指揮者に見る、「組織・人材」マネジメント力
読売日本交響楽団 正指揮者
下野 竜也さん
オーケストラの指揮者は、大勢の演奏者をまとめて、一つの音楽を創り上げていきます。ビジネスの世界に当てはめるなら、オーケストラは「企業」、演奏者は「社員」。指揮者は、メンバーを率いていくリーダーやマネジャーと例えることができるでしょう。さまざまな個性を持つ人材をどのようにまとめ成果を出していくのか、人の上に立つ者としてどうあるべきか――。読売日本交響楽団の「正指揮者」として活躍する下野竜也さんに、ビジネスの現場で役立つお話を伺うことができました。
しもの・たつや●1969年鹿児島生まれ。鹿児島大学教育学部音楽科を経て、99年4月の大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会でデビューを飾る。2006年11月、読売日本交響楽団初の「正指揮者」に就任。現在、最も将来を期待されている若手指揮者の一人である。2002年出光音楽賞、渡邉曉雄音楽基金音楽賞、06年第17回新日鉄音楽賞・フレッシュアーティスト賞受賞。07年には第6回齋藤秀雄メモリアル基金賞を受賞した。2008年3月に読響とのライヴCD「バッハ/齋藤秀雄:シャコンヌ、コリリアーノ:交響曲第1番」(エイベックス・クラシック)がリリースされている。
指揮者になった「きっかけ」は、ベートーヴェンの第九
下野さんは、音楽大学ではなく鹿児島大学を卒業されています。最初から、指揮者になろうとは考えていなかったのですか。
そうなんですよ。ただ小さな頃から音楽が好きで、ジュニア・オーケストラや部活動の吹奏楽部でトランペットを吹いていました。学年が進むにつれて、楽団をまとめて一つの音楽を創っていくこと、つまり「指揮」をすることがとても楽しくなってきたんです。ですが、幼少時から音楽の「英才教育」を受けていたわけではなかったので、プロの音楽家になろうとは全く考えていませんでした。
それが高校3年生の時、ベートーヴェンの「第九」を聴き、音楽の持つ素晴らしさに心底感激しました。漠然とですが将来、音楽に関わる職業に就ければいいなと思うようになりました。ただ、年齢的に考えてこれから音楽大学を受験するのは難しいだろうと。そこで、地元の鹿児島大学の教育学部音楽科に進み、音楽教師になろうと考えたわけです。
大学ではオーケストラに所属し、東京から来た指導者に指揮を学びました。卒業が近くなった時、教員になろうかどうか本当に迷いましたが、やはり自分には音楽しかないと思いました。指導者の方に相談したら、それなら東京に出て、正式に音楽や指揮のことを勉強したほうがいいと言われ、桐朋学園大学の指揮教室で学ぶことにしました。
「強い思い」が大切だということでしょうか。しかし、プロの音楽家としては、相当遅いスタートですね。
楽器演奏者だと難しいかもしれませんが、指揮者では遅いスタートの人も結構いますよ。私の場合は、ここからがプロになるための本当のスタートだという思いで、身が引き締まりました。その後は、イタリアのキジアーナ音楽院でオーケストラ指揮のディプロマを取得し、大阪フィルハーモニー交響楽団指揮研究員として、朝比奈隆先生から指導を受けました。思えば、指揮者としてのデビューも大阪フィルハーモニーでした。
「正指揮者」として求められることとは?
ブザンソンなど有名な指揮者コンクールで優勝し、広く海外でも活躍されるようになったところ、読売日本交響楽団(以下、読響)から「正指揮者」の依頼がきました。
正指揮者という仕事は、分かりやすく言えば「座付き」の指揮者ということ。単に指揮をするだけではなく、年間を通していかにバラエティに富んだプログラムにするかなど、事務局や楽団員たちと意見交換を行い、一緒に企画を考えます。何より、オーケストラとしての読響をいかに魅力あるものにしていくか。それが、客演で招かれる指揮者とは違う部分です。
事実、読響にはさまざまな指揮者が関わっています。また、日ごとに多彩なゲストが加わります。そして、会場に足を運んでくれるお客さまからの大きな期待があります。それにきちんと応えられるだけの「キャパシティの大きな組織」にしていくことが、正指揮者には求められると考えています。
まさに、企業のリーダーやマネジャーに求められている部分と重なるように思います。そもそも、指揮者の役割とは何なのでしょうか。
指揮者は、楽団員に自らの意図を伝えて、共同作業で音楽を創り上げていきます。まずは、演奏する曲に対する自分なりの解釈を理解・共感してもらうことが必要です。そのために、言葉だけではなく身体全体を使ってコミュニケーションを図っていきます。本番までにオーケストラを掌握し、彼らの演奏意欲を湧き立たせ、いかに演奏意図を徹底させていくか、ここに相当なエネルギーを費やします。
ただし、オーケストラは「道具」ではありません。意思や感情を持った人間の集まりなのです。何より、それぞれがプロの演奏家です。プライドがあります。当然、作品に対する思いや自分なりの意見もあるでしょう。そして、読響に関して言えば、いわゆる「巨匠」と呼ばれる指揮者との共演も多く、そこから学んだ「引き出し」も非常に多いことで知られています。
一方、指揮者のキャリアからすれば、私はまだまだ若手の部類でしょう。そうした読響と私との関係性の中で、いかに音楽の方向性を一致させ、より素晴らしい演奏を創り上げていくか。ここが難しくもあり、指揮者としての最高の楽しみでもあります。
オーケストラにおける「マネジメント」のあり方
では、オーケストラの楽団員と音楽を創り上げていく時に、何か心がけていることはありますか。
まず、楽団員とのコミュニケーションをいかに円滑に図っていくか、ということです。その結果としての「信頼関係」の存在。これがなくては、良い演奏はできません。信頼関係を確実なものにするためには、客演で呼ばれた場合と正指揮者とで、やるべきことに大きな違いはありません。ただ、要するコミュニケーションコストはかなり違ってきますね。
私の場合、読響では正指揮者という立場ですから、自然と楽団員と一緒に過ごす時間も長くなります。当然ですが、楽団員の担当する楽器と顔や名前はすべて覚えています。練習場では同じ釜の飯を食べることにもなりますから、彼らの性格や考え方なども分かってきます。お互いに親しみを感じ、気心が知れてくると、オープンに言いたいことが言えるようになってきます。そうすると、リハーサルでの私の意図も伝わりやすくなり、私が何か要求する際にも反応が素早くなります。
ただし、100%言葉で表現できないものが「音楽」です。自分のイメージを的確に伝えるためには、むしろ言葉を使わないほうがいい時があるのです。実際、言葉だけに頼りすぎるとお互い疲れてしまう。言葉が過ぎると、反発されることもあります。だから、指揮棒を使い、全身で表現します。
ただし、「方針」や「方向性」については明確に言葉で伝えることが必要です。もちろん言い方の問題はあると思いますが、これは譲ってはいけない部分です。
指揮者に限りませんが、組織をまとめる立場にある人は、身体はもちろん、心や雰囲気で伝えるものと言葉で伝えるもの、これらのバランス感覚が非常に大切になってくると思います。
また、指揮者と楽団員の関係でいうと、あるオーケストラではうまくいった方法が、別のオーケストラでもうまくいくとは限りません。このあたりは、現場で1回1回学んだ経験がより重要となってきます。
なるほど。風土や社風というのは、組織によって違いますからね。「このやり方がベスト」というものはなかなかありません。
その点で、「巨匠」と呼ばれる方たちは、圧倒的な存在感で多くのことを理解させ、伝えることができるので羨ましい限りです(笑)
さまざまなジャンルのオピニオンリーダーが続々登場。それぞれの観点から、人事・人材開発に関する最新の知見をお話しいただきます。