「見えにくいけれど大切なもの」を見えるようにする社会学的視点
組織を変えたい人事のための
「組織エスノグラフィー」入門(前編)
法政大学キャリアデザイン学部 准教授
田中 研之輔さん
数字に表れない部分を見る、人事こそエスノグラファーであれ!
組織の内側へ深く入っていくと、何が見えてくるのでしょうか。
エスノグラフィーにおいて一番重要なのは、組織に深く入り込んで、内部の人々が気づいていないことに気づいたり、あるいは内部の人々が「ここでは当たり前」と思っている暗黙の仕組みやルールを問い直したりする、いわばエスノグラフィックな視点を持つことなんですね。ですから、組織に入り込むといっても、その集団と一体化して、独自の視点まで失ってしまっては元も子もありません。深く入り込むというのは、むしろ適度な距離感をもって、集団が気づいていないことや暗黙の部分に近づくことを意味します。
「丼家」のケースでは、メニューも、味も、価格も、店内の造りも全店ほぼ同じなのに、なぜ店舗によって売り上げが違うのかと見ていくと、実はマネジャーの従業員に対する関わり方で決定的に差がついていることが分かりました。
たとえばあるチェーン店では、マネジャーが人事評価まで行っています。自分の裁量で従業員の賞与の一部を評価します。では、他店より成績のいい店の店長、いわゆるカリスママネジャーはスタッフのどこをどのように見て評価しているのか。結論から言うと、数字は見ません。Aさんという店員が、シフト時の売り上げにどれだけ貢献したかは関係ない。勤務率も、遅刻の回数もいっさい見ないんですね。その代わり、Aさんが店の中でこんなコミュニケーションをとっているとか、チームワークに貢献しているとか、トイレをきれいに掃除しているとか、そういうところを評価して、本社の人事部にフィードバックするわけです。そうすると、スタッフも辞めなくなる。面白いなあと思いましたね。
数字にはなかなか表れない部分ですね。業績への直接的な貢献よりも、自分の組織やチームにどれだけ貢献しているかを重視するということですか。
そうなんです。仕事というものは本来、組織やチームで回しているのだから、その成果をすべて個人の数字に置き換える、つまり成果主義だけで測るなんてことはできないはずでしょう。優れたマネジャーほど、そういう数字に表れない部分、組織内の目に見えない部分をよく見ている。つまり、組織エスノグラフィーの視点を持っているわけです。実際、私が取材したカリスママネジャーはみんな人の話を聞くのもうまいし、語りかけるのもうまい。立派なエスノグラファーだな、と思いました。
一般の企業でも、いわゆるミドルクラスのプレーイングマネジャーには、エスノグラフィーという言葉は知らなくても、その視点やスキルを持っている人が、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。そして声を大にして言いたいのは、誰よりもまず、「人事こそがエスノグラファーであれ」ということなんです。
企業が組織エスノグラフィーを活用するためのカギは、人事が握っていると?
はい。企業にとって組織エスノグラフィーとは何かをあらためて整理すると、前提として、企業組織は集団から成り立っています。組織はその集団を作動させるために、何かしらのルールや仕組みを設け、みんなはそれを信じてついていくわけですが、そこにエスノグラフィーを持ち込む場合、エスノグラファーは一種のドクターとして“診断”を下すことになります。組織の血液循環はうまくいっているか、どこかにウミが溜まってはいないか、そういう視点から組織を分析し、数字に表れない現場の生の声をつかんだり、誰もが当たり前だと思っている人事評価の間違いに気づいたりする。そういう役割が求められるわけです。
ただし現状では、われわれのような専門家が人事として企業に入ったり、エスノグラファーが専門資格として採用されたりするような動きは、まだ見られません。人と組織のプロである人事の方々がまず、エスノグラフィーの視点や考え方を身につけ、よく知っているはずの自社の組織の内側へ、あらためて深く入り込んでいく――そこから始めるべきだと、私は考えています。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。