「エンドユーザー」の意識・変化をつかむ
「情報提供」に取り組み続けた経験が今の自分をつくった
株式会社ダイヤモンド・ヒューマンリソース 代表取締役社長
筒井智之さん
新卒採用メディアのスタンダード「ダイヤモンド就活ナビ」や「ダイヤモンドLIVEセミナー」。内定者フォローや新人研修をはじめとするダイヤモンド社の若手人材育成コンテンツの数々。各種サービスの企業向け提案やコンサルティングを中心に、「新卒採用から教育、早期戦力化まで」のトータルソリューションを提供しているのが株式会社ダイヤモンド・ヒューマンリソースです。2008年から同社を率いるのが代表取締役社長・筒井智之さん。1980年代後半から新卒採用支援の仕事に携わり、学生の就職活動や企業の採用活動の変化をつぶさに見てきた採用のプロフェッショナルです。筒井さん自身のキャリアから、今日の日本社会が抱える「人と組織」にまつわる課題、コロナ禍がもたらす採用への影響、さらには人材サービスのこれからなど、幅広いテーマでじっくりと語っていただきました。
- 筒井智之さん
- 株式会社ダイヤモンド・ヒューマンリソース 代表取締役社長
つつい・さとし/1988年4月、株式会社毎日折込企画(現・株式会社アイデム)に入社後、1989年9月に株式会社ダイヤモンド・ビッグに入社し、人材採用事業本部に配属される。その後、採用コンサル事業本部営業1課長、地域営業企画本部長などを経て、2002年に株式会社ダイヤモンド・ビッグアンドリード取締役、2008年に同社代表取締役社長に就任。2014年12月に同社は株式会社ダイヤモンド・ヒューマンリソースに社名変更。
独自の手法で集めた学生情報で大手企業の信頼を獲得
1989年9月に、現在の仕事につながるダイヤモンド・ビッグ社に転職されています。まずはキャリアのスタート地点からお話をお聞かせください。
ダイヤモンド・ビッグ社に入社する前に、1年半ほど求人広告営業の仕事を経験しました。当時はバブル景気の真っただ中で、新聞の折込広告が今の10倍くらい入っていた時代。会社の業績は絶好調である反面、営業の仕事はとてもハードでした。扱う求人広告の内容は中小企業のアルバイト・パートの募集などが中心で、空前の人手不足のため求人紙は週3回の発行。毎日が「下版日」のような状況でした。朝早く出社し、日々20件以上のアポイントをこなして家に帰るのは深夜、という生活。ただ、この経験のおかげで学生時代の甘い意識は全部すっ飛びました。その意味では本当に感謝しています。結婚したこともあり、もう少し商談規模が大きくてじっくりと仕事ができる環境に移りたいと思い、転職を考えました。
ダイヤモンド・ビッグ社は、私が学生時代にアメリカ大陸横断旅行へ持っていったガイドブック『地球の歩き方』を発行していた会社です。なんとなくなじみがあり応募したのですが、求人広告営業の経験が認められて入社が決定。転職活動をはじめて最初に受けた会社でしたし、説明会には100名くらい来ていましたので、まさか自分が、と少しびっくりしました。バブル期でしたので同業他社の求人も多数出ていましたが、ダイヤモンド・ビッグ社だけ勤務条件が完全週休二日制だったこともあって、そのまま入社することにしました。その頃はまだ隔週週休二日の会社が多く、前職の反動もあり魅力的に感じました。
ダイヤモンド・ビッグ社ではどのような経験を積まれたのでしょうか。
配属先は、新卒向けの求人広告を扱う人材採用事業本部で、『ダイヤモンド就職ガイド』という、学生の自宅に届く分厚い就職情報誌の案内をベースとしたコンサル営業を担当しました。最初は、地方銀行とカーディーラーを担当。いろいろと工夫して提案しているうちに、地銀を相手にそこそこの実績を上げることができ、1990年からは「都市銀行を担当したい」と手を挙げて、当時の協和銀行と埼玉銀行を担当させてもらえることになります。それ以来、2002年に取締役になり営業担当をもたなくなるまでずっと都銀と生命保険会社の大手金融機関と総合商社数社を担当していました。
大手金融機関の人事部採用チームは、現場で営業実績を上げた人が配属される部署です。そのため一生懸命やれば人事部の担当者はきちんと私の営業を評価してくれました。その意味では非常にやりやすかったですね。もちろん仕事はレベルが高く、提案のスピードも質も量も要求されましたのでしんどいと感じるときもありましたが、朝早くから夜遅くまで働くことは前職で経験して慣れていましたから、特段大変だとは思いませんでした。大手金融機関への営業によって実績も上げられましたし、受託したパンフレットなどで多くの方を取材したので世の中のことも理解できた。とてもいい経験だったと思っています。
大手企業から評価された営業手法とはどのようなものだったのですか。
当時の『ダイヤモンド就職ガイド』は、就職ガイドとしては掲載社数で業界4位でした。そのため、就職ガイドだけを案内していても全く差別化できませんのでなかなか売上が上がりません。そこで、リアルタイムの学生情報という付加価値の提供に注力することにしました。モニターという形で就職活動中の学生を募り、アドバイスをしながら、そこでつかんだ就職活動の動向をクライアント企業にフィードバックするのです。
この頃は就職協定が存在し今よりも「しばり」がきつく、各企業はその制約の中で採用を成功させるためにしのぎを削っていました。とりわけ企業が欲しがっていたのが、大手企業がいっせいに内定を出す日、通称「Xデー」がいつになるのか、という情報です。この「Xデー」に半日でも遅れるとその年の新卒採用は失敗、というくらいギリギリの情報戦が毎年展開されていました。ところが、そうした情報を学生の生の声からひろって企業に提供している営業は、意外なことに同業他社も含めてほとんどいませんでした。
情報は、東大をはじめとした旧七帝大や一橋、早慶の学生と個別にコンタクトをとって集めます。「ヒヤリングモニター」と呼んでいました。こちらも企業との守秘義務の範囲で手持ちの情報を学生に教えてあげることで信頼を得るのがポイントです。当時は携帯電話もなく、学生に連絡がつくのは学生が自宅にいる夜10時ごろ。外回りの営業をした後、オフィスに戻ってから電話をかけるのは大変でしたが、そうして得た独自の情報は、クライアント企業から非常に高く評価してもらえました。企業により深く食い込めましたし、パンフレットの制作や会社説明会の運営代行などの受託だけでなくリクルーター想定問答集の作成や、採用全体のプランニングなど、同業他社よりも一段高い立場でお手伝いすることができるようになりました。
営業で好業績を上げ、その後、ダイヤモンド・ビッグ社とリードネットワークの提携プロジェクトに関わられます。
リードネットワークはもともと、地方を拠点に「LEAD」という就職情報誌を発行していた20社以上の企業が、共同出資で東京につくった会社でした。当時、ダイヤモンド・ビッグ社は、支社が大阪と名古屋にしかなく、業務提携によって一挙に全国展開できるメリットがありました。リードネットワークも、急速に進んでいた求人媒体のネット化の波に乗るために、ソフトバンクグループのイーキャリア(現SBヒューマンキャピタル株式会社)と組んで就職サイトを手がけていたダイヤモンド・ビッグ社のノウハウやシステムを活用したいという思いがあったようです。
2001年の業務提携は両社の経営陣が決めたわけですが、その結果生まれた「株式会社ダイヤモンド・ビッグアンドリード」の運営責任者を誰が担当するかという話になったときに、私は自分から手を挙げてそのポジションを希望しました。このダイヤモンド・ビッグアンドリードが、後に社名を変更して「株式会社ダイヤモンド・ヒューマンリソース」になります。
責任者になることを希望されたのはなぜですか。
この時期、自分よりも若いIT起業家がたくさん出てきて世間でもてはやされていました。それを見ながら焦りを感じていたんです。営業としては成果を出して、管理職も経験していましたが、経営そのものに関わる機会はほとんどありませんでした。自分も近い将来経営者になりたい、そんな思いが芽生えていたのです。
ちょうどそのタイミングで立ち上がったダイヤモンド・ビッグアンドリードは、小さいながらも独立した会社で、株主総会も取締役会もあり、経営を学ぶ絶好のチャンスだと思いました。ダイヤモンド・ビッグ社の大阪・名古屋の拠点も管轄する地域営業企画本部長というポジションを兼任しながら、同時に執行役員としてダイヤモンド・ビッグアンドリードに出向することになりました。
といっても、オフィスはダイヤモンド・ビッグ社のビルの一室で、そこにいたのは私一人だけ。地方企業のネットワークなので営業スタッフはそれぞれの地元にいるわけです。自分のペースで動けるので気は楽でしたが、別法人の会社を20社以上まとめなくてはいけないので、仕事自体はけっこう大変でしたね。基本的には、地方の企業にダイヤモンド・ビッグ社の『就活ポラリス』をはじめとする就職サイトの求人広告を売ってもらう、いわば代理店の開拓営業です。当時は1県1社制をひいていましたので「加盟会社」として担当エリアの専売をお願いしていました。全国をまわって販売勉強会を行うのですが、それだけでは終わりません。むしろ勉強会のあと、一緒にカラオケやボウリングに行って親睦を深めることのほうが重要でした。人間関係をつくらないと、売ってくれないのです。
あまり飲めない日本酒をたくさん飲まなければならないのは大変でしたし、地方企業に帯同営業に行くと、それまで東京の大企業を相手にしていたときの営業手法がまったく通じないことも大変でした。「東大や早慶の学生の意識は」とか「どこどこの都市銀行の動きは」」と言っても、地方ではそのような情報が何の役にも立たないのです。
それがわかってからは、前職の時代を思い出して、とことん泥臭い営業に徹しました。「東京から来ました」と言うと身構えられてしまうので、自宅がある「埼玉から来ました」と言うなど、なるべく親近感をもってもらえるように工夫しました。不思議なことに「埼玉」と言うと少し打ち解けてくれるんですね。自分自身を売り込んで信頼を得ていく営業スタイルを久々にやりました。前職の経験がこんなところで生かせるとは思っていませんでした。
「人材開発(HD)事業・新卒採用支援(新卒メディア)事業・新卒紹介事業」の三つの柱
ダイヤモンド・ビッグアンドリードに関わって7年目に代表取締役社長に就任されています。最初は一人の東京事務所からスタートし、どのように組織を育てていかれたのでしょうか。
最初の頃は、地方の加盟会社の新規開拓が重要な仕事でした。ダイヤモンド・ビッグ社と提携する際の条件に同意しない会社が抜けて、20数社だったリードの全国ネットワークが7社程度にまで減ってしまったからです。全国を飛び回っての営業でしたが、まだ体力のある30代後半だったからできたのだと思います。
その後はスタッフを徐々に増員し、私自身も2003年に常務取締役になるのと同時に、ダイヤモンド・ビッグアンドリードに転籍しました。社長就任時の陣容は社員50名前後、加盟会社は20社程度だったと思います。自分のスタイルとして、現場を常に大切にしたいと思ってやってきました。社長になった今でも、機会があれば営業に同行したり、商品企画などにも関わったりするようにしています。
ただ、社長就任直後は決して順調ではありませんでした。2ヵ月後にリーマンショックが起こり、市場の半分が消えてなくなります。このときの苦しさは今のコロナ禍とは比較にならないほどでした。そして、少しは良くなったかなと思ったところで東日本大震災。ようやく軌道に乗ったという手応えが得られたのは2013年くらいです。まとまった利益を出すことが経営者にとってこんなにも大変なのか、と痛感しました。
2014年に社名を株式会社ダイヤモンド・ヒューマンリソースへと変更されました。現在の貴社の事業や体制についてお聞かせください。
当社は2003年に、ダイヤモンド・ビッグ社から人材採用関連の事業を全面移管しました。さらに、2014年9月にダイヤモンド社の子会社になることで、同社が扱っていた適性テストや研修、内定者フォローツールといった人材開発(HD)関連の各種サービスを全面的に引き受けることになりました。
現在の当社は三つの事業で成り立っています。一つは、適性テストや研修などの人材開発(HD)事業。主にダイヤモンド社の商品提案を行います。次に、従来のメイン事業であった新卒採用支援(メディア)事業。「ダイヤモンド就活ナビ」に加えて、「ダイヤモンドLIVEセミナー」やホームページ、パンフレットなどの制作を請け負うソリューションサービスを提供しています。三つ目に、新卒紹介事業などがあります。
以前は新卒採用支援(新卒メディア)事業が売上の90%以上を占めていましたが、現在は約55%となっています。新しく事業の軸になった人材開発(HD)事業が約45%にまで伸びたからで、今後もこの分野は伸びしろが大きいと思っています。「ウィズ・コロナ」が常態化する可能性を考えると、人を大量に動員するビジネスモデルはすでに終焉に向かっています。しかし、人材を育成し、戦力化したいという企業のニーズはコロナとは関係なく、いつの時代にも存在します。研修をオンラインに移行する企業が多く、むしろマーケットは広がってきています。
貴社の強みは、どんなところにあるのでしょうか。
新卒採用支援(新卒メディア)と人材開発(HD)に関するサービスを、一気通貫で提供できることです。教育専門の企業は多数ありますが、新卒採用メディアまで持っているところはほとんどなく、もしくは別会社で展開している企業が多いのです。当社の場合は、新卒採用計画の立案から入って、母集団形成、人材採用、内定者フォロー、入社後の育成や早期戦力化支援までのトータルサービスを提供することが可能です。
さらに、OJT指導者の質が低いとか、マネジャーの管理能力に問題があるといった組織開発ニーズについてもお手伝いをすることができます。2014年に変更した現在の社名にも、個別のサービスを売るのではなく、「人材開発のプロとして企業の成長を支援し産業界の発展に貢献する」という思いを込めています。
もう一つの強みは、経済出版社であるダイヤモンド社とのシナジーです。ダイヤモンド社は人材育成に不可欠な「経験学習」に関するさまざまなコンテンツを持っています。権威のある大学教授などとも太いパイプがあります。当社はそこから得た知見を生かしながら、他社とは異なった特徴のある提案・営業を行っています。
また、ダイヤモンド社の商品についても開発段階から当社のスタッフが関わることで顧客の課題意識やニーズをダイレクトに反映させたものを実現できています。どの商品・サービスも導入後の顧客満足度が高いのが最大の強みです。
社長に就任されてから12年が経ちますが、これまで経営者として心がけてこられたことは何ですか。
ダイヤモンド社の子会社になる以前は、自前で資金を調達する必要がありました。そのため、リーマンショックや東日本大震災で厳しかった時期にも、営業効率を意識した経営を心がけてきました。むやみに事業を拡大するのではなく、強みのある新卒採用支援とその周辺に集中する戦略をとっていました。
現在は、ダイヤモンド社のグループ企業になりましたが、新卒採用と若手育成に特化することで、少ない人員で高い生産性・収益性を実現する方針は貫いています。今後も規模が重要なファクターになる中途採用、人材派遣の分野への進出は考えていません。
若手人材のメンタル支援が今後の人材業界の使命
現在の日本企業の「人・組織」「人事」に関する課題を、どのように捉えていらっしゃいますか。
今の人材に関する課題は、企業の人事というよりも、むしろ学校教育に起因するものが大きいように感じます。若い人たちを見ていると「みんなと同じでなければこわい」という意識がとても強い。他人と違っているといじめられる、といった経験によるものなのか、あるいは運動会でも学芸会でも驚くほど平等に子どもを扱ってしまう環境によってつくられたものなのか……。はっきりとした原因はわかりませんが、いずれにしても社会人になって組織の内外での競争に耐えられない、競わせるとメンタルダウンしてしまう若い人が多いことは大きな問題だと思います。
日本経済は低成長で、どの会社も収益を出すのが厳しい状況です。人口の減少などによって、日本の国力は徐々に低下していますが、それでも世界と競争していかなければ生き残っていくことはできません。しかし、戦いに立ち向かっていく若い人が相対的に少なくなっています。若手が先輩社員とうまくつきあえない、早期退職が多い、といったことがどこの企業でも問題になっています。若い人たちのメンタルをどうケアしていくのか。それは企業だけでなく、社会の大きな課題ではないでしょうか。
若年層のメンタルの問題に、人材サービス業界はどう対応していくべきでしょうか。
若手が成長するにはブレイクスルーが必要です。壁に当たるたびにメンタルダウンしていては成長できません。そうさせない仕組みを作っていくことこそ、人事や人材業界の使命でしょう。大人がつくった環境によって今の若い人たちができあがってきたのですから、若い人たちが実力を発揮できる社会にするのも大人の責任です。昔のように集合研修を行って、OJTは現場任せ、あとは人事評価で差をつけていればいい、という時代ではありません。若年層の絶対数が減っているのですから、落ちこぼれをつくってはいけないのです。
当社にできることとしては、「経験学習」に基づくサービスを1社でも多くの企業に提供し、自律できる人材の育成を支援していきたいですね。ストレス耐性を診断し開発していくテストや研修も完備しています。ハラスメント対策商材もあります。若年層が産業界で活躍してくれなければ、日本の未来はありません。今の若手は弱い、などと言っていること自体がナンセンスだと思います。
コロナ禍は企業社会に大きな影響を与えています。新卒採用にも影響はあるのでしょうか。また、採用や人材開発ではどのような対応が求められるとお考えでしょうか。
オンライン面接がすでに標準になっています。実際に最終の役員面接まですべてオンラインで完結させた大企業もあります。これについては、学生は何の抵抗もないどころか、むしろ歓迎している人も多いようです。
「偉い人と直接向き合わなくてすむので緊張しなくていい」「パソコンの横に自己PRのポイントを書いたメモを貼れる」などがその理由です。それに対して、企業はまだまだ違和感を覚えているのが現状でしょう。面接を終えて内定を出してもまったく手応えがない、という企業の声を多く聞いています。入社までの間、どのタイミングで対面の機会をつくり、どうグリップしていくのかがポイントになりそうです。
オンライン面接には副産物もあります。面接をすべて録画できるので、面接担当者の質をチェックできるからです。うまく分析して、面接担当者の教育などに生かすことができれば、採用の質を上げることが可能になるでしょう。
オンライン化の動きは面接だけでなく、採用活動のすべて、さらには入社後の新人研修などにも広く及んでいます。当社にも「研修をオンラインで行いたい」という相談が多く寄せられています。初めてのことなので戸惑いもあるようですが、企業の本音としては対面の研修で必要になる会場費や交通費、宿泊費などが不要になる分、効果を担保できるなら乗り換えたい、という意向があるようです。
当社は研修に加えて、オンラインで内定者や新入社員同士の絆を深めるようなコンテンツを豊富に持っていますので、それらをどんどん提案していきたいと考えています。
「エンドユーザー」に興味を持つのが成功の秘訣
今後はどのような分野に注力していきたいとお考えでしょうか。
当社のテーマでもある「若年層の早期戦力化」「採用から教育までのトータルソリューション」をより強化していきたいですね。しかもそれを今後はオンラインで行う、ということでしょう。オンラインを基本に、クライアント企業が強く要望する部分にだけ対面のサービスを提供することになると思います。そもそも今の営業活動の90%がオンラインです。この短期間で営業手法にも大きな変化が起きています。半年前では考えられなかったことです。
最後に人材サービスや法人向けサービスに携わる若い読者のみなさんに、成功のヒントになるようなアドバイスをお願いします。
私は新卒採用支援に30年以上携わってきました。新卒採用を定期的に行うのは一定以上の規模で、経営基盤がしっかりした企業が中心です。そういう企業は最先端のサービスに意欲的です。インターネットが世の中で広がり始めると、すぐに採用ホームページをつくる。CD-ROMやDVDが普及しはじめたら、会社案内をCD-ROM・DVDにしてみる。人材開発でいえば、最近だとタレントマネジメントや情報リテラシー、アンコンシャスバイアスなどですかね。つまり、この仕事で企業と接していると、「時代の最先端」に触れることができるのです。こんなに面白い仕事はほかにないのではないでしょうか。
その上で、この仕事で成功するためには、「エンドユーザー」である学生・若手に興味を持つことが不可欠です。「エンドユーザー」に興味を持つ、とは言い換えればマーケットニーズを常につかんでおく、ということです。クライアントが当社に発注してくれるのは、学生・若手が何を望んでいるのかをクライアント以上に知っている会社だと思ってくれているから。もし営業担当が学生・若手に興味がなく、マーケットの情報を持っていなければ、その営業に仕事を頼もうとは思わないでしょう。
ダイヤモンド・ビッグ社に入って、最初に出席した会議が学生モニター情報を共有する会議でした。そのころのダイヤモンド・ビッグ社は「情報」をとても大切に考えている会社でした。そして、私自身が学生に興味を持ち、彼らの活動を親身になって支援し、そこから得た情報を企業にフィードバックすることで信頼を得ていったのです。その経験が今の私をつくっているといっても過言ではありません。
また、学生は毎年入れ替わります。エンドユーザー、マーケットが常に変化していくのです。その変化を追いかけるのは実に面白い。皆さんも自分のビジネスの「エンドユーザー」は誰なのかを常に意識してほしいと思います。
(取材:2020年7月20日)
社名 | 株式会社ダイヤモンド・ヒューマンリソース |
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本社所在地 | 東京都文京区小石川5-5-5 ユニゾ茗荷谷ビル |
事業内容 | 人材開発(HD)事業・新卒採用支援(新卒メディア)事業・人材紹介事業・大学支援サービス |
設立 | 1997年8月 |
日本を代表するHRソリューション業界の経営者に、企業理念、現在の取り組みや業界で働く後輩へのメッセージについてインタビューしました。