「営業革新」「リーダー革新」の二つの軸で社会に貢献
変化の激しい時代に必要な「野心」と「挑戦」
株式会社富士ゼロックス総合教育研究所 代表取締役社長
小串 記代さん
コンサルタントからスタートし、社員から初の社長昇格へ
1996年に富士ゼロックス総合教育研究所に移られ、2016年に社長に就任されるまでの約20年間は、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。
最初は「商品開発」です。当社には、海外のパートナー企業があるので、パートナー企業の商品を日本に導入し、開発する仕事などを手がけました。その後は「調査」ツールの開発業務を3年。まだ日本にコンピテンシーの概念が導入される少し前の時期だったので、国際会議に参加してコンピテンシーについて動向を調べたり、日本に導入する場合の人材要件の基準を作ったり。神戸大学と一緒に2200人以上の営業パーソンの調査を行い、いわゆる「できる営業」の要件にはどういうものがあるのかを1年がかりで調べたりもしました。アセスメントは経験済みだったので、コンピテンシーの考え方は、私にとってはなじみやすいものでした。
また、並行してコンサルティングの仕事も行っていました。当社にプリンシパルコンサルタントの制度ができたときから、主にコンピテンシー系やサービスマネジメント、ビジョン浸透、といったジャンルを担当しました。入社11年目で研究開発部門やコンサルティング部門のマネジメントを担当する取締役になってからも、しばらくはコンサルタントも掛け持ちでやっていました。次第に両立の難しさを感じるようになったのですが、仕事の特性上、現場に出ていないと自分自身がわからなくなるのでは、と思い、そのバランスに悩んだこともありました。
その後「経営企画」にも携わりました。当社は大きな組織ではありませんが、富士ゼロックスの関連会社なので、大企業的な仕組みで動いている部分もあります。その意味では、富士ゼロックス全社の事業会社としての責務やガバナンスなど、経営企画は経営全体を見られる仕事で良い経験でした。
「専門職」と「管理職」とのバランスについては、どうお考えになっていたのでしょうか。
管理職か専門職かという点については、入社したときに考えを聞かれました。そのとき、私は「こういう仕事は上から管理するだけでは人はついてこないと思う」と答えたように記憶しています。専門性があってこそマネジメントができる、と考えたんです。専門的なコンサルタントとしてだけやっていこうとも、管理職としてだけやっていこうとも考えませんでした。ただ、40人くらいの組織を管理することになったときには、中途半端は良くないと、メンバーの支援に徹していこうと思えるようになりました。
社長に就任された経緯についてお教えいただけますか。
これまでの歴代社長は全員、富士ゼロックス出身だったので、私は初めて富士ゼロックス総合教育研究所の社員からの昇格ということになります。責任は重いですね。
ただ、当社は富士ゼロックス全社の中では珍しい、サービス業中心の会社で、しかも「人材」や「教育」に非常に熱い思いを持っていることが求められる会社です。当然、運営スタイルもメーカーとは異なっていなければならない。また、いくつかある海外のパートナー企業との連携もますます重要になっています。コンサルティングの現場を理解していることや、これまでの海外とのやりとりの経験などを見て、そこを期待されたのではないかと感じています。
責任と同時にやりがいも感じられたのではありませんか。
最近はメーカーも「サービス化」しています。その意味では、当社は富士ゼロックス全社のサービス化にも少なからず貢献できる存在だと思っています。また、多くの企業で事業構造転換が喫緊の課題となっている中、人材の果たす役割はますます重要になっています。変化し続ける環境の中で、人材教育コンサルティング会社としてお客様から第一に選ばれる存在になれるように、より強い会社にしていかなければなりません。当社には、業界やマーケットだけでなく、もっと大きな社会全体に還元していくべきだという創業以来の考え方「ソサエティ・イン」があります。自分自身が長く所属している当社を伸ばしていきたいと思いますし、富士ゼロックスを含め、業界や社会全体にももっと価値貢献していきたいと考えています。
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