マグロ解体師
見て楽しい! 食べておいしい!
日本のマグロ文化の真髄を伝えるスペシャリスト
マグロの解体ショーを、見たことがある人は多いだろう。1本数十万円から高いものでは100万円以上もする立派なマグロを、刃渡り1メートルにも及ぶ長包丁で豪快にさばく技はまさに圧巻だ。客の心をつかむ話術も巧みで、実演が始まると、すぐに黒山の人だかりができるのもうなずける。その舞台の中心に立つのが、解体ショー実演のプロ、「マグロ解体師」である。料理人でもない。魚屋でもない。注目を集める新しい“食のエンターテイナー”の実態とは。
マグロ解体ショー実演のプロフェッショナル
人気歌手で、現在は料理人兼飲食店経営の香田晋さんが、歌手やタレントとして活動中だった2010年に、当時は聞き慣れないある資格を芸能界で初めて取得し、話題を呼んだ。それが「マグロ解体師」である。当時の報道によると、同資格の1級に合格した香田さんは、都内の鮮魚店などでマグロの解体ショーを実演、 一般客の前で玄人はだしの腕前を披露したという。ちなみに、同資格を認定・付与している一般社団法人全国鮪解体師協会(JADT)のホームページでは、マグロ解体師を「マグロの性質を理解し、解体をしながらその素晴らしさを伝えることのできるスペシャリスト」と定義している。
水産資源として、また観光資源として、日本の食文化になくてはならないのがマグロだが、世界に和食ブームが広がる一方で、国内のマグロ水産業をめぐる環境は厳しさを増している。マグロ資源の減少と世界的な需要増を背景とした国内価格の高騰や、品質の根拠を「○○産」のみに求める産地偏重の風潮が過熱すれば、乱獲や産地偽装を招き、ひいては日本の魚食文化そのものの衰退にもつながりかねない。そうしたなか、09年に発足したのが前述のJADTである。JADTでは、全国各地域のマグロブランドの強化とPRに努めるとともに、マグロ資源に関する正しい理解とそれに基づく適正な生産・流通・消費を促進するために、「マグロ解体師エキスパート検定制度」を設立。これは、水産資源としてのマグロの歴史や産地特性、分類、生態等を熟知し、口上を立てながら、専用のマグロ包丁を使い分けてマグロを解体する「マグロ解体師」を養成、認定する資格制度である。資格は1級、2級、3級に分かれ、2、3級では解体、口上どちらか一方の専門技能しか認定されない。JADTの制度においては、先述の香田さんのような1級取得者だけが、客の前で口上を立てながら、マグロ一本を豪快にさばいて見せることができる。つまり、マグロ解体ショーの実演のプロフェッショナルとして公認されるのだ。
もちろん「マグロ解体師」の資格自体は国家資格ではないので、これがないと、マグロ解体ショーで実演ができないわけではない。実際、そうしたショーは以前からスーパーや大型回転すし店などの店頭イベントとして行われており、そこではさまざまな業者(仲買人、鮮魚店、料理人)が本業の一環としてマグロをさばいて見せている。その仕事や技能が“食のエンターテインメント”としてより洗練され、また「マグロ解体師」という専門の職業ジャンルとして確立されてきたのはここ数年のことだ。背景にあるのは、マグロ解体ショーの人気である。
五感すべてで人を楽しませ、ハレの日を彩る
日本有数の生マグロ水揚げ高を誇り、マグロ解体ショー発祥の地ともいわれる和歌山県には、1日3回、年間に1000回以上解体ショーを催す市場がある。2012年には、この市場の腕利きのマグロ解体師たちが、全国各地に出張して解体ショーを行う専門の会社「鮪名人」を立ち上げた。東京・築地に活動の本拠を置くJADTでも、全国のマグロ解体師資格取得者を組織し、同様のイベント事業を手がけている。それほど、消費者のマグロ解体ショーに対するニーズは高く、商機が広がっているということだ。
水産物関連の販促や観光・商業施設での集客イベントの目玉としてだけでなく、最近では、企業の懇親会や周年記念など各種催しの余興として、あるいは結婚披露宴や新年会・忘年会、祝い事などのサプライズとして、法人から個人まで、さまざまな日のシーンに利用されている。たとえば結婚式の演出で人気なのが、ケーキ入刀ならぬ「マグロ入刀」。新郎・新婦が“初めての共同作業”として、マグロ解体師の介添えを受けながらマグロのかまに刃渡り1メートルもの長包丁を入れるという趣向だ。入刀されたマグロが、威勢のいい口上や掛け合いとともに解体師の手で手際よくさばかれ、ふるまわれると、会場はおおいに盛り上がるという。目を、耳を、そして舌を――人の五感すべてを自分の腕一本で喜ばせ、ハレの日を感動で彩ることができるのがこの仕事の最大の醍醐味なのである。
したがって適性となると、生産者や料理人などと違い、職人気質で黙々と……というタイプは難しいかもしれない。性格的な明るさと元気、どんな客とも積極的に触れあえる社交性は必須であり、その上で手先の器用さや繊細さ、研究心があれば、解体技術や客の心をつかむ話術の習得もスムーズだろう。予算や会場の制約に応じて顧客満足を最大化するためには、依頼主のニーズをくみ取るコミュニケーションスキルや臨機応変の対応能力も必要になってくる。
将来は世界で活躍、一獲千金も夢じゃない!?
マグロ解体師を目指すには、先述したようなマグロ解体ショー専門の企業にスタッフとして就職する道が一般的だ。その際、関連業界での経験や調理師、食品衛生管理者の免許があれば、有利であることは間違いない。未経験者が一から始めるなら、JADTのマグロ解体師エキスパート検定制度を利用するのが早道だろう。マグロ解体師の認定資格を得るためには、同協会公認の養成講座(在宅学習、講習会、現場教育)を受講した上で、検定試験に合格しなければならない。受講資格は満18歳から70歳までの男女で学歴や国籍は不問。検定試験は合格率3割の狭き門だが、合格すれば自動的に協会会員に登録され、資格取得者を優先的に雇用する求人先の情報提供やイベントなど仕事の紹介・あっせんを受けられる。
気になる収入面はどうか。JADT公認解体師のケースでいうと、1現場につき約2時間で30000円弱。人気の解体師になると、現場が1日3件入ることも少なくないという。年間半分以上をそのペースでこなせば、年収はざっと1500万円に! マグロ解体で一獲千金も夢ではないというわけだ。
資源の枯渇や漁獲制限などの不安要素もあるが、ビジネスとしての将来性は有望と見ていいだろう。和歌山の「鮪名人」も業績好調で、昨年の依頼件数は220件。約6割がリピーターだったという。昨年9月には、マカオのカジノからも出演依頼があった。同社の武縄伸也代表取締役は「アジアでは日本文化や日本食への憧れも強い。解体ショーを通して世界で和歌山のマグロの魅力を伝えていきたい」と、同業他社に先駆けて海外進出をねらっている。外国語の口上を操るマグロ解体師が、日本刀より長いマグロ包丁を携えて、海を渡る日もそう遠くないかもしれない。
※本内容は2015年4月現在のものです。
この仕事のポイント
やりがい | 迫力のショーにより、観客の五感全てを喜ばせることができる |
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就く方法 | マグロ解体ショー専門の企業にスタッフとして就職後、資格取得を目指す |
必要な適性・能力 | 観客と触れ合う社交性・手先の器用さや繊細さ・研究心・コミュニケーションスキルなど幅広い |
収入 | 人気解体師では、年収1500万円程になることも |
あまり実情が知られていない仕事をピックアップし、やりがいや収入、その仕事に就く方法などを、エピソードとともに紹介します。