就職率100%! 国際教養大学の教育プログラムに学ぶ、
“全人力”を養う人材育成の極意とは
国際教養大学 理事長・学長
鈴木典比古さん
時代は「人工植林型」教育から「雑木林型」教育へ
国際教養を掲げる貴校が注目を集める一方で、近年、大学改革の流れの中では、実学重視・専門重視が叫ばれ、リベラルアーツが軽んじられる傾向もありましたね。
専門性重視あるいは実学重視というのは、私からすると「人工植林型」の教育なんです。人工植林のマツ林にはマツだけ、スギ林にはスギだけ、ヒノキ林 にはヒノキだけしか生えないでしょう。それと同じことで、経済学部ならマツ林、工学部はスギ林、法学部ならヒノキ林……となっている。生産方式で言えば、 少品種多量生産ですね。同じような志向、同じような能力、同じような考え方を持った人材ばかりを大量につくって、社会に送り出しています。そして企業社会 でも、経済学部というマツ林で育った材料なら営業へ、工学部というスギ林から出てきたら製造現場へ、法学部卒のヒノキは法務へといったようにざっくりあて はめていけば良かったわけです。人工植林型の教育システムと産業社会における人の使い方がある意味、マッチしていた。しかしこれは、日本でもまだ大量生産 が強みを発揮していた、20世紀型のシステムなんですね。
人工植林型の教育システムでは21世紀に適応できません。産業界で必要とされる人材や組織のあり方は、大きく変わっています。これまでの少品種多量 生産では間に合わないような多様な人材を求め、各部門の専門性にとらわれない、多様性に富んだ組織づくりを進める企業が徐々に増えてきました。そこで必要 になるのが、人工植林型に対する「雑木林型」の教育なんです。雑木林型だから、そこで育った木は一本一本、一人ひとり違っています。先進的な企業は、そう した多様な人材を集めてチームを組み、活用することをもう始めている。多様性が組織開発のキーワードであり、会社そのものの雑木林化が進んでいるわけで す。
チームとは、グループではありません。どちらも人の集まりですが、グループは同じタイプの人で統一されている。つまり、人工植林型です。一方、チー ムを構成するメンバーは、能力も、特性も、役割も一人ひとり異なっている。そうした個の違いや差をうまく組み合わせることで、全体のパフォーマンスを最大 化するのがチームの強みでしょう。
グループ志向の人工植林型から、チーム志向の雑木林型へ。企業社会において、人と組織の活かし方が変わってきたわけですね。
変化し始めたのが1980年代から90年代にかけてですから、もう30年ぐらい続いています。ところが、残念ながら大学側の大勢がまだこれに追いつ けていません。社会の要請に応える大学改革だと言いながら、時代が雑木林型に変わっていることをよく理解していないために、今でも新しい専門学部を増やし たり、あるいは既存学部の中の一学科の名称を替えて、手直ししたりするだけの対処療法でお茶を濁しているのです。20世紀型の人工植林型教育をまだ続ける つもりかと、言いたいですね。
企業でも若手社員の多くが、自分で物事を決められないとよくいわれます。そういう若者たちもやはり「人工植林型」教育の影響下にあると見ていいのでしょうか。
影響は大きいでしょうね。人工植林型で育てられた人材が、雑木林型の組織に移行しようとしている企業の中に入って、うまく自己変革できず葛藤してい るわけですから。雑木林型教育とは、すなわちリベラルアーツ教育であり、一人ひとり異なる個を確立するための教育ですから、それを受けられなかった若者た ちが自分で物事を決められないのは無理もありません。彼らだけを非難するのは、間違っている気がしますね。
だいたい産業界にしても、これまでずっと人工植林型でうまくいっていたわけです。大量生産・大量消費の時代には、マツならマツだけという同質性の高 い社会構造のほうが、効率面ではるかに優位でした。だから、グローバル化という環境変化を認識しながらも、従来の輝かしい成功パターンも捨てきれない。矛 盾と葛藤のなかにある企業は、少なくないと思いますよ。年功序列・終身雇用といった日本的慣習も崩れてはいますが、完全に失われてもいませんね。年功序列 も終身雇用も、組織の均質化・平準化を担保するシステムであり、その意味では人工植林型の人材育成となじみがよく、逆に個をきちんと持っている人材はスポ イルされがちでした。いずれにせよ、産業界もまだ、雑木林型への本格的な脱皮には至っていないというのが実態ではないでしょうか。
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。