田中潤の「酒場学習論」【第34回】
三鷹「ひねもす」とカタカナ人事言葉
株式会社Jストリーム 執行役員 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
今回ご紹介する酒場「ひねもす」は三鷹にあります。三鷹駅は北口と南口で行政区域が違い、南口は三鷹市ですが、北口は武蔵野市です。「ひねもす」はその武蔵野市側で、北口から少しだけ歩いた線路沿いにあります。外観からして、ここはいい酒場に違いないという雰囲気を醸し出しており、のれんに縦書きで書かれた「ひねもす」の優しい文字が店内の雰囲気を約束させます。「ひねもす」という、ゆったりとしたひらがな文字の店名からイメージできるとおり、ゆったりとした気分で燗酒と美味しいアテをいただける素敵な酒場なのです。
「ひねもす」という4文字をあらためて眺めてみると、いずれもゆるやかな曲線だけで構成されています。日常のビジネスの場では、エッジだらけのスクエアな世界で生きている私たちにとって、角のないゆるやかな空気感の酒場で呑む瞬間こそ、まさに最高の酒場浴の時間です。調理場をあずかる大将と、お燗番の女将の二人がこの空気感をつくりあげています。
そんな酒場で推奨されるお酒は、もちろん燗酒。ここには私の好きな酒か大好きな酒しか置かれていないので、お邪魔するときはいつも何も考えずにお任せで呑ませていただきます。温度の異なる燗付器を2台そろえ、銘柄にあったつけ方でお酒をいただけます。燗をつけるというのは一種の調理なのです。
料理は全員に6品ほどの「お決まり」が出てきます。「コース」というカタカナ言葉を使わずに「お決まり」というのがいいですね。食べ切ってもまだ食べたいという人向けのアラカルトメニューも用意されています。遅い時間にお邪魔すると、品数を減らした「2軒目のお決まり」なるものも提供してくれるあたり、酒呑みの気持ちをよくとらえています。BGMは落語が小さめの音量で流れます。いかがでしょうか、「ひねもす」の空気感をイメージできますでしょうか。
お正月にはおでん営業をされます。酒場中をだしの香りが満たす中、数々の趣向を凝らしたおでんをいただきながら燗酒を呑むのがこの酒場の正月です。ありがたいことに、今年もこの空間に身を置くことができました。ゆるい空気感の中でのんびりといただきます。すべてに角がない、ひらがなの世界です。与謝蕪村の句「春の海ひねもすのたりのたりかな」にあるとおり、「のたりのたり」といった気分で良い時間を過ごせる酒場なのです。
これに対して、企業人事の世界はカタカナに満ち溢れています。必要以上にカタカナ人事言葉が飛び交ってはいませんか。私は以前から、カタカナ人事言葉の代表格ともいえる「マネジメント」「リーダーシップ」「モチベーション」の三つを、人事界の3大思考停止ワードだと思っています。
これらの和製英語は使う人によって微妙にニュアンスが異なり、論点をなかなか一致させにくいにもかかわらず、実に安易に使われています。そして、「あー、それはマネジメントの問題だね」とか、「彼にはリーダーシップがないからね」とか、「この職場はモチベーションが低いからね」などと、したり顔でいう人たちが少なくありません。指摘しているだけで何ら解決につながらないのがこの三つの言葉です。なんとなく指摘して、終わりにしてしまうことができてしまうのです。思考停止です。
「彼にはリーダーシップがないからね」と決めつける人に対しては、「あなたのいうリーダーシップとは、具体的にどういう行動を指すのですか」「彼には何が具体的に欠けていると判断してそう指摘するのですか」という素朴な問を投げかけなければいけません。なんとなくわかったという感じにさせる3大思考停止ワードに頼っていては、真の解決には絶対に近づきません。カタカナ人事言葉には、全体的にこんな傾向があるように思います。
他のカタカナ人事言葉としては、例えば「リスキリング」もバスワードになりました。でも、別に「学び直し」でもいいわけです。個人的には「スキル」ではなく、「学び」に焦点を当てて「Re」をした方が、本質に近づくのではないかという気もします。スキルという成果を追っかけるのはしんどいものです。学びというプロセスに焦点を当てこそ、人は成長するのではないでしょうか。でも、「リスキリング」と言った方が、「そうそう、大切だよね、リスキリング」といった感じで、何となくわかった感じになってしまうのが、カタカナ人事言葉の魔力です。自分は流行を先取りしてちゃんと理解しているよ、というメッセージすら伝わってきます。
だからといって、ひらがなにこだわって、「たおやかな評価制度」を設計しようとか、「いとおしい組織開発」を進めようという気はありませんが、カタカナ人事言葉にまみれた日常を時に見直してみてもいいのではないでしょうか。
ひらがなに溢れた名酒場「ひねもす」ですが、実はカタカナの名物料理が一つあります。それは「ハギス」です。ハギスは羊の内臓肉を主体としたスコットランドの郷土料理ですが、これがこの上なく燗酒と合うのです。以前スコットランドを旅したときに、とても気に入った食べ物でした。多くのイングランド人がこの食べ物を馬鹿にしていたのも印象的でした。先日お邪魔したときは、なんとカウンターで呑んでいるすべての人が最後にはこのハギスをオーダーしていました。毎日はメニューにないようですが、燗酒が好きな方なら、ぜひ「ひねもす」で燗酒をハギスと合わせてみてください。本当に最高の組み合わせです。その瞬間には、ひらがなとカタカナを見事に融合させた世界を心から楽しむことができます。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 執行役員管理本部人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。