同業他社に転職するか、自社に留まるか――
条件によって変わる、求職者の会社選び
同業は忙しくなるタイミングも同じ 「中途採用」の現場での、激しい人材獲得競争
世界景気の先行きは不透明だが、足元では売上が伸び、業績が改善している業種もあるようだ。採用を極端に控えていた企業のなかにも、必要に迫られて増員に転じるケースが出てきている。しかし、欲しくなったからといってすぐに人材を採用できるとは限らないのが「中途採用」というもの。ある程度のスキルやキャリアを持った人材ならば、同業ならどこでも欲しいだろう。一方で、在職中の優秀な社員に関しては、強力な引き止めを行うこともある。
一気に活発化したある業界の採用市場
「久しぶりに求人をたくさん出しますので、楽しみにして来て下さい」
そんな呼びかけがあったので、期待して出掛けたY社の中途採用説明会。人材紹介会社を何社も集めて、広い会議室でオリエンテーションが行われた。人事マネジャーや担当者だけではなく、担当役員まで参加して募集職種について詳しく説明するという熱の入れようだ。
「この2年ほど、中途採用はほとんど行っていませんでしたが、現状の売上の伸びをさらに加速させるために再開することにしました。皆さんの協力を得て、良い人材を採用したいと思っています」
為替相場の動きなど、先が読めない要素はあるものの、新興国の成長に牽引される形で一部メーカーでは即戦力となる経験者の採用が活発になってきている。Y 社もそんな状況のようだ。募集職種の要求スペックを聞きながら、私の頭のなかにはすでにある人材の名前が浮かんでいた。1年ほど前から転職相談を受けていたUさんだ。
「今の会社にいても、どうも先行きが見えないんです。業界全体が厳しいですからね。新しいプロジェクトも小規模なものばかりですし…。これまでの経験を活かした仕事ができる会社をぜひ探して欲しいのです」
そう話していたUさんは、まさにY社の募集条件にぴったりだった。Y社は日本系、Uさんが現在勤務している会社は外資系…という違いはあるものの、同じ業界なので即戦力として活躍できるのは間違いない。これまではUさんの経験が活かせる職種の募集が、日系・外資系問わずストップしていたので、この1年間なかなか紹介できないでいた。今回のY社の案件は、きっとUさんにも喜んでもらえるだろう…と私は思い、その日のうちに電話を入れた。
「情報ありがとうございます…」
ところが、Uさんの声がいまひとつ弾んでいない。数ヵ月前に話した時には、まだ確定していない情報にもかなりの勢いで「ぜひお願いします!」という感じだったのだが…。
「実は、同業のある会社からも同じような話がきたので、先週面接を受けに行ったのです。そうしたら、翌日すぐに内定をもらったんですよ」
状況は思いがけない速さで動いていたのだった。
転職する理由がなくなってしまった
「それでどうなさるんです? 入社はもう決定ですか? 条件提示はありましたか?」
不意を突かれたこともあり、私はいろいろなことを一気に質問してしまった。たしかに日系のY社が意欲的な採用を行うということは、同業でフットワークの軽い外資系企業などはすでに動き始めていたとしても何ら不思議はない。同じ業界が同時に活性化するというのはキャリア採用の世界ではよくあることだし、案件がまったくない状態から一気に激しい人材獲得競争の状態に180度変わってしまうことは珍しくないのだ。
「それがですね…」
Uさんによると現職の仕事が非常に忙しくなってきており、転職どころではなくなっているのだという。
「半年ほど前までは業界全体がぱっとしなかったんですが、ここへきて急に受注が増えましてね。先週の面接も週末に時間をとりますと先方が言うので、なんとか都合をつけて会ってきたんです」
週末に面接を行うということは、Uさんに内定を出した会社もよほど採用に本腰を入れているのだろう。問題はUさんの方だ。忙しくなってきたということは、最初に転職の理由として挙げていた仕事の停滞感が解消されたのだろうか。私はダイレクトに訊いてみた。
「転職する理由そのものがなくなった、ということでしょうか…?」
「大変申し上げにくいんですが、現状はそうです。内定をもらった会社の条件は決して悪くなかったのですが、今の会社もこの調子でいけば期末には臨時ボーナスが出そうなので、それまではいようと思っています」
そういえばUさんの会社は外資系だった。「期末ボーナスは業績と連動するため、以前は相当な額だったが今はほとんど出ない」というのも転職の動機の一つになっていたのだ。その期末ボーナスが業績の回復でまた復活するらしい。
「内定をもらった会社の方も条件交渉には対応してくれていますが、たぶん期末ボーナスを入れるとそれ以上は難しいだろうという話なので、おそらく断ることになるかと…」
業界が一気に活性化しているなかで、企業が中途採用を行う場合には、注意が必要だ。これまで転職を希望していた求職者でも、勤務先の状況が好転し、今後条件などの改善が期待できるのであれば、転職を見合わせることもあるからだ。仕事が増えれば社内の雰囲気も明るくなるだろうし、さらに年収も増えるとなれば、わざわざ転職のリスクをとる必要はないだろう。
私はUさんの電話を切った後、Y社に紹介する新しい候補者を探すため、資料の山に取り組んだのだった。