賃上げ時代に必要な報酬哲学
マーサージャパン株式会社 プロダクト・ソリューションズ シニアマネージャー
伊藤 颯氏

賃上げの定着に向けて進む日本
日本では、2024から2025年にかけて約30年振りとなる高水準の賃上げが生じた。労働組合のナショナルセンターである労働組合総連合会(通称:連合)が公表した2025年春季生活闘争の結果では、平均賃金方式の加重平均として5.25%の賃上げ回答が報告されている1。
連合は、2025年春闘の全体的な受け止めとして、「賃金・経済・物価を安定した巡航軌道に乗せる正念場であるとの認識のもと、企業の持続的成長、日本全体の生産性向上につながる『人への投資』の重要性について、中長期的視点を持って粘り強く真摯に労使交渉した結果である。新たなステージの定着に向け前進したと受け止める」と評価した2。
また、日本経済団体連合会(通称:経団連)は、2025年春闘の集中回答日に十倉会長(当時)コメントを発表し、「今年の春季労使交渉は、2023年を『起点』として、2024年に『加速』した賃金引上げの力強いモメンタムを『定着』させる年としなければならない」と力強い一文から始まる声明を公表している3。
このように労働組合、経済団体の賃上げ定着に向けたスタンスが見られ、2026年も継続的な賃金の上昇圧力が見込まれる中、企業は、事業戦略の遂行・実現に必要な人材を確保、定着、動機付けするために、人件費原資の見直しに迫られている。
1出所: 連合「2025年春闘 第7回(最終)回答集計(2025年7月)」
2出所: 連合「2025 春季生活闘争 まとめ ~評価と課題~(2025年7月)」
3出所: 経団連「2025年春季労使交渉・集中回答日における十倉会長コメント(2025年3月)」
不合理な年功的処遇と一律的昇給
日本企業では長らく、新卒一括採用中心・年功序列・終身雇用の考え方をベースとしたメンバーシップ型の人材マネジメントが主流だった。人材の出入りを前提とせず、内部人材を会社主導で異動・配置することによって組織能力を高め、事業成長を支えてきた。そのため賃金は企業内で横並び、昇給は一律的といった処遇に差をつけない内部公平性重視の報酬哲学が多く見られた。
しかし、DXや雇用の流動化が進む近年では、新たな組織能力を確保する上で、外部労働市場からの中途採用が欠かせない手段となっている。データアナリティクス等に代表されるジョブは、内部で調達困難なケイパビリティとして、多くの企業が外部から人材確保を図ることとなる。こうして生じる高い需要と雇用の流動化は、職種の市場価値を押し上げ、企業は市場原理に従って外部競争力を重視せざるを得なくなる。
実際のデータを用いて、例に挙げたデータアナリティクス職の市場価値を確認すると、年功的処遇や一律的昇給では、外部人材の確保が難しいことが分かる。
マーサーが実施する総報酬サーベイでは、日本における職務の報酬動向を調査している。2024年の調査データを用いて、日系企業の年齢区分別・職種別の報酬水準を検証した結果、例えば30-35歳のデータアナリティクス職は、全職種の同年齢区分よりも14%報酬が高いことが分かっている(図1)。また、外資系企業の同データ(30-35歳のデータアナリティクス職種)では、全職種よりも24%報酬が高く(図2)、これは前述の日系企業の全職種より34%も高い。
また、全職種の報酬水準は、全年齢区分において外資系企業が日系企業を上回っており、人材マネジメントの違いから、外資系企業は職種による報酬のバラツキが大きい。
こうしたデータが示すように、外部人材を確保、定着させる上では、年功的処遇や一律的昇給では対応しきれないケースが想定される。自社の人材獲得時に競合する外部労働市場と比して、ジョブベースでの報酬競争力を検証し、処遇のあり方を検討するなどの取り組みが必要と言えるだろう。
報酬哲学: 公平性と透明性
従来の内部公平性を重んじる報酬哲学のみならず、外部労働市場におけるジョブベースでの報酬競争力を重視する必要性を示したが、これら内部・外部との公平性を維持し、透明性を高めていくためには、人事戦略と連動した報酬哲学を持つことが有用だ。
2024年8月に内閣官房より公表された「ジョブ型人事指針」では、従来の日本の雇用制度への危機感がある中で、日本企業が競争力を維持し、自社のスタイルに合ったジョブ型人事導入を検討できるよう、導入企業20社の事例を取りまとめている4。そのうちの1社である日立製作所の事例では、グローバル報酬フィロソフィーが開示されている。
4出所: 内閣官房、経済産業省、厚生労働省「ジョブ型人事指針(2024年8月)」
事例1. 日立製作所
グローバル報酬フィロソフィーについて、中核となるポイントを3点挙げている。
- 市場競争力の確保
市場に照らして適切な報酬構成・水準とする。 - ペイ・フォー・パフォーマンス(Pay For Performance)
職務の役割・責任をベースに、パフォーマンスを反映させて報酬を決定する。 - 透明性の維持
評価基準・プロセスを開示すると共に、評価結果だけでなく理由を本人にフィードバックする。
外部市場と公平な報酬構成・水準として、どのように報酬が決定するのか明示し、その評価プロセスの透明性を維持するというものだ。こうした哲学に基づき、同社は年齢や勤続年数ではなく、担う職務(ジョブ)の価値に基づいて報酬を決定するジョブ型人財マネジメントを推進し、公平性と透明性を維持した処遇に対するスタンスを明らかにしている。
事例2. 資生堂
同じく、「ジョブ型人事指針」で導入事例が開示されている資生堂は、貢献や成果に基づく昇降給の仕組として、評価結果と報酬レンジ内の位置に応じて昇降給率が決定される仕組み(メリットインクリース方式)を導入し、従来の年功的な運用から、パフォーマンスに報いる制度へと改革している。
また、報酬水準は、日系・外資系の有力企業の上位40%をベンチマークとして設計しており、グローバル企業に対しても高い報酬競争力を維持している。加えて、外部人材の確保に際して候補者が基本給額を重視する場合を踏まえて、賞与比率を縮小して基本給に組み換え、報酬水準・構成ともに外部競争力のあるパッケージを実現した。
資生堂と当社の対談では、マーサーの報酬サーベイを活用して、どのように報酬ベンチマークを行っているか語っている。報酬水準の比較対象企業を同社従業員に公開する運用は、データに基づき高い透明性を維持する事例の一つと言える5。
5出所: マーサージャパン「PEOPLE FIRSTを実現させる資生堂の『総報酬サーベイ』活用(2024年1月)」
羅針盤としての報酬ベンチマーク
これまで見てきたように、現在の日本は賃上げの定着に向けて歩みを進めており、企業は、限られた原資を戦略的に配分し、より一層、外部競争力を意識した人材確保、定着、動機付けを進めることが求められる。その羅針盤となるのが、客観的なデータに基づく外部労働市場の報酬ベンチマークだ。必要な人材を確保する上で、自社の報酬水準が競合する労働市場と比してどの位置にあるのか、すなわち「外部公平性」を客観的に把握することが極めて重要だ。
しかし、報酬ベンチマークの真価は、他社との給与水準比較にとどまらず、何に対して、どの程度、どのように報いるのか、自社の報酬哲学を検討するための出発点となることにある。賃上げが定着に向かい、ジョブ型人事に代表されるように報酬哲学の大きな変化が見られる今こそ、持続的な成長に貢献する戦略的な処遇のあり方を検討してほしい。
組織・人事、福利厚生、年金、資産運用分野でサービスを提供するグローバル・コンサルティング・ファーム。全世界約25,000名のスタッフが130ヵ国以上にわたるクライアント企業に対し総合的なソリューションを展開している。
https://www.mercer.co.jp/

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