企業は不祥事にどう対応すべきか
ジャーナリスト
鳥越 俊太郎さん
雪印食品の牛肉偽装、三菱自動車のリコール隠し、西武鉄道の株の虚偽記載、NHKプロデューサーの巨額横領事件……新聞を開けば毎日どこか企業の不祥事に出合う時代になりました。不祥事が発覚すると、企業はブランドイメージが失墜して、致命的な損害を被るかもしれません。ただ、このところ目につくのは、不祥事後も企業が嘘やごまかしを並べて、イメージを自ら悪くしているケースです。NHKの問題では、引責辞任した海老沢勝二前会長が翌日、事実上の「院政」を固める顧問に就任、視聴者の猛反発を受けて辞退するという一幕もありました。また、乗客107人が犠牲になったJR宝塚線の脱線事故では、電車に乗り合わせていたJR西日本の運転士2人が救助活動をせずに出勤していたり、事故発生の当日に同社の社員たちがボウリング大会を催していたりしていたことが後に発覚しました。不祥事後、どうして企業の社員たちはそんな逆効果の対応をしてしまうのか?不祥事が起きたら、まず何をどうしたらいいのか。「桶川ストーカー殺人事件」で埼玉県警の組織ぐるみの不正を暴き、昨年12月の番組「NHKに言いたい」で海老沢前会長に直言したジャーナリストの鳥越俊太郎さんにうかがいました。
とりごえ・しゅんたろう●1940年、福岡県生まれ。京都大学文学部卒業後、毎日新聞社入社。新潟支局、大阪本社、東京本社の社会部を経て『サンデー毎日』編集部へ。82年から1年間休職しアメリカの地方新聞社に勤める。帰国後、外信部テヘラン特派員、『サンデー毎日』編集長。89年8月退社し、10月からテレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」キャスターへ転身。2002年10月からテレビ朝日「スーパーモーニング」コメンテーター、TBSラジオ「CUBE」コメンテーター。2003年4月からは関西大学社会学部教授も務める。『あめりか記者修業』(中央公論社)『桶川女子大生ストーカー事件』(メディア・ファクトリー)『ニュースの職人』(PHP新書)など著書多数。
必ず最後は「真実に正直」「事実に忠実」が勝つ
一連の不祥事を理由にしたNHKの受信料支払い拒否・保留が3月末時点で約70万件に達した、という報道がありました。じつは100万件を超えている、とも言われます。
どんな企業・組織においても不祥事が絶対に起きないということはないでしょう。自らの不祥事に気づいたとき、当の企業はどう対応すべきか。それがいちばん問われるところですが、NHKの場合、対応を決定的に間違ったんだと思います。だから傷口が広がった。何よりも経営トップ――海老沢さんがきちっと責任を取ろうとしなかったことに視聴者は不信感を抱き、受信料不払いというかたちでそれをNHKに示したのでしょう。受信料不払いが急増したから、海老沢さんは引責辞任せざるを得なくなったんですね。
不祥事が起きたときに、どう対応するか。とても大事な問題なのに、過去、日本ではあまり論じられることがなかったと僕は思います。情報をシャットアウトして、嘘もごまかしも平気で、謝罪も補償もせずに抑え込む――企業はそんな対応で不祥事を片付けられたからですね。でも、それが今、難しくなってきました。不祥事後の嘘やごまかしがばれて企業はさらに追い詰められていく、というケースが目立つでしょう。その背景の一つには、社会のIT化で通信手段が発達したことがあると思うんですね。
たとえば、昔は企業の嘘やごまかしを内部告発しようと思っても、投書や電話の通信手段しかなくて、それだと字とか声から誰なのかわかってしまう恐れがありました。よほど決心しないと、内部告発なんてできなかったんですね。だけどインターネットで発信すればわからないでしょう。一昔前に比べると情報が格段に流通しやすくなっているわけです。そういう変化に企業も気づいていて、グリコ・森永事件の頃から不祥事後の対応について危機意識が出てきましたが、「もしも対応を間違えたら、マイナスをさらに大きなマイナスにしてしまう」と、そこまで想像することはできないんじゃないかと思います。これは「危機管理」の問題なんですが、どうしたらマイナスをプラスに変えることができるか、それも考えられない。
どうして日本の企業は不祥事が起きたときの対応が下手なのでしょうか。
それはどこに起因するかというと、事実や真実に対して正直であることが、じつはいちばん得をする道だという認識を持てないからだと思いますね。日本人は「正直者は馬鹿をみる」などと言われたりして育ってきているから、真実を正直に語ってしまうと損をすると思い込んでいるところがある。
三菱自動車のリコール隠しのケースでは、真実を公表することなくごまかしを重ねて、結局、元社長らが起訴されるという最悪の事態になってしまいました。
ああいうのを見ていると、「本当のことを言わないとダメだ」ということがわかると思うんですけどね。不祥事が起きたら、すぐに外部の目も入れて徹底検証する。それから、その結果を洗いざらい公表して、二度と同じような不祥事を起こさないための防止策も社会に明らかにする。そして経営トップは責任をちゃんと負う。この3つが日本の企業はなかなかできないけれど、最終的には真実に正直に、事実に忠実に行動するほうが信頼を勝ちうるんですよ。真実を洗いざらい公表すると、企業の信頼性は一時的には落ちると思います。だけど、長い目で見ると、真実を隠して嘘やごまかしを並べる企業というのは、消費者や社会の信頼を失って、結局、大損することになるんですね。必ず、最後に、真実に正直な態度が勝つ。つまり得をするんです。
日本と違ってアメリカには、「正直であることが得だ」という考え方、文化が根底にありますね。企業が不祥事に気づくと、やっぱり負の情報を何とか隠そうとしますが、最後には正直に全部言うんですよ。前大統領のクリントンさんだって、自分のセックススキャンダルを国民に向けてすべて告白したでしょう。僕ならとても耐えられないことですが(笑)、それを敢えてやる勇気と正直さがある。その姿を見て国民はクリントンさんを見直したはずですよ。ときどき外交の舞台に出てきたり、ベストセラーを書いたり、彼が今も活躍できるのは、そんな不祥事後の対応にも要因があるんじゃないでしょうか。
捏造記事が発覚したとき『ワシントンポスト』は何をしたか
日本人がなかなか「真実に正直な」態度になれない理由は何でしょう。
大きな理由の一つは宗教の影響があるかもしれませんね。アメリカやヨーロッパ、アラブ世界などは、唯一・一神教でしょう。神様がひとりだけ天にいて、隠し事をしてもその神様に全部見られているという考えがありますよね。ところが日本は「八百万の神」などと言うほど、神様がたくさんいる。ときに神様は会社の利益だったり、組織の利益だったり、上司の利益だったりするんです(笑)。
神様がどこにでも、そこらじゅうにいる。
そう。だから、とりあえず自分にとっていちばん大事な神様に顔を立てればいいや、と考えてしまうんじゃないですか。「会社のために」と、嘘やごまかしで取り繕うことを考えたりするんです。
日本のマスコミにも、そういうところがないとは言えないでしょうね。自らの誤報に気づいたとき、どんな対応をしてきたか。実際、正面切って訂正や謝罪をしたケースは、ほとんどなかったかもしれない。
かつてアメリカでは、『ワシントンポスト』紙で記事捏造が発覚した「ジャネット・クック事件」というのがありました。1981年、女性のクック記者が書いたキャンペーン記事(悲惨なヘロイン中毒禍の8歳の少年に関するルポ)がたいへんな反響を呼んで、クック記者はアメリカのジャーリストとして最高の栄誉とされるピューリッツァー賞も受賞した。ところが、それが何とクック記者のでっち上げだとわかったんですね。『ワシントンポスト』は創刊以来、最大のピンチに陥った。でも、そこで『ワシントンポスト』が何をやったかというと、同紙のオンブズマンを務めていたデューク大学の教授に頼んで徹底的な調査を始めたんです。
その調査結果も公表したのですか。
もちろん。その教授は一切の制限も受けずに『ワシントンポスト』の関係者を調査し、リポートを書き上げた。そしてそれをそのまま、同紙は5ページにわたって公表したんですね。捏造記事を掲載して、よりにもよってピューリッツァー賞までもらっていたというのに、『ワシントンポスト』は読者の信頼を失わなかった。むしろ逆に、「さすがワシントンポストだ」と評判になったと言います。
「自分の過ちを認めて公表する」という行為は苦しい
『サンデー毎日』副編集長の頃、鳥越さんも『ワシントンポスト』と同じような不祥事を体験されたそうですね。
1986年のことです。フィリピンから日本へ出稼ぎに来た女性の中にエイズ感染者がいることが判明、本国へ強制送還されたという報道がありました。『サンデー毎日』はその女性を取材するためにマニラへフリーライターを派遣して、インタビュー記事を掲載した。当時、エイズといえば「黒死病」などとセンセーショナルな報道をされていましたから、この記事の反響も大きかったと思います。僕は担当編集者としてそのフリーライターとやりとりをし、彼が現地で女性をインタビューした内容に関して話を聞いて、原稿を書きました。ところがエイズ女性へのインタビューは、彼の作り話だったんです。
同業他社などから「『サンデー毎日』のエイズ・スクープは嘘臭いぞ」と噂が流れて僕は、「誤報をやったのか」と背筋が寒くなりました。ここは訂正記事で逃げたりせずに、『ワシントンポスト』と同じような対応をするしかない。でも、大変なんです。『ワシントンポスト』の真似をするためには、ものすごいエネルギーがいる。
編集長は「うーん、そんなことできるかなあ」なんて言うし、最初は編集長以下、誰もそんなことしようとは言い出さない。自分たちの非を認めるのが苦しいからです。だけど、他に方法がないから、やるしかない。柳田邦男さん(ノンフィクション作家)に「誤報の検証をしてください」と、僕が自宅まで頼みに行きました。そして、柳田さんの検証記事――フリーライターから担当編集者の僕まで、すべて実名入りで記述された記事が8ページにわたって『サンデー毎日』に掲載されたんです。
その結果、どうなったのでしょう。
この対応には賛否両論があって、実際、『サンデー毎日』の信頼度が落ちたかどうかもわかりませんが、あれでよかったんだと、僕は今でも思っています。とにかく、自分の過ちを認めて公表するということがいかに苦しくて大変であるか、身に沁みてわかっただけでもよかった。
不祥事の当事者になってから僕は辞表を書いて、それを上着の内側のポケットに入れて仕事をしていました。会社から処分を食らって、結局、辞表は出さなかったけど、訓告程度の処分で、こんな軽くていいのかなという感じでした。でも今になってみると、あそこまで後始末を徹底してやったから、軽い処分で済んだのだと思います。訂正記事とかであっさり済ませていたら、編集の現場から外されていたかもしれない。僕はその後、『サンデー毎日』編集長になれたし、「そんなことできるかなあ」と言っていた編集長だって出版局次長になれました(笑)。
昭和天皇の戦争責任を問わなかった影響が残っている
不祥事が起きたときは、やっぱり正直に全部さらけ出すことが大事で、そのほうが得をするということですね。
損得だけでものを言うと誤解をされるかもしれませんが、こういう話を「そうすべきだ」といった精神論から語ると、強要する感じになってしまうでしょう。どういう対応をすれば企業はビジネス上の得につながるかと、やっぱり損得で考えるほうが理解しやすいと僕は思うんですね。隠すことは絶対、損につながるわけですから。傷がどんどん大きくなって、最終的には会社が潰れるぐらい損をしてしまう。雪印食品のケースがそうですよ。
その雪印食品の牛肉偽装事件では、神戸地裁は偽装を実行した5人を有罪、しかし上司である役員2人は無罪という判決でした。たとえば、違法行為を示した書類を社内で処分しなければならないという場面があったとき、上司から直接の命令がなくても、部下は上司の意図を察して自ら率先して書類を焼却してしまう。その結果、雪印食品の事件のように「上司無罪、部下有罪」の判決が出ることが少なくありません。
それは日本の永遠の課題でしょうね。たとえば戦時中の捕虜を死に至らしめた犯罪に直接かかわったのは、軍曹とか少尉などが多い。実際には連隊長や師団長、あるいはもっと上のクラスの暗黙の了解があったのだろうと僕は思います。でもB級戦犯を裁くとき、上のほうの人たちの責任は問わずに、手を下した実行犯だけに罪をかぶせるかたちになりましたよね。それと同じように、企業でも、上司からの暗黙のプレッシャーを受けている現場の社員がファールを犯したとき、直接の言葉や文書で「そうしろ」と命じられたという証拠がない限り、上司は責任を問われることがない。裁判では上司と部下の人間関係の機微みたいなものは考慮されないんですね。
この問題を突き詰めて行くと、天皇陛下(昭和天皇)の戦争責任を問わなかったところにつながるんじゃないかと、僕は思うんです。あの戦争は、全部天皇陛下の名の下に行われていたでしょう。それにもかかわらず、その責任をGHQや東京裁判は問うことをしなかった。上司が無罪で、部下が有罪という判決が少なくないのは、天皇の責任を問うことをしなかった影響が今もずっと続いているからじゃないでしょうか。
ただ、そんなふうに企業の幹部クラスが裁判で無罪になっても、自分には責任がないよと言い張ったり、地位にしがみついたりしていれば、その人はいつまで経っても世間から理解を得られないように思います。
おそらく会社を辞めた後もずっと、「あの人は不祥事の責任を取らなかった」なんて言われると思いますよ。NHKの海老沢さんも、もっと早く、スパッと辞めていたら、「さすが海老沢さん」と評価を上げていたかもしれません。あの人自身はいわゆる「不祥事」に直接かかわったわけではないですから。NHK内部に巣食っていた体質を裁ち切るため辞職というかたちで「改革」をNHK全体に迫れば、称賛されたはずなんです。でもやっぱりそこが見えなくて、保身ばかり考えてしまったのでしょう。
このことは「言うは易し、行うは難し」という話に似ていますが、そんな簡単な物言いで済ませてはいけないと思うんですね。企業のトップや幹部クラスは嘘やごまかしをせず、責任を負うべきは負うという哲学をきちっと身につけておかないと。そうしないと不祥事が起きたとき、会社も自分も、両方とも潰してしまうかもしれないからです。僕自身も、もしもまた不祥事の当事者になったら、洗いざらい公表して責任を取りますよ。後ろ指を差されて、下を向いて歩いていくような生き方は嫌ですからね。
(取材・構成=天野隆介、写真=菊地健)
取材は2005年4月5日、東京・六本木のテレビ朝日にて。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。