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“九×九”の小宇宙に魅せられて
壁を突破し、自己を変革し続けるトップ棋士の勝負哲学とは(後編)[前編を読む]

将棋棋士

森内俊之さん

四十歳を過ぎてなお、自分の中に伸びしろを実感

将棋もビジネスも同じ人間のやることですから、苦手や失敗はつきもの、完全無欠はあり得ません。だからこそ「大切なのは1回目のミスを許容する余裕」だと、森内さんは著書の中でおっしゃっていますね。

以前はあからさまなミスをすると、なぜそんなミスをしたのかを対局中に考えてしまい、さらにミスを重ねて傷口を広げていました。先ほども言ったように、若い頃の私は完璧主義者でしたから、自分の一度のミスも許容できず、動揺を引きずっていたんです。反省は対局が終わってからでいい、大切なのは最初のミスを許せる余裕だということが、身にしみて分かるようになったのは、ミスがミスを呼ぶような痛い目に何度もあってからですね。今はミスをしたと思ったら、ちょっと席を外したり、飲み物を飲んだり、気分転換を図って仕切り直しをするように習慣づけています。

そういう切り替えがうまくできない人やミスを怖れて一歩を踏み出せない人が、ビジネスパーソンには少なくありません。何かアドバイスをいただけませんか。

私たちは個人競技なので、ミスをしても、自分以外の誰かに責められたり、怒られたりするわけではありません。その点、組織や対人関係が伴うビジネスの世界は難しいでしょう。私は、自分が考えたり悩んだりして解決に近づけることであれば、なるべくそうするようにしていますが、一方で他人がどう思うか、相手がどう行動するかといったことは、自分では分からないし、どうすることもできないので、将棋に限らず、他者の評価や反応については考え過ぎないようにしています。

ビジネスパーソンの皆さんがミスを上司に責められるのとは違うかもしれませんが、将棋で棋士がミスをしたとき、それを許さない“他者”がいるとすれば、唯一、対局の相手でしょう。ただ、相手が自分のミスをどうとがめるかは相手次第なので、あれこれ思い煩っても仕方がありません。ミスが出る前から考え過ぎて、気持ちを乱さないように、実際に相手が動いた段階で、対応していくしかないんです。またミスが出ても、自ら傷を深めないようにすることが大切なんです。私の経験から言うと、そもそもプロ同士の戦いにおいて、一回ミスをしただけで最悪の局面に陥ることなどまずあり得ない。ちょっと悪くなる程度ですから、微差であればどう転ぶか分かりません。

森内さんが初めてタイトルを獲得したのは、初挑戦の名人戦から6年後でした。その間、タイトルに届かなかった逆境の時期をどんな思いで過ごされましたか。

森内俊之さん(将棋棋士)

同年代の仲間が次々に栄冠を勝ち取るのを見ると正直焦りはありました。しかし、プロ棋士は全体で約160人いますが、その中でタイトル戦という檜舞台に立てるのはごく限られた強者だけ。そこまで到達できること自体が、棋士としての大きな成功なんです。その意味では自分は恵まれているという思いもあったので、当時も逆境だとはあまり思いませんでした。それよりも棋士として第一線で活躍できる時間は限られているので、少しでも工夫して前進していきたいと思っていました。

1年間で七つのタイトル戦が行われるので、目指す意欲さえあれば、挑戦のチャンスは次から次へとやってきます。負けたら負けたで、心・技・体を整え直して、また次の戦いに向かうだけ。周囲は「逆境」「雌伏(しふく)の時」といいますが、私自身にそういう意識はなく、将棋に向き合えていたように思います。それは今も変わりません。昨年、幸運にも竜王の座に返り咲くことができましたが、やはりこのタイトルにしても、自分の実力で勝ち取ったというより、今はたまたま私がお預かりしているというような感覚が強いんです。

「たまたま」ですか。

タイトルというものは、実力だけではなかなか獲れません。タイトル戦のような大舞台で力の拮抗(きっこう)した者同士が戦った場合、あとで振り返ると、どうして自分が勝てたのか、不思議に思うことが少なくありませんが、それはやはり“運”に恵まれたのだと思います。負ける時はいつも理由があります。基本的には実力で劣るから負けるんです。でも、勝ちには理由の分からない勝ちもある。プロ野球の元楽天監督の野村克也さんが「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とよくおっしゃいますよね。僭越ながら勝負の本質をとらえた、まさに至言だと思います。

竜王位をかけた防衛戦も間近に控えていらっしゃいます(2014年10月16日~)。最後に今後に向けての抱負をお願いします。

将棋界最高のタイトルの一つをお預かりし、この地位で将棋を指しているわけですから、時間を無駄にせず、一局一局を大切に指していきたいですね。そのためには何よりもコンディションの調整がカギになります。年齢とともに、考える体力に衰えが目立ってきました。その分、体調面を万全に整えなければ、長丁場のタイトル戦を戦い抜くことはとてもできません。一方で、記憶力や集中力は衰えつつあるものの、経験に培われた判断力や大局観はむしろ伸びているように感じています。あれほど考え続けることを得意としていた私が、最近はあまり考えなくても正しい手が見えるようになってきました。四十歳を過ぎてなお、自分の中にまだまだ、棋士としての伸びしろや、成長の余地があることを実感しています。だからこそ、もっと精進しなければ。

最近は将棋界も、ビジネスの世界と同様、変革期を迎えていると言われます。例えばコンピューターが強くなって、ついにトップ棋士を負かすかどうかというところまでレベルアップしてきました。もしコンピューターが人間を完全に超えてしまったら、人間は何のために将棋を指すのか、私たち棋士の存在意義が問われかねません。しかし将棋という競技の持つ魅力や可能性はもっと奥深いものだと、私は確信しています。それを少しでも多くの人に知ってもらいたいし、そのためにできることがあれば惜しまずやっていきたい。私を育ててくれた将棋と将棋界に恩返しがしたいと思っています。

森内俊之さん(将棋棋士)

(取材は2014年9月10日、東京・渋谷区の東京将棋会館にて)

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「人事辞典「HRペディア」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。

森内俊之さん: “九×九”の小宇宙に魅せられて 壁を突破し、自己を変革し続けるトップ棋士の勝負哲学とは(前編)
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