人事管理のリサーチ・プラクティス・ギャップ【第1回】
「よい人事管理」を実現する、実務家と研究者の協働を目指して
神戸大学 経済経営研究所 准教授
江夏 幾多郎氏

同じ人事管理という領域に対峙しているにもかかわらず、研究者と実務家の関心になぜギャップが生じるのか――。そんな問題意識から、『日本の人事部』と神戸大学 江夏幾多郎氏、同志社大学 田中秀樹氏、南山大学 余合淳氏が人事実務家を対象とした共同調査を実施。その結果から、日々の経験・関心・学びはどのように人事実務家の知見を育て、仕事に役立っているのか、実務家は研究にどう接すればいいのかを明らかにしていきます。
研究者から実務家への片思い?
私たち(※1)は、人事管理という実務について研究しています。実務家が何を考え、どういう試行錯誤や成功、失敗を経験しているのか。それらを観察し、その背景にあるもの、さらには「よい人事管理」について理論やデータを作り用いることで、科学的に説明しようとしています。
「よい人事管理」の形は一つではありません。実務家と研究者の間で考えは異なるでしょうし、人によってさまざまな考えがあるでしょう。だからこそ実務家と研究者にとっては、体験、理論、データ、さらには価値観などを動員し、「よい人事管理」について意見を交わすことが、それぞれの活動を全うすることにつながります。例えば実務家にとっては、そうした対話や討議を通じて磨かれた持論が、自社の人事管理をよりよいものにするための施策立案や運用支援、その中での経営者、管理者、従業員などとの調整や協働に活かされるでしょう。
異なる意見から学ぶことは容易ではないため、対話や討議は意見が多様であるほど、その効果が高まります。学ぶことによる持論の変化の大きさは、実務家と研究者の関係においても当てはまります。私たち研究者は、インタビュー、観察、アンケートなどを通じて、人事管理の実務から、既存の理論やデータにはない発見を得てきました。そして、研究活動を通じて得られた、実際の、あるいはあるべき人事管理についての見立てを、他の研究者のみならず実務家に対して、書籍、記事、講演、研修、ブログなどさまざまな媒体を通じて、発信しようとしてきました。
私たちの感覚として、研究者の考えや思いが、人事管理の実務家に伝わる部分と伝わらない部分があります。「行動変容が起きた」という確率は、「理解してくれた」という確率よりも、さらに低いでしょう。メッセージが伝わらなかった場合、伝え方が悪かったのか、伝える内容が悪かったのか、振り返りもします。
一方、実務家は、研究者の存在を「使えない理論」「現実感のないデータ」ばかりを生む別世界の人々と長らく見てきたかもしれません。もちろん、実務家の一部には、独学、研修、大学院への在籍などを通じて、研究者の一部から多くの学びを得てきた人もいるでしょう。しかし、研究から学びたいと思っていても、実際に学ぶ余裕がなかったり、学ぶに値すると思える素材がなかったりすれば、実際の学びにはなりません。
実務家と研究者の理解や関心のズレ、あるいは関係性の薄さが実際にあるのかどうかを体系的に検討した研究が、海外を中心に散見されます。ラインズらが2002年に刊行した論文(※2)によると、組織・仕事・人事に関する実証研究が示す35の知見についての実務家の理解度は60%を下回り、理解度の分散も大きなものでした。「理解しているが応用の仕方がわからない」という指摘も多く見られました。その後の研究でも、研究から実務への知識の還元が十分ではない傾向が指摘されています。
実務家にとっての関心事を研究者が十分に取り扱ってこなかったこと、研究成果を幅広い実務家に届けるための表現や配布がなされてこなかったことも、いくつかの研究によって指摘されています。この場合、実務家が自らの仕事に生かすために学術的な知識を求めたとしても、そもそもそのようなものは乏しい、ということになります。
このような、実務家と研究者の間での理解や関心のズレが、日本の人事管理という文脈でどのような形で存在してきたのか。現在はどうなのか。ズレを踏まえて、実務家と研究者はそれぞれ何ができるのか、どう関わり合えるのか。私たちは、そういった問いを持ちながら、2017年に研究プロジェクトをスタートしました。2024年には過去50年の実態を踏まえた中間総括的な書籍(※3)を刊行し、2025年の実態を論文にまとめようとしています。
学術的知識と実務的知識は統合されるべきか?
経営学の中では、「科学的な手順で生み出された理論やデータを知ることは、実務の改善に貢献する」という考えが、大なり小なり共有されています。極端なものは、学術的な知識は経験に根ざした実務家の知識の偏りを矯正あるいは代替する、というスタンスをとります。より控えめなものとしては、学術的知識は経験的知識を実務家自身が経験の中で磨くヒントになりうる、というものです。
私たちは後者の立場に立ちます。「今、ここ」を生きる実務家には、状況に即した知識を自ら磨き上げることが求められます。実務に有用な知識は、何らかの偏りを背負ってこそ成立するのです。法則性や一般性を重視しがちな学術的知識は、そうした状況ごと、利用者ごとの固有性を十分に配慮しません(※4)。学術的知識は、観察対象についての一般的傾向や理屈を知る上では有用ですが、そのものでは実務を前に進めることはできません。実務家によるアクティブで創造的な翻訳や変換、それにより促される経験的知識のアップデートを経て、間接的に実務に貢献できるのです。
実務家の偏りを排除しようとする、より正確には、排除しきれない偏りへの眼差しを失わせるような科学的知識の「使い道」には注意が必要です。もちろん、実効的ではない偏りは是正されるべきですが、偏りそのものをなくしてしまうと、現実から遊離した実務に陥ります。目の前の複雑で困難な状況を踏まえると、実務家が自らの偏りに自信を持てず、学術的知識を実務上の解としたくなる気持ちについては、わかる部分もあります。しかし、問題の定義と解決策の導出は自分でするしかなく、学術的知識はそのきっかけ以上でも以下でもないのです。
経験的知識は学術的知識と同じにはなれないし、なる必要もないなら、実務家と研究者はどのように関わればよいのでしょうか。この連載では、両者にとっての望ましい関わりについて、主に実務家に焦点を当てながら、私たちが今年行った実態調査の結果もひも解きつつ、アイデアを出していきます。
連載の構成
次回(第2回)から第4回までは、私たちが昨年刊行した書籍(※3を参照)に基づき、人事管理領域における実務家と研究者の関係についての「これまで」を紹介します。海外とりわけ米国と日本における著名な研究成果を事例に、研究者がどのように実務を理解・説明しようとしてきたかについて、簡単にレビューします。その上で、1971年から2020年という分析期間を置き、日本の研究者が生み出してきた研究成果、そして日本の実務家が触れてきた記事を事例に、実務家と研究者の関心の推移、そして二つの関心の間のズレについて検討します。ズレの歴史から実務家と研究者が学べることについて、私たちなりの意見を述べます。
第5回から第7回までは、『日本の人事部』を運営するHRビジョンと私たちが共同で行なった調査結果に基づき、今の日本の人事実務家が、人事管理の実務と研究についてどのような知識や関心を有しているかを紹介します。そして、そのような知識や関心がどのような背景の中で形成されるのか、仕事上の活動にどのような影響を与えているのかについても、統計的な分析に基づいて紹介します。
第8回では、上の調査の後に行われた、今の日本の人事研究者の、人事管理の実務と研究についての知識や関心、その背景と影響についての調査結果を紹介します。本稿が公開される時点では、この調査結果について分析を始めたばかりであり、実務家と研究者の比較から何が見えるかは、著者自身もまだ十分にわかっていません。分析結果をどのような形で紹介できるのか、楽しみな部分があります。
第9回では、それまでの連載の内容を総括し、人事管理という実務に関する、実務家と研究者の関係のあり方について、未来志向の提言を行うつもりです。
【脚注】
※1
本稿の執筆者である江夏の他、共同研究者であり、第2〜4回の執筆を担当する余合淳氏(南山大学)、第5〜7回の執筆を担当する田中秀樹氏(同志社大学)。
※2
Rynes, S. L., Colbert, A., & Brown, K. (2002). HR professionals’ beliefs about effective human resource practices: Correspondence between research and practice. Human Resource Management, 41(2), 149-174.
※3
江夏幾多郎・田中秀樹・余合淳 (2024)『人事管理のリサーチ・プラクティス・ギャップ―日本における関心の分化と架橋』有斐閣
※4
全ての学術的知識が法則性や一般性を志向するわけではなく、それらを明確に否定する学術的な立場もあります。
- 江夏 幾多郎氏
- 神戸大学 経済経営研究所 准教授
えなつ・いくたろう/一橋大学 商学部卒業後、同大学にて博士(商学)取得。名古屋大学大学院 経済学研究科 講師などを経て2019年より現職。専門は人的資源管理論、雇用システム論。主著に『人事管理のリサーチ・プラクティス・ギャップ』(有斐閣。2024年度日本経営学会賞(著書部門)受賞)、『人事評価の「曖昧」と「納得」』(NHK出版)など。
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