日本の人事部「HRアワード2023」受賞者インタビュー
変化を成長のチャンスに!100人100通りのストーリーを紡ぐ
富士フイルムの自己成長支援プログラム
「+STORY(プラストーリー)」
富士フイルムホールディングス株式会社 執行役員 人事部長 総務部管掌 兼
富士フイルム株式会社 取締役 執行役員 人事部長 総務部管掌
座間 康さん
VUCAといわれる変化が激しい時代には、変化を恐れずに挑戦し、道を切り開いていく姿勢が重要です。富士フイルムホールディングスは「変化に対応する企業」ではなく「変化を作り出す企業」になるため、従業員の挑戦をサポートする自己成長支援プログラム「+STORY(プラストーリー)」をスタート。挑戦の土台となる心理的安全性や高いエンゲージメントの実現を目指しています。日本の人事部「HRアワード2023」企業人事部門最優秀賞に輝いた「+STORY」に込められた思いやその効果について、施策を主導した人事部長の座間 康さんにうかがいました。
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- 座間 康さん
- 富士フイルムホールディングス株式会社 執行役員 人事部長 兼 富士フイルム株式会社 取締役 執行役員 人事部長 総務部管掌
ざま・やすし/1987年、富士フイルム株式会社に新卒入社。マーケティング、国内営業、人事、海外営業を経て、2019年富士フイルム株式会社の執行役員 人事部長に就任。2021年より富士フイルムホールディングスの執行役員 人事部長に就任し、現在に至る。
事業ポートフォリオの大きな転換を支えた従業員の挑戦力
「HRアワード2023」企業人事部門で、自己成長支援プログラム『+STORY(プラストーリー)』が最優秀賞を獲得しました。おめでとうございます。まずは感想をお聞かせください。
本取り組みに大きな影響を与えた要素の一つに、この20年間での非常に大きな事業ポートフォリオの変革があります。当社は1934年に写真フィルムの国産化を使命として設立し、写真フィルムを主力事業として発展してきました。しかし、デジタル化の急速な進展によって写真フィルムの需要は、2000年を境に年率マイナス20~30%という想像を絶する急激なスピードで減少しました。
このままでは富士フイルムという会社がなくなってしまうかもしれないと考えるほど大きな環境変化の中でも、事業ポートフォリオを変えながら企業が成長し続けられた原動力は、間違いなく従業員です。写真フィルムを販売していた人が、半導体材料や医薬品のビジネスに転向するなど、あらゆる変化に対して思いや使命感を持って向き合ってくれたからこそ、事業ポートフォリオの転換を成し遂げることができたと思っています。
変化を成長のチャンスと捉え、「変わり続けなければならない」と危機感を持って挑戦していく風土をつくるために当社が取り組んできた「+STORY」を人事の皆さまに評価していただき、大変うれしく思います。当社の変革は終わったわけではなく、この先も変化を作り出し続けなければいけません。受賞によって背中を押していただけたと感じています。
育成3要素のうち「内省的支援」「精神的支援」を強化
人材育成において、どのような課題感を持っていたのでしょうか。
先んじて大きな変化をつくり出していくためには、強い思いを持ち、挑戦できる人材を育てる必要があります。そこで、多様な社員がそれぞれの個性や強みを生かせる場をつくることで、挑戦を後押しできないかと考えました。個人の個性や強みを生かしていくには、上司が部下の人となりや価値観、特徴を知ることが重要です。しかし、当社は定期的に上司と部下が面談しているものの、目標を設定し、評価をフィードバックするといった「業務」中心の対話でした。
育成を分解すると「業務的支援」「内省的支援」「精神的支援」の3種類になります。三つの支援をバランスよく実行することが重要ですが、当社は業務遂行のためのアドバイスやサポートをする「業務的支援」に偏り、人となりを理解する精神的支援のウエイトが小さくなっていました。そこで、この課題をマネジメント層と共有し、多様な社員の力を発揮させるための取り組み「+STORY」を進めていくことになりました。
100人100通りの「+STORY」を描く、五つの施策
「+STORY」のネーミングには、どのような思いが込められているのでしょうか。
「挑戦を後押ししたい」という人事の思いをどう伝えていくかを考えることから始めました。重視していたのは「キャリア」という言葉を使わないこと。取り組み内容は一般的にはキャリア面談やキャリア教育なのですが、富士フイルムの文化になじむような言葉を考えました。
社員一人ひとりが挑戦することで、成功や失敗を含めてさまざまな経験をしますが、ムダなものは一つもなく、プロセスも含めてすべて糧になっている。結果だけで捉えるのではなく、すべての経験に意味づけしながら点をつないでいくと、ストーリーになっていきます。一人ひとり違うストーリーを大事にしながら、さらに挑戦をプラスしていこうといった思いを「+STORY」という言葉に落とし込みました。100人100通りの「+STORY」を紡ぐことで「変化を作り出す会社」の原動力とし、エンゲージメントの高い組織となることを目指して取り組みを始めました。
「+STORY」には、対話をうながしたり、学びを促進したりするさまざまな施策があります。どの取り組みから始めたのでしょうか。
「+STORY」には、「+STORY対話・シート」「+STORYライブ」「+STORYサイト」「+STORYチャレンジ制度」「+STORYアカデミー」という大きく五つの施策があります。これらを少しずつ導入していきました。
2020年の初年度は「+STORY対話・シート」と「+STORYライブ」からスタート。シートは対話とセットで用いて、1年間を振り返りながら経験に意味づけしていくためのものです。1年間を内省して経験を振り返ると同時に、自分の価値観や考え方を整理し、自分のストーリーを描いていきます。具体的には、「価値観ワード」を多数個並べた中から今自分が大事にしているものを三つ選び、選んだ理由を書きます。さらに自分の現状は「挑戦」「順調」「停滞」のどのステイタスにあるか、仕事に対する意欲、異動希望の有無なども合わせて記載します。
そのシートを基に上司と対話し、自分の価値観や状況をオープンに話すことで、人となりの理解につなげ、信頼関係や心理的安全性を構築していきます。上司は部下の価値観や考え方を理解しながら、+STORYをどうサポートしていくかを真剣に考えます。
「+STORYライブ」は月に1回オンラインライブで開催し、多様な従業員の強みを共有するため、自分のストーリーをライブで語ってもらう企画です。ライブでは、経験豊富で、時には厳しく感じる上司が過去の失敗談を語ってくれることもあります。一緒に働く人が、経験から何を学び、どのような価値観を持っているのか。社員がお互いの経験を開示することで人となりを理解でき、心理的安全性につながると考えています。ポイントは「ライブ」であること。アーカイブを残すと、失敗談は語りにくくなってしまいますから。
「+STORYライブ」の実施回数は累計30回以上で、累計視聴者数は2万人に迫ります。開催日時は月1回で定着してきていますし、グループ会社や海外のナショナルスタッフが独自にライブを始めるなど、広がりを見せています。社長が飛び入りでライブにゲスト登壇することもあります。多様な従業員がざっくばらんに自らのストーリーを語ってくれることで「100人100通りの+STORY」という意味合いが浸透し、企業文化の継承・発展にもつながっていると感じています。
対話で自分のストーリーを振り返り、ライブで多様なストーリーを広めているのですね。自分の内面を開示する風土はもともとあったのでしょうか。
当社のビジョンに掲げている通り、昔から「オープン・フェア・クリア」な風土はありました。自身が主体者となり、役割を超えて本質的な課題を考え、周囲を巻きこみながら実行する。これがイノベーションの原動力となるので、約20年間の変革の中で特に大切にしてきたことですね。本質的な課題をきちんと掲げることができれば、誰にでもチャンスが与えられます。
「+STORYサイト」「+STORYチャレンジ制度」「+STORYアカデミー」の内容を教えてください。
「+STORYサイト」は社内イントラネットで、+STORY対談やインタビュー、若手座談会などを掲載しています。ライブと同様に他者の経験から学びや気づきを得てもらうことが目的です。
2021年に追加した「+STORYチャレンジ制度」は、いわゆる社内公募制度です。人事や上司の判断によるジョブローテーションも実施しているのですが、新しい職務に対してやりたいことを明確にした上で挑戦の意思表示できる機会として設けました。希望を叶えるには、なぜこの仕事をしたいのかというストーリーを語れることが必要です。
2022年から始めた「+STORYアカデミー」は、自分の実現したいストーリーに必要な学びを選択し、自律的に学べる仕組みです。現業に直接関係なくても、学びたいことを自由に学べます。オンライン動画サービスを導入しているのですが、登録者は社員の7割を越えています。人気があるテーマはコミュニケーションやDX、マーケティングなどです。
学びの意欲の源泉となる「+STORY挑戦サイクル」
登録者7割は驚異的な数字ですね。なぜ、学ぶ意欲が強いのでしょうか。
一般的には4割程度が平均とのことなので、かなり高い割合のようです。理由としては、真面目で誠実な人が多いことに加えて、「変化を成長のチャンスにしていく」という理念と施策をつなぐ「+STORY挑戦サイクル」で、学びと挑戦が循環する関係であると伝えたことも影響していると思います。
「+STORY挑戦サイクル」とは、【(1)目の前の仕事に正面から向き合い主体者になる】→【(2)本質を捉える】→【(3)挑戦・実行・結果を得る】→【(4)経験を振り返る】→【(5)自分を磨く・能動的に学ぶ】という五つのステージを回していくことで挑戦を促すものです。
そのうち(1)~(3)は、これまで富士フイルムグループが大切にしてきた、暗黙知を言語化したマネジメントサイクル「STPD」で課題形成力を強化することで自然と身についているはずです。【(4)経験を振り返る】を実現する施策として「+STORYシート・対話」、【(5)自分を磨く・能動的に学ぶ】を推進する施策として「+STORYアカデミー」と「+STORYライブ」「+STORYサイト」のインタビュー集を位置付けています。
「STPD」はSee(情報収集し、事実を見て課題を発掘する)―Think(本質を見極めて達成シナリオを策定)―Plan(具体的な実施計画の立案)―Do(断行してやり抜く)という仕事の進め方で、その出発点にオーナーシップがあります。まず自分が主体者となり、何をしたいかという「想い」があって、その上で本質を見極め、課題を設定し、STPDが回っていきます。STPDを身に着け、大きな課題に挑戦していく。そうした仕事の基盤を大事にしていたから、「+STORY挑戦サイクル」も自然に受け入れられたのだと思います。
また、必ず「+STORY対話」の後に「+STORYアカデミー」の申し込みを設定するようにしています。上司との対話によって、自分のこれからプラスしたいストーリーと足りないものが明確になったタイミングで、学ぶ講座を申し込めるようにしていることも効果的なのだと思います。
一人ひとりの強みを生かした育成で世界一の会社を目指して
「+STORY」の取り組みを始めて3年になりますが、どのような変化を感じますか。
毎年実施している従業員への+STORYに関するアンケートでも、仕事の状況だけではなく人となりも見ながら、上司が自分のストーリーを支援してくれていると感じると回答する社員の割合は年々増えていて、会社として大事にしていることが浸透してきていると実感しています。実際、2022年に実施したエンゲージメントサーベイは非常に良好な結果で、特に+STORYのキーワードである「上司との信頼関係」「学び支援」「成長支援」といった項目は基準値を大きく上回る高スコアとなりました。
また、「+STORYシート」で記入している「挑戦」「順調」「停滞」のうち、「挑戦」を選ぶ割合が少しずつ上がってきているほか、「+STORYライブ」は毎回800~1500人が視聴するなど、社内関心度も高まっています。「+STORY」という言葉が定着し、取り組みをポジティブに捉えてくれていることを実感しています。
「+STORY」を進める上で、壁になったことはありますか。
思っていたよりもスムーズに浸透したので、それほど大きな壁を感じたことはないのですが、強いていえばコロナ禍に取り組みを始めたことでしょうか。ただ、その影響でオンライン会議ツールが急速に普及し全員が参加できるオンライン説明会で背景や意図を直接語りかけることができたので、結果的に良かったのかもしれません。
「+STORY」の概念は少し抽象的で、最初はやや戸惑う声もありました。しかし、「+STORYライブ」でさまざまな人が失敗と挑戦のストーリーを語ってくれたことで、だんだん理解が深まっていきました。点ではなく過去と未来をつなぎ、線で物事を見ていくという考え方や、思い描いたストーリーを実現するには自分の努力が必要なのだということを、納得感を持って腹落ちできた影響は大きいと思います。
今後の展開についてお聞かせください。
富士フイルムが変化し続けてこられたのは従業員の力だと実感しているからこそ、従業員の成長が非常に重要だと考えています。一人で自発的に成長する人もいれば、上司のサポートによって成長する人、適材適所で別の部署であれば活躍できる人もいます。富士フイルムには幅広い事業があります。今後も変化し続けるためには、「世界で最も一人ひとりの強みや特徴を生かした育成」ができる会社にしていく」必要があると考えています。
その育成の中心にある「+STORY」では、上司の対話力が欠かせません。いかに気づきを引き出せる対話ができるか、相手の変化に気づけるかなど、「+STORY対話」をより効果的に行うため、対話力強化プログラムを策定する予定です。例えば従業員が視聴する「+STORY説明会」では、オンラインで私と組織開発の専門家の方が対談し、対話の重要性やポイントについて解説しました。
「+STORYライブ」は企業文化の継承と発展のために全社で実施していますが、組織の中や同僚とお互いの+STORYを共有することで、お互いの成長支援や心理的安全性を高められるように「つながるワークショップ」というプログラムも実施しています。
節目のタイミングには2、3ヵ月かけてじっくり今後のストーリーを考えることができるような機会も設けています。
また、「+STORYアカデミー」のコンテンツはラーニングパスをつくりながら、語学など現場で必要とされているコンテンツがあればプラットフォームに追加していく予定です。より自分の目的や動機に基づくリスキルができる文化づくりに取り組んでいきたいですね。
今後は+STORYの考え方をグローバルにどう展開していくか、というテーマに取り組んでいきます。雇用環境や働き方の違いはあっても、学び合い教え合う育成の風土や「100人いれば100通りのストーリーがある」という考え方を「富士フイルムグループらしい企業文化」として広げていきたいですね。
今後も従業員に対して一貫したメッセージを発信することで、従業員一人ひとりが変化を恐れずに挑戦し、「変化を作り出す企業」の実現を目指していきます。
(取材:2023年10月5日)