おじさん、磨かせてよ」――第二次大戦の敗戦直後の混乱期。都市部の駅のガード下には、そう言って客に声をかける“シューシャインボーイ”が溢れていた。戦争で親を失い、生きるために靴磨きで日銭を稼ぐ少年たちを、そう呼んだのである。『東京シューシャインボーイ』(1951年)や『ガード下の靴磨き』(1955年)などの流行歌にもなったため、世代によっては、「靴磨き職人」と聞くと、いまだに戦災孤児や貧困といった悲しいイメージを重ね合わせる人が少なくない。実際、海外の貧困率の高い国々では、現在でも靴磨きが、幼くして一家の生計を支える少年やストリートチルドレンの数少ない収入源になっている。
靴磨きという作業自体はそもそも家事の一つであり、上記のとおり、いざとなれば“子どもでもできる”仕事だと言えなくもない。しかし職業として確立された「靴磨き職人」は、その技術を素人にはとうていまねできないレベルにまで熟練させ、高度な専門サービスとして提供するプロフェッショナルを指す。元手がなくても簡単に始められるから、と軽い気持ちで手を出した者は、決まってその道の奥深さや商売の厳しさに愕然とするという。
駅前や繁華街の路上で、客は小さな台に足を乗せ、職人はひざまずいて靴を磨く――多くの人が思い浮かべる靴磨き職人のスタイルは、シューシャインボーイの時代から続く、そうした露天での靴磨きサービスだろう。たとえば、大勢のビジネスパーソンが日々行き交う東京駅や新橋、上野あたりの駅前では、昭和20年代から当地で商売を続けている街場の大ベテランがいまも健在だ。社会の激動を人々の足元から見つめ続けてきた、いわば時代の生き証人としてメディアに取り上げられることも多い。しかし路上靴磨きの職人の数は、1960年代ごろを境に急減。かつては東京都内だけで500人以上いたというが、高齢化が進み、昨年末時点でわずか十数人にまで減ってしまった。靴磨き職人はなぜ、路上から姿を消したのか。
理由は大きくニつある。一つは、東京では東京オリンピック(64年)、大阪では大阪万博(70年)を機に、道路の舗装が急速に進められたことだ。高度成長期以前は、都内の道路もいたるところ未舗装で、泥だらけの道を歩くとたちまち靴が汚れた。路上の靴磨きは、特に営業マンなどにとって必要不可欠なサービスだったのである。また、公道上で商売をするには、所轄の警察署の道路使用許可と都道府県が出す道路占用許可が必要だが、そもそも靴磨きへの許可が戦後復興期の特例措置だったこともあり、60年代以降は新規の登録が難しくなった。それが、ニつ目の理由である。最近は違法営業の取り締まりも厳しい。現在営業しているベテランたちが引退すると、路上での靴磨きは自然消滅する運命にある。
靴磨きをおしゃれに――業態もイメージも新しく
しかしそれは決して、靴磨き職人という職業そのものが失われることを意味しない。路上での靴磨きは消えつつあるが、一方で近年は、オフィス街や商業ビルの一室に実店舗を構え、新しいスタイルの靴磨きサービスを提供する、若い職人たちが増えてきているからだ。
彼らの草分けとして知られるBOOT BLACK JAPAN代表取締役の長谷川裕也氏が、路上靴磨きの下積み時代を経て、ファッションの街・青山に自らの店舗を構えたのが2008年。その成功が“靴磨きの新業態”としてメディアに紹介されると、後に続く若者が大阪や名古屋などに現れた。屋内での営業自体は、以前から高級ホテルや百貨店、空港で行われていたが、宿泊客や利用客が主な対象なので、誰でも気軽に立ち寄れるわけではない。店の中なら、客は通りがかった人の目に晒されることもなく、落ち着いて靴を磨いてもらえる。旧来の路上靴磨きの、利用しづらいイメージを覆したところに、店舗型サービスが新しい客層に受け入れられた要因がある。
長谷川氏は靴を磨くスタイルにも新機軸を打ち出した。靴磨きという職業のステータスが高くないのは、客の足元にひざまずく昔ながらの接客方法に原因があり、客の立場からも職人を見下ろすようなスタイルには抵抗があるのではないかと考えたからだ。これを改善するために、客から靴を預かり、バーを思わせるおしゃれなカウンターの上で磨くカウンター式の靴磨きを考案。洗練された雰囲気の演出に成功し、評判を呼んでいる。
業態が変わっても、靴を磨く工程や技術そのものは、従来とほぼ変わらない。ブラシなどで靴の汚れを落とし、乳化クリームで革に栄養を与え、ワックスで磨き上げる。ただし一般的な路上靴磨きの場合、1000円以下の価格設定で数をこなすために、サービス時間はせいぜい10分程度だが、店舗型サービスでは、より時間と手間をかけて仕上げを行う高価格コースや補修・染み抜きなどオプションも人気が高く、平均数千円の客単価が見込めるという。
出張サービスやインターネット通販でビジネスを拡大
靴磨き職人として開業するにあたって、必要な資格はとくにない。かつては独自に資材や設備をそろえて始めるのが一般的だったが、最近は店舗型サービスの登場により、すでに店舗展開している企業に就職して腕を磨いたり、フランチャイズ加盟や暖簾分けなどの形態で起業したりする道が開けてきた。技術については、靴磨き専門店やシューケア用品メーカーなどが催す靴磨き講習で基本を学ぶこともできるが、靴の状態や客のニーズにあわせて、より高度なケアが提供できるようになるには、やはり自ら研究し、創意工夫を重ねる努力が欠かせない。資質としてまず求められるのは、モノへのこだわりや丁寧さ、細やかさ。靴磨きをファッションの一部と捉える価値観も広がりつつあるので、靴を含めたおしゃれに興味があり、顧客とのコミュニケーションを楽しめる人なら、適性も、やりがいもあるだろう。個人営業では、収入は売上次第だが、専門店に勤務する場合は、各店舗や経営する企業の規定に準じる。
靴磨きサービスの対象となる本格的な革靴の市場は近年、縮小傾向にあるが、一方で不況や消費行動の変化により、こまめにケアしながらでも、良い靴を長く使いたいという人が確実に増えている。一足に10万円以上費やすような“靴の愛好家”によるニーズも根強く、その分、仕上がりへの要求度は高まるが、職人としてのやりがいはむしろ大きいだろう。企業・個人宅への出張サービスやイベントでの露店営業、インターネット受注など、販路拡大のチャネルも広がってきた。いまや靴磨きは、職人の生業からビジネスへと、生まれ変わりつつあるのだ。
思えば、90年代末から00年代初頭のわが国では、バブル崩壊後の長期不況から抜け出せない低迷を指して、「第二の敗戦」という言葉が叫ばれた。その直後から、前述の長谷川氏ら新しいシューシャインボーイが台頭し始めたのは、たんなる歴史の偶然だろうか。
※本内容は2015年10月現在のものです。
この仕事のポイント
やりがい | 靴磨きをファッションの一部として、より高度な仕上がりを提供する |
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就く方法 | ・すでに店舗展開している企業に就職して腕を磨いたり、フランチャイズ加盟や暖簾分けなどの形態で起業も可能 ・独自に資材や設備をそろえて始めることもできる |
必要な適性・能力 | 靴を含めたおしゃれに興味があり、顧客とのコミュニケーションを楽しめる人 |
収入 | 店舗型サービスでは、高価格コースや補修・染み抜きなどオプションも人気が高く、平均数千円の客単価 |
あまり実情が知られていない仕事をピックアップし、やりがいや収入、その仕事に就く方法などを、エピソードとともに紹介します。