有賀 誠のHRシャウト!人事部長は“Rock & Roll”【第28回】
ユニクロで学んだこと(その1:柳井正氏との出会い)
株式会社日本M&Aセンター 常務執行役員 人材ファースト統括
有賀 誠さん
人事部長の悩みは尽きません。経営陣からの無理難題、多様化する労務トラブル、バラバラに進んでしまったグループの人事制度……。障壁(Rock)にぶち当たり、揺さぶられる(Roll)日々を生きているのです。しかし、人事部長が悩んでいるようでは、人事部さらには会社全体が元気をなくしてしまいます。常に明るく元気に突き進んでいくにはどうすればいいのか? さまざまな企業で人事の要職を務めてきた有賀誠氏が、日本の人事部長に立ちはだかる悩みを克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。
みんなで前を向いて進もう! 人事部長の毎日はRock & Roll だぜ!――有賀 誠
私は44歳の時、ダイムラークライスラーに採用される形で三菱自動車の人事担当役員に就任しました。その後、総務、法務、ITなども担当することになります。
ドイツ人社長の下、日本的な良さ(先輩が後輩を育て、後輩が先輩を支える)を残しつつも、年功序列ではなくコンピテンシーやパフォーマンスで社員を評価・処遇する人事制度の導入、選抜型幹部候補生研修などの画一的ではない教育体系の構築、グローバルな人事ネットワークの確立といったチャレンジングなタスクに取り組んでいました。抜擢登用された若手部長たちは優秀で情熱もあり、本当に楽しく充実した日々を送っていたということができます。
ところがその翌年、ダイムラークライスラーはトラック部門の「三菱ふそう」だけを傘下に残し、三菱自動車からは撤退してしまうのです。米国事業の失敗、リコール問題などにより、業績も急激に悪化していました。戻ってきた三菱系の株主が求めたのは「大政奉還」「王政復古」で、人事制度は年功序列に戻すといった方向性でした。当然、私がそれに適しているはずもなく、まずは降格・左遷、そして事実上の解任を迎えます。
「ユニクロなんだけど?」
キャリアの次のステップとして何か新しい分野に挑戦したいという思いも持ちつつ、ビジネス・パーソンとして鉄鋼・自動車といった重厚長大産業で育った私は、やはりその延長線上にある業界や、人事分野での業務を想定していました。
そこにあるヘッドハンターが現れます。
「有賀さん、ユニクロなんだけど?」
私は即答しました。
「無理無理。ファッションとかリテールなんてわからないし」
しばらくして、別のヘッドハンターから連絡が来ました。
「有賀さん、柳井さんが経営者人材を探しているよ」
またの即答です。
「この間も断ったんだ。興味ない!」
そして何と三人目のヘッドハンターからもコンタクトがありました。
「有賀さん、ファーストリテイリング……」
もちろん即答です。
「駄目駄目。経験も関心もまったくない業界だし」
私は、ユニクロが何と節操のない会社なのかと驚きました。普通、エクゼクティブの採用に際しては、ポジションごとにサーチ・ファーム一社としか契約はしないものです。複数社と契約をしても、結局同じようなところを掘りに行ってバッティングするはずだからです。しかし、ユニクロは広く多くのヘッドハンターに声をかけていました。
ところが、この三人目のヘッドハンターは狡猾でした。
「有賀さん、洋服やユニクロに興味がないことはわかりました。でも、柳井さんと会ってみたくはないですか? ご希望であればセットしますよ」
なんと毎年長者番付一位の天才商売人、柳井正氏と話ができるというのです。経営を志す者であれば、会いたくないはずがありません。
「え、いいの? 俺、絶対にユニクロには入らないよ。それでもいいの?」
ヘッドハンターは言いました。
「それで結構です。では、柳井さんとの面談をセットしますね」
そして、柳井氏とお会いすることとなりました。テレビなどでご存じだと思いますが、決して冗舌な方ではありません。しかし、たたき上げの商売人としてのオーラはすさまじく、圧倒されました。特に印象深かった点が二点あります。
日本発グローバル、日本のものつくり
一つは、「日本発のグローバル・ブランド」を作ろうとしていたこと。これは前例がないことです。もちろん別の業界であれば、成功例はありました。例えば、自動車でToyotaやHonda、エレクトロニクスでPanasonicやSony、ゲームでKonamiやBandaiなどです。しかし、ファッションやリテールの世界では、「日本発のグローバル・ブランド」は存在していなかったのです。「それを実現しようとしているんだ!」という驚きがありました。
もう一つは、「日本のものつくり」への思い入れです。私はメーカー出身、それも素材や部品という業態を経験してきました。自分の会社の工場はもちろん、世界中のサプライヤーやお客さまの工場を見る機会を得ました。そして感じていたことは、「日本のものつくり」は世界一だということです。また、その優秀さの源泉はホワイトカラーではなく、現場のリーダーたち(作業長、工長、職長など)だと考えていました。
私は、ユニクロが中国で生産を行っているのは、単にコストを下げるためだと思っていました。もちろんそのような要素がないわけではありませんが、柳井氏の思想はより大きく深いところにありました。
ユニクロは、日本の縫製工場の元工場長や素材メーカーの元技術部長といったベテラン30人以上を「匠」と称する先生として雇い、自分のものでもない中国の工場へ送り込み、品質改善や生産効率向上を手取り足取り指導していたのです。このままでは死に絶えてしまうであろう日本の繊維産業のその灯が完全に消えてしまう前に、その技術やノウハウ、まさに「匠」を中国にトランスプラントしようとしているのだと理解しました。
「この人は日本のものつくりのすばらしさをわかっている! そして、それが消えて無くなってしまう前に、場所は異なるがバトンをつなごうとしているんだ!」と気がついたのです。
以上の二点、「日本発のグローバル・ブランドを作る!」「日本のものつくりの匠を絶やさない!」に感銘を受け、「この人のそばで仕事がしたい!」と思い、私はユニクロへの入社を決意しました。件の三人目のヘッドハンターの策略に、まんまとはまってしまったことになります。
有賀誠の“Rock & Roll”な一言
ある業界や企業が嫌だって?
食わず嫌いかもよ
- 有賀 誠
- 株式会社日本M&Aセンター 常務執行役員 人材ファースト統括
(ありが・まこと)1981年、日本鋼管(現JFE)入社。製鉄所生産管理、米国事業、本社経営企画管理などに携わる。1997年、日本ゼネラル・モーターズに人事部マネージャーとして入社。部品部門であったデルファイの日本法人を立ち上げ、その後、日本デルファイ取締役副社長兼デルファイ/アジア・パシフィック人事本部長。2003年、ダイムラークライスラー傘下の三菱自動車にて常務執行役員人事本部長。グローバル人事制度の構築および次世代リーダー育成プログラムを手がける。2005年、ユニクロ執行役員(生産およびデザイン担当)を経て、2006年、エディー・バウアー・ジャパン代表取締役社長に就任。その後、人事分野の業務に戻ることを決意し、2009年より日本IBM人事部門理事、2010年より日本ヒューレット・パッカード取締役執行役員人事統括本部長、2016年よりミスミグループ本社統括執行役員人材開発センター長。会社の急成長の裏で遅れていた組織作り、特に社員の健康管理・勤怠管理体制を構築。2018年度には国内800人、グローバル3000人規模の採用を実現した。2019年、ライブハウスを経営する株式会社Doppoの会長に就任。2020年4月から現職。1981年、北海道大学法学部卒。1993年、ミシガン大学経営大学院(MBA)卒。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。