「コンプライアンス」が企業に求めているものとは何か?
~法令順守から、ステークホルダー(消費者、従業員、取引先、株主、社会)の期待に応えることへ
「コンプライアンス」という言葉が、盛んに使われるようになった。それは近年、企業の不祥事が内外において相次いで起こったことと、無関係ではない。不祥事の発覚によって大きく信用を失い、企業が破たんするケースが生じていることもあり、法令順守だけの問題ではなく、企業のリスク管理という視点でも取り上げられるようになってきた。今日、コンプライアンスとはどういうことを意味するのか。また、コンプライアンスについて、企業はどのような対応を取っていけばいいのか。この点について、考えてみたい。
「コンプライアンス=法令順守」という訳語が誤解を生んだ!?
いろいろな不祥事が起こるたびに、「コンプライアンス」が声高く叫ばれる。しかし、その理解についてはさまざまであり、対応も企業によって大きく異なる。謝罪の記者会見などを見ても、それは明らかだ。いったい、コンプライアンスとは何を意味するのだろうか。この点については、一般的に「法令順守」と訳されることが多いため、単に法令だけを守っていればいいという誤解、さらには弊害をもたらしたと指摘する向きは多い。事実、法令などのルール・規則を盲目的に順守するように強制するものであるとイメージされがちなのも、「法令順守」という訳語が充てられたことに原因があると思われる。しかし、一見、法令を守っているように見えながら、裏で忠実かつ誠実に仕事にあたっていないようでは、本末転倒だ。何より、形式的に法令を順守するだけでは、変化の激しい時代にあって、現実の新しい問題に対応するのは難しい。
ところで、「コンプライアンス(compliance)」を辞書で調べてみると、「comply」の名詞形で、狭義では「(命令・規則などに)従って行動すること」となっている。もともとは1960年代、アメリカにおいて「独占禁止法違反」、株式の「インサイダー取引」などが発生した際に用いられた法務関連の用語であるため、日本では「法令順守」と訳されるようになったようだ。しかし、コンプライアンスには、順守するより意味の強い「(命令や要求に)応じること」「願いを受け入れること」も記してあり、これを真の意味とする見方が多くなっている。そのため、近年では守るべき規範は法令に限らず、もう少し広義にとらえられており、「法令のみならず、定款・社内規定などの社内法規、ひいては社会常識や倫理観に則って行動すること」と考えられるようになってきた。
実際、企業を取り巻く法律や規則は、とても多い。一説には2000前後あるとも言われている。「憲法」はもちろんのこと、代表的なものとしては、「民法」や「商法」をはじめ「独占禁止法」「不正競争防止法」「製造物責任法(PL法)」「個人情報保護法」「金融商品取引法」「労働法」「消費者保護法」などがあり、これに監督官庁の「命令・指導」なども加わる。また、営業活動や市場競争の「公正さ」、消費者などへの「情報公開」、従業員への「職場環境」(過労死、セクハラなど)も対象となる。さらには、公務員や政治家との関係、証券市場における取引など、非常に多くの面で高い「企業倫理」が求められるようになってきている。
なぜ、コンプライアンスが必要なのか?
このように、近年コンプライアンスという考え方が広がってきた背景には、いくつかの理由がある。まず、業績の拡大や短期的な利益を優先するあまり、違法行為や反社会的行為に手を染めて消費者や取引先の信頼を失い、事業継続が不可能になる企業が頻発するようになったことがある。その結果、企業にとってコンプライアンスは、リスクマネジメント活動としてとらえられる場合が多くなってきた。
加えて、企業に求められる要件が、従来よりも広がってきたという点が指摘できる。法令順守といっても単に法律を守るだけではなく、企業の社会的責任(CSR:corporate social responsibility)を果たすことも、強く要求されるようになってきたからだ。何より、企業が大きくなればなるほど、ブランドイメージの維持・向上のためにコンプライアンスやCSRが必要となってくる。事実、消費者や証券市場などの選択基準に、社会的責任を果たしているかどうかというイメージが考慮されるようになっている。企業の規模や収益に応じて社会的責任を果たせなければ、そもそも利益を上げる資格がない、と見なされることも少なくない。逆に、一見利益に結び付かないような行動でも、社会的に意義があるならば、広告よりも宣伝効果を上げ、企業のブランドイメージ向上につながる場合も出てきている。
さらに、グローバル化の進展という、社会的背景の変化も見逃せない。企業を評価する目が世界にまで広がり、より厳しい国際価値基準に、さらされることになったのである。また、昨今の法化社会、司法制度改革、規制緩和などの大きな社会の変革の中で、国民の意識にも変化が出てきた。プライバシー権などの新しい権利意識や、環境や食の安全に対する関心、企業活動への社会的影響力へのチェック意識などが、急速に高まってきたのである。その結果、企業も国民からのさまざまな監視の目を、より厳しく受けるようになった。言い換えれば、より多くの人々に、より多くの視点から監視されるようになってきた、ということになろうか。いずれにしても、社会的背景の変化により、企業に求められるコンプライアンスも、より高度化、複雑化してきたのは間違いない。そして、コンプライアンスへの対応が、企業の経営課題の中で、非常に大きな位置を占めるようになってきたのである。
今、企業に求められるコンプライアンスとは「相手の期待に応えること」
コンプライアンスを「法令順守」と訳したことで、法令だけを守っていればいいという誤解がもたらされたと述べた。しかし、最近では「応じること」「願いを受け入れること」へと意味するものが変わってきた。つまり、コンプライアンスが目指しているのは、「相手の期待に応えること」であるということ。それがまさに今、企業に求められてきているのである。確かに違法行為などがあった場合、早期に発見して是正できるマネジメント体制を築くことも大切だが、その前に「相手の期待に応える」といったコンプライアンスに対する基本的なポリシーを持つことが、とても大切だと思われる。
この場合、企業が期待に応えるべき相手(ステークホルダー、利害関係者)とは、以下の5つである。
近年の多くの企業による不祥事は、上記ステークホルダーへの期待に応えるという概念がなかったことで起きたものが非常に多くなっている。コンプライアンスに反したことで、その事実が報道され、企業の信用が低下する。信用が低下すると、例えば消費者からの不買運動などが起きて、企業に大きな損害、打撃を与える。事は、それだけにとどまらない。取引先から取引を停止されたり、借入れや新株発行などによる資金調達が困難になったり、人材の流出、採用の不調などが発生したりすることで、業績が悪化、場合によっては倒産という流れに向かっていく。負の連鎖が、果てしなく続いていくのだ。
ここで、期待に応えるべき対象として、「消費者」の場合を考えてみよう。例えば、テナントが多く入っているビルで火災事故が起きた時、「法令で定められているスプリンクラーを設置していたから、自社は責任を果たしている」と、果たして言えるだろうか。単に法令を順守するだけで、コンプライアンスと言えるのか。「消費者に安心して買い物をしてもらいたい」という発想があれば、人が多く集まるビルにおける安全への備えを、万全にしていたことだろう。法令を守ればいい、ということではない。法令とは、最低限の道徳であり、最低レベルのルールなのだ。消費者のことを考え、求められる期待に応えてこそ、真のコンプライアンスと言えるだろう。
「取引先」ではどうか。企業は、さまざまな取引先とパートナーとなることで、事業を成り立たせている。メーカーなら、製品を作るための部品・素材メーカー、製品を運び販売してもらうための物流業者、卸業者、販売会社といった具合である。その際、消費者に対しては取引先と「共同責任」がある。そのため、取引先のミスで何か事故が起こったときは、お互いのパートナーシップの下、責任は取引先と自社の両方にあることを認識することが大切である。そのためにも、あらゆる企業にとって、パートナーである取引先を適切に指導、監督することが不可欠になっている。これは、委託先の監督ということで、法令でも定められている。何より、こうした取引先へのコンプライアンスは、最終的に消費者の期待に応えることにつながっていくことになる。これは、正の連鎖である。
コンプライアンスを実現する視点
コンプライアンスを「相手の期待に応えること」としたが、コンプライアンスと関連して、CSR(企業の社会的責任)が求められている点も忘れてはならないだろう。CSRとは、企業が社会の期待に応じて存続していくために、社会的公平性の実現や環境への配慮などを、経営に組み込んでいく責任のことである。ところが、このCSRもコンプライアンスと同様に、多くの企業に誤解されている。単に、「会社の余ったお金を、社会的に役立つ事業へ寄付すること」にとどまっている。
CSRの真の目的はコンプライアンスと同様に、例えば、消費者保護、従業員保護、情報開示、環境保全、株主重視、雇用の確保などを実践する理想的な企業、まさにグッドカンパニーを作って、ステークホルダーの期待に応えるということである。今、企業側にはコストの問題など、さまざまな障害を超えてでもグッドカンパニーになることが期待されている。コンプライアンスは、その実現に近づくための、企業側の「努力」を示している。そして、CSRはそのグッドカンパニーを「振り分ける作業」、見極める「社会の視点」ということができるだろう。両者は、合わせ鏡のような存在なのである。
考えてみると、一昔前までのビジネス社会は、あくまで企業側の視点や都合で、消費者や取引先、従業員などを見ていた。しかし、現在は、より広い社会の視点で、企業側に注文が付けられる時代となった。そのためにも、経営トップは常にコンプライアンスの重要性を従業員に語り掛け、また現場でのきめ細かなOJTやマネジメントを通じて、従業員の日常的な活動の中に、自然とコンプライアンスの意識が根付いていくよう、徹底していくことが求められる。それはまさに、グッドカンパニーになる努力を常に続けていくということである。
これから企業が生き残り、より強い会社となっていくためには、コンプライアンスを企業のDNAにしなくてはならないだろう。ところが、コンプライアンスやCSRを、企業に対する一種の「規制」であると考えたり、その「規制」に何とか対処していかなくてはならないというように、非常に受け身に考えたりしている企業やマネジメント層の人たちがいる。こうした考えが少しでも早く改められ、従業員や社会全般の期待に応えていくコンプライアンスを、実践していきたいものである。
そのためには、一人ひとりがコンプライアンスへの意識を、さらに高めていくことが必要だ。職場内研修の強化や、対応マニュアルの作成、チェック体制の整備など、人事部としても行うべきことは多い。社員それぞれの立場や役回りに合わせて、最適な研修・学習を選択・実行していって欲しい。日常の一つひとつのシーンで、コンプライアンスは根付いていく。地味な活動だが、そういうところでDNAは確立していくのだ。
このように、コンプライアンスは、単なる形式的・表面的な対応だけで済むものではない。だからこそ、急がば回れ。それが、本当に強い会社、信頼される会社への道なのである。
あああ 日本経済新聞出版社タイアップ企画 いま、なぜ「ビジネスマナー」が求められるのか?
コンプライアンスは、狭義の「法令遵守」ととらえないこと。 理念・ビジョンを示し、規範の経営を正しく行うことが社会からの信頼を得、強い会社を作っていく。
(株式会社MATコンサルティング代表取締役社長、名古屋商科大学大学院マネジメント研究科客員教授)
近年、コンプライアンスに対する重要性が高まってきた背景には、企業の不祥事などが相次ぎ、それらに対応する法律が施行、強化され、遵守していこうという動きが広まってきたということがあげられます。その結果、企業経営の現場では、コンプライアンス・内部統制等の仕込み作りに真剣に取り組まざるを得ない状況になっています。しかし、そんな風潮の中で、法律さえ守っていればそれで十分、とする企業も少なくありません。しかし、コンプライアンスの本質は、より奥深いところにあります。コンプライアンスは単に(狭義の)「法令遵守」にとどまりません。株主をはじめ、お客様、従業員など企業に関わるさまざまなステークホルダーの立場に立って、それら周囲の要求・期待にきちんと応えていこうとする行為、言い換えれば、会社全体の「経営の品質」を高めていくことがとても大切になってきているのです。
それをもう少し具体的にご説明してみましょう。まずは、きちんとした企業の理念を明確に掲げ、それを浸透させ、徹底していく仕組みをしっかりとしていくことが最重要課題としてあげられます。 もちろんそこには企業倫理・社会貢献など社会的責任を含む企業の正しい「方向性・推進力」となるべき規範がきちんと明示されていなければなりません。そして、その崇高な理念に基づき、戦略が策定・展開され、その戦略を遂行していくための「業務プロセス」がスムーズに執行管理されていかなければなりません。そのためには、お客様の要求期待を正しく理解し、その要求期待にきちんと対応できるプロセスを整備していくこと、さらに情報の収集・分析・活用・共有がきちんと行われ、組織内外に開示されるよう仕組みを整備するなど情報マネジメントが正しく行われていく必要があります。これらのPDCA(Plan - Do- Check- Action)が日々正しく行われていれば、企業の財務的な成果も良好に推移するはずです。
自社として、顧客よし、世間よし、社員よし、が共存している「三方よし」とも言える正しい経営の方向性を見失うことなく、そのための仕組みづくりをコツコツと実践していくこと。これこそがコンプライアンスのあるべき姿であり、企業に求められる社会的責任(CSR)を真に果たしていくことにつながっていくのです。
コンプライアンスを、行政が要求することを実行する、法律を粛々と守っていく、といった狭い意味でとらえて活動しているだけでは、ステークホルダーから真の意味で理解、評価されることは難しいと思います。事実、昨今のような厳しい経営環境の中でも成果を上げている企業は、もっと広い意味でコンプライアンスをとらえ、経営を行っています。あくまでも法律を守るということは最低限のルールだと考えるべきであり、法律に規定されている内容を超え、いかに正しいことを正しくやるかという思いと行動が、企業や働く個人にも求められている時代なのです。
ですから、法律に対する枝葉末節レベルの対応、例えば、個人情報や金銭管理、セクハラ・パワハラ対策など、問題対処型マニュアルばかりを作って、お茶を濁していても、そもそも、根源的に正しい理念・規範を共有することができていない会社や組織ではいたちごっこの繰り返しになってしまっています。
経営目的である理念・規範を理解・浸透・共有させ、それをベースに、人材開発、情報マネジメント、顧客対応など業務システムのPDCAを正しく回していかないと、いくら規則で社員を縛り付けても問題解決型コンプライアンスは実践できません。実際問題、これだけコンプライアンスの必要性が高まってきても、そして知識として分かっていても、違法行為が次々と発覚しているのは、問題対処型コンプライアンスシステムの限界を証明しているのです。
そもそも規範である理念がおかしい組織は問題外です。したがって、理念・規範のPDCA、理念・規範から導かれた戦略のPDCA、そしてそのための執行管理プロセスのPDCAという、三層でのチェックの仕組みが正しく機能しているかどうかに着目していくことが、重要なポイントとなってきます。そしてこれは、まさしく経営層に求められる重要な役割です。そのためにも、規範となる理念・ビジョンを明確に示し、正しい価値観を共有することこそが最も大切なこととなるのです。それができていないと、業務のPDCAをいかに巧みに回しても、組織は正しく機能しません。故事を例に出せば、「関が原の戦い」では、石田三成の西軍は、業務プロセス(剣術、砲術、馬術など)や戦略で負けたのではなく、理念(価値観)の共有のPDCAができていなかったために負けてしまったのです。
原則・規範に基づく経営が行われず、規則に基づく経営に終始している企業では、従業員たちが細かな規則・ルールにがんじがらめにされていて柔軟な対応ができず、会社の競争力さえもが失われがちです。ここに、現状の内部統制・コンプライアンスの大きな問題があります。経営全体という視点でコンプライアンスを考え、経営層が崇高な理念・規範を打ち出していくこと、そして、それが正しく示され、PDCAのサイクルへと落とし込まれていけば、従業員は会社に誇りを持てるようになり、仕事に対する姿勢も大きく変わります。生き生きと毎日を過ごせるようにもなるでしょう。その結果としてステークホルダーからも感謝され、特に、顧客からも喜ばれることで、社員のやる気も高まるという好循環が生まれ、生産性は著しく向上します。今、一番求められていることは、原則・規範の経営であり、規則・ルールの経営ではないのです。この点が、今まさに経営層が真剣に考えるべきコンプライアンスの本質なのではないでしょうか。
日経ブック&ビデオクラブは、日本経済新聞出版社が運営する法人さま用書籍・DVD販売サイトです。就職活動や社員研修などさまざまなシーンにおいて役立つコンテンツをご紹介しています。書籍やDVDの活用事例のご紹介や、社員研修に関するイベントの動画配信など、情報提供を行い、法人さまの人材育成活動をバックアップいたします。