マルハニチロが実践する人事制度の大改革
一人ひとりが能力を発揮し、事業の垣根を越えて挑戦する組織へ
マルハニチロ株式会社 人事担当執行役員
若松 功さん
「世界においしいしあわせを」をキャッチフレーズに掲げ、水産ビジネスを中心に食のグローバルカンパニーとして幅広い事業を展開する、マルハニチロ株式会社。いずれも創業100年以上の歴史をもつマルハとニチロの2社が、2007年に統合して設立されました。合併後は旧マルハと旧ニチロの足並みをそろえることに注力し、2022年4月に人事制度を大幅に刷新。人材育成に主眼を置き、給与体系・評価制度などを見直しました。当時、人事部長として新人事制度の導入をリードした、現・執行役員の若松功さんは「伝統ある産業の伝統ある会社だからこそ、時代の変化に合わせて変わっていかなければならなかった」と語ります。若松さんに、新人事制度を導入した背景や具体的な取り組み、運用開始から1年を経た成果などをうかがいました。
- 若松 功さん
- マルハニチロ株式会社 人事担当執行役員
わかまつ・いさお/1985年、新卒で大洋漁業株式会社に入社。人事課に配属され採用を担当。1988年に水産部福岡鮮魚課に異動し、買参人としてセリに出て鮮魚の買付販売を4年。その後関東支社にて業務用冷凍食品を販売。1994年から労働組合へ10年間出向。2004年から経営企画部へ。2007年株式会社ニチロと経営統合。2010年より人事部で労務に従事し、2016年から人事部長。2023年4月より現職。
企業と個人の持続可能な成長を目指し、ライン管理職と若手社員の育成を強化
新人事制度導入の背景と目的をお聞かせください。
「企業は何よりも人にある」という社訓のもと、今後さらにピープルマネジメントに力を入れるため、新制度を導入しました。特に重点的に取り組んだのは、ライン管理職と若手社員の育成です。
マルハニチロは、2007年10月にマルハとニチロが統合して生まれた会社です。それぞれ100年以上の歴史があり、合併当初は異なる人事制度をどのように統合していくかが大きな課題でした。まずは実務上で影響範囲の大きい旅費規定などを定め、2014年4月にようやくマルハニチロとして初めて統合された人事制度を構築。ただ、もともと別の会社にいた社員同士の混乱を避けるため、思い切った見直しや改定などは行ないませんでした。主な目的は、旧マルハと旧ニチロの歩調を合わせることだったんです。
合併により事業展開に大きな広がりが生まれる一方で、激しい市場環境の変化やコロナ禍による経済停滞、原材料価格の高騰など、さまざまな困難も経験しました。社員一人ひとりが目の前の業務に真剣に向かってきたことで、会社は堅調に成長を続けてきましたが、中長期的なマルハニチロのありたい姿、組織像を明確に描きづらくなっていた面もありました。ビジネス環境が目まぐるしく変化する現在、企業としての成長だけでなく、社会的価値も高めていかなくてはなりません。
そこで大切なのは、事業を動かす社員一人ひとりをしっかりと育成すること、また、人材に投資することだと考え、ピープルマネジメントの強化を狙いとして、新人事制度の構想が立ち上がったのです。統合による影響が落ち着いたタイミングで、新人事制度の導入に向けた検討や準備を進めました。
新人事制度で定めた六つのポリシーと、挑戦を歓迎する制度への見直し
新人事制度の内容について、詳しくお聞かせください。
新たな人事制度の構築にあたって、まず六つのポリシーを定め、それぞれにひもづく具体的な制度や運用方法を策定しました。
(1)管理職の力量アップ
会社の未来を担う若手社員の育成に力を入れたいと考えていました。そのためには現場で人材育成ができる人材を育てる必要があります。そこで、ライン管理職の成長を支援することに注力しました。
まずは、管理職の役割定義・要件を見直しました。評価と連動させて各役割を設定し、「自組織の目標達成と価値拡大」「部下の成長支援」を軸として明示。ライン管理職のマネジメントスキル向上を狙いとして、360度評価を導入し、ライン管理職研修を実施しました。
(2)エンゲージメントの高い組織へ
会社と社員が良好な関係性を築き、相互の成長をリンクさせていきたいという思いから、エンゲージメントサーベイを実施しています。また、上司と部下による定期的な1on1ミーティングを全社的に導入しました。
(3)イノベーションあふれる組織へ
マルハニチロでは、水産・加工食品・畜産・ファインケミカルとさまざまな事業を展開しています。これまでは事業部内の結束は強い一方、組織が縦割りになっていて、なかなか事業部の垣根を越えた取り組みが生まれないことが課題でした。そこで、既存事業部間の交流やコラボレーションを促進する目的で、部署の垣根を超えて人材を募る社内公募と、自ら希望部署に異動を願い出る「FA(フリーエージェント)制度」を導入しました。
FA制度は、入社10年未満で、同一部署に5年以上在籍している社員が対象です。対象者が異動希望を出した場合、本人の意向が最優先され、所属長は拒否できないというルールを定めました。組織内での囲い込みによって、キャリアの可能性が閉ざされることを防ぎたかったからです。
さらに、業績やプロセス、能力発揮への評価だけでなく、チャレンジに対して加点評価する「チャレンジ評価制度」も新たに取り入れました。また、新入社員および2年目社員に対しては、異なる部署に所属していて年齢の近い先輩社員がサポートする「メンター制度」も導入。上司によるマネジメントや部署内の先輩社員によるOJTなど、業務面での育成以外に、対象社員のメンタル面も支える仕組みを整えました。
(4)実力や貢献に応じた処遇
実力や貢献がより公正に評価・処遇に反映される仕組みの構築を目指し、給与体系を刷新しました。これまで別々だった、転居をともなう異動がある総合職と、勤務地が特定のエリア内に限定されるエリア職の賃金テーブルを一本化。総合職には全国加算給と称した手当を追加で付与し、エリア職は管理職まで昇格昇給できる仕組みに変更しました。
昇給額と評価の段階を示す等級は、6段階から3段階へ変更し、サブ等級を設けて「飛び級」ができるようにしました。旧人事制度では、各等級に対して最低滞留年数を設けていましたが、これを撤廃することによって、早期の昇進が可能になり、評価の高い若手社員を積極的に抜てきできるようになりました。
(5)D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の実現
これからの企業活動には、企業価値向上と持続的成長の実現が欠かせません。マルハニチロでは、多様な人材が活躍できる風土を醸成したいと考えています。
エリア管理職の導入や1on1ミーティングの実施、等級・役職の見直しといった制度は、D&Iの実現において重要な施策だと位置づけています。
女性活躍推進も重要なテーマです。2030年に女性管理職比率を15%以上にすることを目標に、さまざまな取り組みを進めているところです。
(6)公平な福利厚生
社員一人ひとりの多様性とニーズに合うように、福利厚生制度を見直しました。
最も大きな変化は、社宅制度や住宅手当の廃止です。これまで、全ての福利厚生費用の8割が社宅制度や住宅手当に充てられていました。しかし、利用しない従業員もいます。全員が公平に恩恵を享受できていない状態が続いていたため、廃止に踏み切りました。そのかわり、社宅に住み続ける社員に対して緩和措置を適用したほか、原資を基本給に配分して全社的な給与のベースアップを図っています。
また、カフェテリアプランを導入し、それぞれのライフステージに合ったサービスを選択できるようにしました。
新人事制度の導入に向けて周知を徹底
新人事制度を導入する際、社内への周知・浸透について苦慮する企業は多いようです。マルハニチロでは、どのように広報したのでしょうか。
新人事制度の検討段階から、プロセスや考えを社内に発信するようにしていました。また、フィードバックを募り、社員の意見を可能な限り反映することで、一方的に制度を押し付けるのではなく、双方向なコミュニケーションになるように心がけました。
まずは新制度の方向性を固め、2021年3月にその内容を社内イントラネットで公開。社員から幅広く意見を募集しました。公開後の反響は大きく、社員約450人から、1700以上の意見が集まったほどです。並行して各部門長に意見を求め、それらも加味しながら、最終原案を作成していきました。そして、2021年8月に経営会議で原案が承認され、再び社内イントラネットで、人事による説明の動画も添えた資料を開示しました。このときは約250人から800弱の質問が届き、テーマによって集約し、約350の回答を公開しました。
かなり密に社員とコミュニケーションを取りながら、新人事制度を策定していったのですね。
実は、今回の新人事制度は運用開始の4~5年前から構想が立ち上がっていたのですが、コロナ禍によって一時導入を見送りました。人事制度は社員にとって大変に重要なことですので、改定するときは各拠点や現場に足を運び、対面で説明するべきだと考えていましたが、コロナ禍で難しくなってしまったからです。
「もう先延ばしはできない」と2022年4月に導入へ踏み切ったのですが、コロナ禍で移動への物理的な制約がある中でも、社員の納得感を得られるように段階を踏んで周知を進めました。
また、マルハニチロには労働組合があるため、組合への申し入れも必要でした。オンライン上で協議を4~5回ほど重ね、約半年ほどで合意しています。
新人事制度に対して、社員からはどのような反応がありましたか。
住宅手当、社宅制度の廃止については、多くの社員から反対意見がありました。緩和措置や転居・単身赴任の際の追加対応を設けたものの、社宅制度を利用している社員にとって新制度は負担が大きくなってしまいます。そうした戸惑いの声が多く聞こえました。
私たち人事には「全社員に対して公平性を担保したい」という思いがあります。意見交換と対話の機会が必要だと考え、コロナによる規制が少し緩和された時期に、全ての拠点で対面での質問会を実施しました。
説明を重ねるうち、社員から「新人事制度の目的がよく理解できた」「どのような考えのもと制度が変更されたのかがよくわかった」といった共感の声を聞くことが増えていったように思います。面と向かって発信すること、対話の場を設けることの大切さを実感しましたね。
ほかにも、周知や導入開始までのステップにおいて工夫した点はありますか。
各制度の導入にあたっては、事前にいくつかの部署で複数回に分けてテストを実施しました。
たとえば1on1ミーティングは、一部の部署でテスト運用を繰り返し、上司と部下それぞれからフィードバックをもらいながら、どのような成果が得られるかを検証しました。また、運用開始にあたっては、外部講師を迎え、上司と部下それぞれを対象として研修を実施しました。
新たな施策を全社に導入するとき、賛同を得られるまでに、ある程度の時間がかかります。たとえば、コロナ禍でリモートワークを導入した際は、さまざまな部署でテストとアンケートを繰り返し、現場の理解を得ていきました。
これらの取り組みは、成果がすぐに出るものばかりではありません。真摯(しんし)に、かつ根気強く現場の社員たちと向き合うことが何よりも重要だと思っています。まずはテスト的に新たな制度を導入して、各現場で小さな成果を感じてもらう。そして少しずつ成功事例をつくっていく。地道な積み重ねですが、それによって確かな変化が生まれるはずです。
運用開始から1年、社員の行動に変化も
2022年4月に新人事制度を導入してから、1年が経過しました。これまでの成果を、どのように評価していますか。
若手社員からは「今後のキャリアを前向きに考えられるようになった」「今までよりも意欲的に仕事に取り組めるようになった」など、ポジティブな意見をもらうことが多いですね。実際、少しずつ行動に変化が出てきたように感じます。
2023年4月に立ち上がった社内横断の新規事業開発プロジェクトは、事前に対象となる年次・等級の社員に向けてメンバーを募集したところ、予想を超える約40人から応募がありました。対象ではない社員からも「私も参加させてもらえませんか」といった問い合わせが多数あったほどです。
マルハニチロではこれまでも、いくつかの社内プロジェクトでメンバーを募っていたのですが、これほど多くの人が手を挙げてくれたのは初めてでした。応募を受け付ける際は、やりたいことや自己PRを書く欄を設けたのですが、どのコメントからも熱意伝わってきて、意欲の高さを感じましたね。
また、社内公募制度やFA制度の導入によって、2023年度は活発な部署間異動が行われました。社内で異なるキャリアを歩みたいと考える社員に、門戸を開けたのではないかと思います。
この1年間に実施したエンゲージメントサーベイやライン管理職向けの360度評価の結果を、部署ごとに可視化するようになったことも大きな成果の一つです。サーベイの結果を活用し、部署内の改善や新たな取り組みにつなげる管理職も増えました。今後は、各部署の事例を全社に展開し、ナレッジを広く共有したいと考えています。
今後の展望をお聞かせください。
この1年間で、社内の環境は確実に変化してきていると感じます。今後は、運用が始まった制度や施策をどのように拡充して継続させていくのかを考えていかなければなりません。
現場任せの運用にならないようにライン管理職向け研修の実施回数を増やしたり、1on1ミーティングが形骸化しないように定点的な意識調査を実施したりと、人事がサポートできることも多いはずです。また、今回の新人事制度は主に総合職・エリア職の社員を対象としていますが、工場に勤務する工場地域職の社員に対しても、人事制度の見直しを進めています。
中長期的な視点では、マルハニチロとしての確固たる人材戦略の策定を目指します。今回の新人事制度導入により、社員の働く環境を整えるというスタートラインに立ったと認識しています。近年、人的資本経営に注目が集まっているように、「企業は何よりも人にある」の精神に立ち返り、引き続き取り組みを進めていきます。