【産業医】
健康リスクを軽減する、職場のかかりつけ医
知られざる「健康経営」のキーパーソン
2015年度から、「ストレスチェック」制度が義務化される。企業の健康経営を評価・促進するために、国が「健康経営銘柄」を選定し公表する取り組みも動き出す。長時間労働、メンタルヘルス問題、生活習慣病――社員の健康リスクを経営視点でとらえ、積極的かつ戦略的に対応していかなければ、企業の持続的成長は望めない。そこで、参謀役として期待されるのが「産業医」だ。医師でありながら、医師の枠に収まらないユニークなキャリアの実態とは。
診断や治療はしない、主治医と異なる見解も
「産業医」というと、学校の校医や保健室の先生の“企業版”といったイメージが思い浮かぶかもしれない。労働安全衛生法により、常時50人以上の従業員を使用する事業所には、嘱託産業医の選任が義務づけられている。また従業員が1000人以上になると、その事業所は、専属(常勤)の産業医を雇わなければならない(一部の有害業務に従事させる場合は500人以上でも専属契約が必須)。企業にとって、産業医はまさに欠かせない存在だが、その仕事の実態や職業としての性格は、病院などで働く一般の医師とどう違うのだろう。
労働者が安全かつ衛生的な環境で健康に働けるよう、専門的な立場から、職場の労働・衛生管理に指導や助言を行う医師のことを、産業医と呼ぶ。医師なら誰でもなれるわけではなく、産業医として選任される者は、通常の医師免許を有する医師であることに加えて、指定された試験に合格するか、専門の養成課程や研修を修了するなど、厚生労働大臣の定める資格要件を備えていなければならない。労働安全衛生規則では、産業医の職務を次のように定めている。
- 健康診断、面接指導等の実施およびその結果に基づく労働者の健康を保持するための措置、作業環境の維持管理、作業の管理等労働者の健康管理に関すること
- 健康教育、健康相談その他労働者の健康の保持増進を図るための措置に関すること
- 労働衛生教育に関すること
- 労働者の健康障害の原因の調査及び再発防止のための措置に関すること
産業医は、自らを選任した事業者に対し、労働者の健康管理などについて必要な勧告を行うことができる。また、少なくとも月1回各職場を巡視し、作業方法や衛生状態に有害の恐れがあれば、従業員の健康障害を防ぐために必要な措置を講じなければならない。
上記の職務内容から分かるとおり、産業医の立場では、診察して薬を出すといったいわゆる診療行為は原則として行わない。これは保健所に勤める公衆衛生医師などと同じで、一般の医師とは異なる点である。診療はあくまで、社員が個人でかかる病院の主治医の仕事なのだ。主治医は医学的な見地から、患者本人の状態だけをみて診断を下すが、産業医が助言を行う際には、その患者が職場環境から受ける影響を考慮し、逆に本人が周囲に与える影響も加味しなければならない。例えばメンタルヘルス不調者の職場復帰の可否を判断する場合、主治医の診断が医学的には「治癒、復職可」だとしても、産業医は、本人が実際にその職場で働けるかどうか、受け入れ側の準備が整っているか否かを重視して意見をいう。復職をめぐり、ときに主治医と見解が異なるのはそのためだ。労使双方に中立の立場で、従業員の健康管理に尽くす一方、自らを選任した企業に対しても責任を負うのが産業医の本分なのである。
健康づくりを通じて企業経営の一翼を担う
産業と健康のかかわりに特化した産業医は、もともと高度成長期に、公害や労働災害が社会問題化する過程で発達した職種である。製造現場などで劣悪な労働環境から労働者を守るのが典型的な産業医像だったが、経済活動のサービス化が進み、近年は産業医に求められるものも変わってきた。うつ病などによる長期欠勤や離職の問題が目立ち始め、メンタルヘルス対策の業務比重が高まってきたのである。安衛法の改正により、来年度から従業員のメンタルヘルス不調の予防を目的とした「ストレスチェック」実施が多くの企業で義務化されるが、チェック結果を受けて行う面談・指導も産業医が担うことになった。他にも生活習慣病対策をはじめ、国内外でパンデミックが懸念される感染症への備えや災害時のクライシスマネジメントなど、産業医が企業と連携して取り組むべき課題は多岐に及んでいるのだ。
元来、職場の健康管理は福利厚生やコンプライアンス遵守の側面が強かったが、最近では、健康な人材こそが収益性の高い企業を創るとする「健康経営」の視点から、むしろ経営戦略の一環として、より積極的に取り組む企業も増えている。働く人々の健康を創り、支え、それを通じて企業活動の一翼を担うのが産業医の使命。一般臨床の医師には味わえない、産業医ならではのやりがいや醍醐味だといえるだろう。
それだけに、医学の専門知識やセンスだけでは職責を果たせない。労務に関わる法制度からセクハラ、パワハラなどの職場トラブルの問題、ITの普及進展に伴う仕事環境の変化に海外の衛生事情まで、刻々と変化するビジネス環境全般に関心を広げ、知見を深めようとする向学心が求められる。また、医療関係者以外のスタッフとの連携が多いので、協調性や柔軟なコミュニケーション能力も必須の適性である。
産業医一本のキャリアモデルは少ないが、将来有望
先述のとおり、産業医になるには医師資格のほかに、労働衛生コンサルタントの試験に合格するか、日本医師会や産業医科大学が行う研修を修了するなどして資格を取得しなければならない。現在、産業医資格を有する医師は全体のおよそ三分の一だといわれる。
産業医の勤務形態には嘱託と専属があり、嘱託産業医は地域の開業医などが本業のかたわら、“アルバイト”で請け負っているケースが多い。専属産業医の場合はその企業に正規雇用され、事業所や企業の所有する診療所などに勤務する。産業医の仕事一本でキャリアを切り開こうと思うと、専属医になるか、嘱託として複数社の産業医を担当しなければならないが、そうしたエキスパートは全体の一割以下、まだまだ少ないのが実態である。
嘱託医と専属医では当然、収入も違ってくる。嘱託は中小企業に委託されることがほとんどで、報酬額も“お小遣い”程度。2~20万円前後の範囲内で支給されているようだ。専属の場合は、週1回勤務で年収250万円未満、週4日程度になると800万~1000万円が相場といわれる。嘱託にせよ、専属にせよ、報酬は、契約企業の規模や業種によって変動するのが一般的だが、外資系はスキルを要するので、国内企業より1割ほど増額されることが多い。
一人前の社会人にとって、健康管理は、自己責任と言えるだろう。しかし「だから放っておけばいい」では、これからの企業経営は到底立ち行かない。厳しい人手不足が続く状況下にあっては、かけがえのない社員一人ひとりの心身の健康こそが企業競争力の源泉だからである。健康経営のキーパーソンとして、産業医にかかる期待は高まるばかりだ。
※本内容は2014年11月現在のものです。
この仕事のポイント
やりがい | ・社員の健康を守るという社会的な責任を担っているため、充実感がある ・多くの従業員の健康を増進させる仕事の醍醐味がある ・複数の業種業態の職場環境や社員を見ることができ、知見が広がる |
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就く方法 | 医師資格の他に、労働安全衛生法に基づき、厚生労働省令で定める資格要件を備える必要がある(一定の研修を修了する/産業医科大学を修了する/労働衛生コンサルタントの試験に合格する/大学で労働衛生の講義を担当する教授、准教授や講師の職にある、または過去にあった者/その他 厚生労働大臣が定める者)。 |
必要な適性・能力 | ・医療関係者以外の人たちとコミュニケーションをとる場が多いため、協調性が求められる ・医療だけでなく、企業活動や組織など、ビジネスに関する興味・関心を持っている |
収入 | 嘱託医と専属医で異なる。前者の場合は、2~20万円前後。後者の場合は、週1回勤務で年収250万円未満、週4日程度で800万~1000万円程度。 |
あまり実情が知られていない仕事をピックアップし、やりがいや収入、その仕事に就く方法などを、エピソードとともに紹介します。