休暇と複業の両輪で社員の生活価値を拡充する
スープストックトーキョーの働き方“開拓”
株式会社スープストックトーキョー 取締役副社長 兼 人材開発部長
江澤 身和さん
安心、安全でおいしいスープを気軽に食べられると女性を中心に人気を博し、全国に60店舗以上を展開する株式会社スープストックトーキョー。独自の理念やブランド哲学を掲げる同社では「働き方“開拓”」をコンセプトに、2018年4月より新たな休暇制度と複業制度を取り入れました。社員が確実に休暇を取得し、日ごろの業務とは異なるベクトルで自分の可能性を試せることから、離職の低下と採用の改善にもつながっているといいます。まとまった休みを取るのが難しいとされる飲食サービス業で、どのように制度を運用しているのでしょうか。人事制度の策定に携わる取締役副社長 兼 人材開発部長の江澤身和さんにお話をうかがいました。
- 江澤 身和さん
- 株式会社スープストックトーキョー 取締役副社長 兼 人材開発部長
えざわ・みわ/短大卒業後、フリーターを経て2005年にスープストックトーキョーのパートナー(アルバイト)として入社。1年後に社員登用されて複数店舗の店長を歴任し、法人営業グループへ異動。2016年、株式会社スープストックトーキョーの分社に際して取締役兼人材開発部長に着任。現在は取締役副社長 兼 人材開発部長として新たな採用・育成の仕組みづくりに取り組んでいる。
「仕事は好きだけど、続けられない」人の顔を思い浮かべてできた制度
貴社では、正社員を対象に時短勤務制度を導入したり、採用活動では「表現力採用(※)」を実施したりするなど、人事施策にオリジナリティが感じられます。人事施策の設計にあたって、どのようなことを重視されているのでしょうか。
スープストックトーキョーが掲げる理念である「世の中の体温をあげる」が関係しています。社内のどの仕事でも、とても大切にしている考え方です。人事施策をつくるときも、「私たちが体温をあげる相手は誰だろう」と常に考えています。
社内の施策については、組織的な視点で体系を整えるものでは意味がありません。正社員数は255名(2021年4月現在)と全員の顔と名前が一致する組織規模ですから、この人の働きにくさを解消するにはどうしよう、あの人の背中を押してキャリア開発・能力発揮につなげたいと、社員の顔を具体的に思い浮かべながら制度化しています。そのため、社員の何気ないひと声や会話が起点となっている場合がほとんどです。
※絵本の朗読、好きなことのプレゼンなどから、その人らしさに迫る独自の選考手法
施策を通じて、働く人の体温をあげているのですね。2018年4月には独自の働き方改革として「働き方“開拓”」をコンセプトに、生活価値拡充休暇とピボットワーク制度を導入しました。
「働き方“開拓”」とは、組織と個人が主体となって、人生を本質的に豊かにできるような働き方を実践していく取り組みです。経営者側が働き方改革の旗を振るだけではなく、働く人が企業に属することも含めて、自分らしい生き方、働き方を開拓していこうといった思いが込められています。
「働き方“開拓”」は、私の体験が起点となっています。2016年2月にスープストックトーキョーが親会社のスマイルズから分社化するタイミングで営業から人材開発部に異動し、これまで以上に多くの社員と話すようになりました。希望に満ちた新入社員との出会いがある一方で、退職を決めた社員の思いに触れる機会も増えたのです。
社員と語り合う中で引っかかったのが、「仕事は好きだけど、続けられない」という意見でした。理由をたずねると、大きく二つの傾向に分けられました。一つは、体力的な問題です。飲食業は体力を使いますし、シフトに合わせた働き方になるので生活が不規則になりがちです。社員は店舗マネジメントも任されているので、まとまった休みを取りにくい立場でもあります。心身ともにくたびれてしまって、離職を決める社員が少なくありませんでした。
もう一つは、自分の視野を広げたい、違う経験を積みたい、というものです。この声はとくに新卒で入社した社員や、パートナー(アルバイトの店舗スタッフ)から内部登用で社員になった人を中心に聞かれました。この会社のことしか知らないので不安や焦りを感じている、というのです。
当社は20代から30代前半の若い年代が社員のボリュームゾーンです。自分が心からやりたいことが見つかって、ポジティブな形で卒業するのであれば応援するのですが、焦りから離職するのはもったいないと感じました。実際に辞めた人の中には、しばらくして戻って来る人もいました。スープストックトーキョーでは5年以上勤め上げることができたのに、新しい職場ではうまくなじめず、短期間に辞めてしまったという人もいます。
スマイルズグループの中では、「なんでこうなっちゃうの?」という言葉がよく聞かれます。悩みごとや困りごとのボトルネックを探り、どうすれば状況を好転できるかを考える文化です。やる気があって、スープストックトーキョーのことが大好きなのに、辞めるという結論に至る人がいる。この状況に「なんでこうなっちゃうの?」と私自身が感じて、社員が辞めずに自分らしく働き続けられる仕組みをつくろうと考えたのです。
まず、生活価値拡充休暇の導入を決定しました。従来の季節休暇の2倍にあたる12日間の休暇を、公休や有給休暇とは別に設けたのです。併せて、公休も1ヵ月あたり1日増やして9日にし、合計で年間120日間の休日・休暇を確保しました(※)。導入前と比べて、年間で18日間休みが増えた計算になります。
休日を確保するのは、飲食店はまとまった休みが取れないので体力的につらく、旅行など自分のプライベートの時間を思うように確保することができないといった業界の固定観念を、スープストックトーキョーから変えていきたいという決意の表れでもあります。デスクワークではないのでテレワークの導入はさすがに難しいのですが、時間や体の使い方を仕組みで変えられることはあるはずだと考えました。
※2021年8月より、生活価値拡充休暇12日のうち5日を年次有給休暇の法定外として上乗せ。取得促進する休暇の12日の内訳を、生活価値拡充休暇7日+取得義務有給5日に変更している。
会社に軸足を置きながら自分の可能性を試せるピボットワーク制度
「生活価値拡充休暇」という名前が印象的です。
スマイルズグループでは、「生活価値の拡充」という言葉を大切にしています。休日は単に体を休めたり、たまった家事をこなしたりするためだけのものではありません。時には旅行をしたり自己研鑽を積んだりと、非日常の空間で仕事の現場では得られない経験をしてほしい。
いい仕事をするには、メリハリをつけて自分の時間をしっかりと確保することが欠かせません。休日を増やすにあたり、単にそれだけで従業員の生活価値は拡充するのかという疑問が浮かんだのです。
新卒で入って来る社員をはじめ、当社のメンバーにはフットワークが軽く、好奇心旺盛な人がたくさんいます。会社に所属していることを理由に外の世界へとの接触をセーブしているのであれば、それは違うなと感じました。オフタイムを利用して、ふだんの仕事とは違う形で自分の可能性を試したい、特技を生かしたい、という人も活動できる余白をつくっておくことが必要だと感じました。
そこで生活価値拡充休暇とともに、ピボットワーク制度を導入することにしました。スープストックトーキョーに軸足を置きながら、複業ができる働き方です。バスケットボールで軸足を固定してもう片足は自由に動かす動作になぞらえて名付けています。
ピボットワーク制度はあくまでも、増えた休日を有意義なものにする手段の一つで、利用は任意です。休暇をどのように使うかは社員の自由です。学びの時間に当ててもいいですし、新型コロナウイルス感染症の流行で今は難しいですが海外旅行に行くのでも構いません。
ピボットワーク制度には、会社を辞めなくても他の仕事や違う環境にチャレンジできる利点があります。仮に最後は転職することになっても、自分に適しているのか、本当にやりたいことなのかを試したうえで判断できます。
制度をつくる以前は、会社を去っていく社員を見ながら、辞めないと他のことを始められないことに違和感を持っていました。「働き方“開拓”」として生活価値拡充休暇とピボットワーク制度をセットで導入しようと考えたとき、ポジティブな形で利用してくれるメンバーの顔が何人も浮かんだので、きっとうまくいくと思いました。
複業というと、手に職をつけた限られた人ができるイメージを持つ方も多いと思います。社員の皆さんはどのような形でピボットワーク制度を利用しているのですか。
大きく三つのパターンに分けられます。一つ目は社外での複業です。たとえば、イラストレーターやダンスの振付師。洋服を自作してECサイトで販売したり、マルシェなどのイベントにフードワゴンを出したりしている人もいます。
大手のコーヒーチェーンやデリバリードライバーのアルバイトをしている人もいますが、どちらもスープストックトーキョーでの接客やサービスに生かしたいという思いから始めたそうです。
二つ目のパターンは、グループ内複業です。スマイルズグループが運営する店舗やブランドでは、行楽シーズンに屋外で臨時出店したり、独自にイベントを開催したりと、一時的に人手が必要となることがあります。そうした際に、アルバイトスタッフとして参加するケースです。また、社内報やオウンドメディアの記事執筆業務をお願いすることもあります。
三つ目のパターンは報酬が発生しないのですが、店舗の社員が本部のサポートセンターで店舗以外の業務を体験する、「仕事旅行」という制度があります。これまで積極的に発信していなかったこともあり、利用する社員がいなかったのですが、最近になって実はニーズがあることに気づきました。店舗の社員と話していたときに、「自分の時間を使って、本部の仕事を見ることができたらいいのに」と言われたんです。ぜひ活用してほしいですね。
会社側から、社員の視野を広げるきっかけを提供しているのですね。
ピボットワーク制度を導入したことで、見えてきたこともたくさんあります。実際に制度を使ってみた社員もいれば、複業に興味はあるけれど、どうやって一歩を踏み出せばいいかわからないという社員もいます。いろいろな声がある中で、どうしたら支援できるかは常に悩みどころです。
ここ1年ほどはコロナ禍で店舗が休業したり営業時間を短縮したりすることがあったため、店舗勤務の社員がサポートセンターにヘルプに入るケースもありました。たとえば、月初や月末に発生する店舗管理の書類の仕分けや、百貨店用のギフトセットの準備などを手伝ってもらっていました。
店舗社員の所定労働時間数を確保する側面で実施したものですが、バックエンドの仕事に触れたことでの気づきもあり、貴重な経験になっているようです。今後は「仕事旅行」も現場の社員にアピールしていこうと、検討しているところです。
休日消化をバックアップする仕組みで定着と採用に効果も
休日数は増えたけれど消化しきれない、ということはないのでしょうか。
制度を導入する際に、休日を取得するうえでのハードルや、起こりうる影響をあらかじめ検討しました。店舗の社員や営業マネジャーにもヒアリングを実施して、有給休暇を消化しきれない理由をたずねたところ、「まとめて休んだときに、店を任せられる人がいない」いう声が圧倒的でした。
店舗運営では、日々イレギュラーなことが起こります。店舗間の連携や突発的なアクシデントなど、社員でなければ対応できないことが多く、店を離れることに不安を感じていたんです。
休日を増やすと、その分だけパートナーの人数も増やす必要がありますから、採用やトレーニングを強化しなければなりません。しかし店舗や地域によっては、採用活動やトレーニングがうまくいかないところが必ず出てきます。そのために休日消化に関して店舗間で格差が生まれるのは問題ですし、休日が増えることで社員の仕事や負荷が増えたのであれば本末転倒です。
どうすれば安心して休みを取れるようになるか、ヒアリングを通じて出てきた答えが「社員がヘルプに入る」ということでした。そこでどこの店舗にも所属していない、ヘルプ専任の社員が集まる「拡充隊」というチームを結成しました。
店舗の社員が休暇を取るときは、拡充隊のメンバーが店舗に入ってマネジメント業務などを代行します。今は新型コロナの影響で少し落ち着いていますが、拡充隊は一年中いろいろなエリアの店舗を回っています。
現場を知る社員が代わりに入るのは、心強いですね。
拡充隊のメンバーは定期的に集まって、ヘルプに入って気づいたことなどを共有し合っています。店舗によって対応に違いが異なる部分を洗い出し、全店で見直したほうがいい部分はオペレーションの改善やツールの統一などにつなげています。
たとえば、拡充隊主導で店舗ごとの入館フロー一覧がつくられました。多くの店舗は駅ビルや商業ビルにテナントとして入っていますが、初めてヘルプに入る人には入館時の手続きやバックヤードのルールがわかりにくい場合があります。入館フロー一覧があれば、店舗のスタッフが入口まで迎えに行くことなく、初めてのヘルプでも一人で入館できるので、役立っています。
「働き方“開拓”」を始めてから、どのような効果が見られましたか。
一つは離職率の低下です。制度を導入する前の2017年の時点では、年間の離職率は23%でした。それが翌年には12.8%と、半分近くにまで低下しました。分社化の際に契約社員制度を廃止して正社員化するなど、今回の取り組み以前にも雇用環境を整えてきた側面もあります。ただ、かつては年間40人ほど離職していたのが、制度導入後は20人前後まで減少しました。
採用でもさまざまな面で効果が出ています。一つは採用コストの削減です。年によって採用方針や採用人数が異なるので単純比較はできないのですが、採用する人数に対して、媒体への出稿費用が減ったのは確かです。働き方改革が法制化する直前のタイミングで今回の制度を導入したことで、当社に注目が集まりました。その結果、以前はスープストックトーキョーのファンが応募するケースがほとんどだったのですが、これまでリーチできていなかった層からの応募も大幅に増えました。
また、パートナーから社員への内部登用も増えました。人材開発部が積極的に声をかけていた時期もあるので、これも一概には比較できませんが、毎年5人前後だったのが2019年には12人まで増えました。
内部登用で入社したメンバーからは、社員が働く姿を間近で見て、自分もこうなりたいと思ったという話をよく聞きます。店舗の社員もパートナーに会社や制度のことを話したり、内部登用を紹介したりしているようです。
社員の皆さんが、働く場として自信を持って薦めていらっしゃるのですね。
現場からは家族との時間が増えた、堂々と旅行に行けるようになった、他の店舗や拡充隊にヘルプを頼みやすくなった、という声が上がるようになりました。また年に一度、従業員満足度を調査しているのですが、飲食店での勤務経験がある中途社員から「休みをとることを会社が推奨していて、前職と比べてしっかりと休めるのが嬉しい」「休日を確実に消化できるように、対策をセットで提示しているので助かる」といった評価が増えています。
制度の運用にあたっては、店舗のスタッフに生活価値拡充休暇の年間取得計画を立ててもらっています。拡充隊の稼働スケジュールを明確にするのと、人手が不足するタイミングを店舗で把握し、近隣の店舗も含めて社員同士で調整しやすくするためです。
シフト制の現場では、仕事の状況がギリギリまでわからなくて、休みやプライベートを犠牲にしがちですが、自分の代わりに社員が来るとわかっていれば、安心して休みに入れます。旅行を早めに計画すれば航空券を安価で手に入れることができるなど、メリットも多いですね。
ピボットワーク制度で個の多様性を尊重し、持ち味を発揮できる組織に
ピボットワーク制度を活用した社員には、どのような変化がありましたか。
複業でイラストを描いていて、店舗勤務からサポートセンターの企画開発部に異動した社員がいます。表現力採用でも自作のイラストを披露していたのですが、当初は社内でも「絵を描くのが好きな人」という認識でした。
本人も本格的に勉強していたわけではないので、自分の描いた絵がどのくらい通用するのかわからなかったのだと思います。しかし、複業として外部から依頼を受けたり、作品をSNSで発表したりするようになり、社内でも能力を発揮してほしいと異動につながりました。ピボットワーク制度がなければ、実現しなかった人事異動です。
またピボットワーク制度を利用して、憧れていたバーテンダーの職に就いた元社員もいます。スープストックトーキョーで働きながら、スマイルズが運営するお酒を出す店舗や地元のバーでのアルバイトを1年半ほど続けて経験を積んだのです。最終的に当社を辞めることになりましたが、今もお酒の世界で頑張っていて、カクテルの世界大会にもチャレンジしています。
彼女は複業を始めた当初、バーテンダーが本当にやりたいことなのか、自分に向いているのか半信半疑だったそうです。ピボットワーク制度があったから、新しいことにチャレンジし、次のステップに進めると確信したと話していました。
離職だけを見ると会社にとっては残念なことなのですが、当社には「バーチャル社員証」というアルムナイ制度があります。会社を辞めてもスープストックトーキョーの試食会に参加したり、一緒に仕事したりする機会があります。外部で存分に活躍しているのなら、悲観的になる必要はないと捉えています。
まさに自分自身で働き方を“開拓”されたのですね。ピボットワーク制度の取り組みに関して、今後何か計画されていることはありますか。
「働き方“開拓”」を導入して4年目に入りました。これから入社する人たちは、生活価値拡充休暇やピボットワーク制度のねらいを理解し、共感したうえで仕事に臨むはずです。当社に集まる社員は、一人ひとりが個性的で、いろいろな考えを持っています。「働き方“開拓”」に限った話ではありませんが、個の多様性を尊重し、それぞれの持ち味を磨いて発揮できる組織になることが目標です。
現行のピボットワーク制度はあくまで個人のレベルで外部とつながりを持つ、経験を蓄えるというレベルに留まっているので、さらに発展させていきたいですね。たとえば、自社とつながりのある異業種の会社と交換留職をする、あるいはスープの製造や流通で取引のあるパートナー企業と協力し、バックヤード体験を企画するなど。
ピボットワーク制度は、やりたいことが明確な人だけが使う制度ではありません。会社からきっかけを提供することで、多くの人に主体的な働き方や生き方を実現してほしいと考えています。
(取材日:2021年8月3日)