タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ【第72回】
今日から始めるキャリア・エンゲージメント
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
田中 研之輔さん

令和という新時代。かつてないほどに変化が求められる時代に、私たちはどこに向かって、いかに歩んでいけばいいのでしょうか。これからの<私>のキャリア形成と、人事という仕事で関わる<同僚たち>へのキャリア開発支援。このゼミでは、プロティアン・キャリア論をベースに、人生100年時代の「生き方と働き方」を戦略的にデザインしていきます。
キャリア形成で大切なことは、「これから何のために働くのか」「誰と、どのような価値を生み出していくのか」という問いに常に向き合っていくことです。これらは、過去の延長線上では答えきれない、未来に開かれた根源的な問いです。
今回のプロティアン・ゼミでは、第69回のゼミで取り上げたキャリア・エンゲージメントの理論をベースにしながら、私たち一人ひとりが今日からできる実践を具体的に五つ取り上げていきます。特に、ミドルシニアのキャリア形成に有効な実践に焦点をあてます。
一つひとつのワークは決して大げさなものではなく、むしろ日常にさりげなく溶け込む小さな行いです。しかし、それらを意識的に積み重ねていくことで、キャリアの主体性は確実に鍛えられていきます。そしてその先には、「どこで」「誰と」「どのように」働くのかを、自らの意志で選び取れる成熟したキャリアの風景が広がっていきます。
キャリアに対する関与とは、思索で終わるものではありません。小さな問いを立て、それを言葉にし、実際の行動に移すことが大切です。ときには対話を重ね、ときにはつまずき、そこから学び直す──その積み重ねこそがキャリアの再構築を可能にします。
「わかっている」を「やってみる」に昇華させること。それこそがキャリア・エンゲージメント・ワークの真髄です。抽象的な内省を具体的な実践へと変えていくこの一歩が、静かでありながら確かな変化をもたらします。これから紹介する五つのキャリア・エンゲージメント・ワークは、そのための羅針盤であり、私たちが行動を起こすきっかけになるはずです。
1. 学びの「相棒」を持つ
キャリア開発は孤独な闘いではありません。ミドルシニア期に入ると、これまでの経験が学びを遠ざけてしまうことがあります。肩書や年齢に守られた立場は、変化への挑戦を抑制し、内なる学習意欲を鈍らせてしまいます。そして、いざリスキリングやアップスキリングの必要性に気づいたとき、立ちはだかるのは外部の障壁ではなく、むしろ「孤独」と「自己不信」である場合が多いのです。
そのような状況でキャリア開発の出発点となるのは、「一緒に歩む誰か」の存在です。いわば、学びの「相棒」です。共に学ぶ関係は知識の交換にとどまらず、自己概念の再構築を促します。人は単に情報を得るのではなく、他者との関わりの中で学びを深めていきます。そのとき「学びの相棒」は、心理的安全性を支える存在として機能します。安心して試行錯誤ができ、失敗から学ぶことを後押ししてくれるのです。
たとえば、製造業で働く岡山さん(53歳)は、生成AIの学習に取り組む必要がありながら、最先端の技術習得に自信が持てませんでした。迷った末に20代の部下に「週に15分だけ、互いの学びを共有する時間を持とう」と声をかけたのです。この小さな取り組みはやがて部署全体に広がり、チーム内に学び合う文化が育ちました。新しい挑戦を前に「ひとりで頑張らなければ」と思い込む必要はありません。「一緒にやってみよう」と言ってくれる相棒の存在があれば、学びは動き出します。キャリア再構築の第一歩は、孤独な決意ではなく、共に学ぶ時間から始まるのです。
2. 他流試合に出る勇気
キャリアの停滞には共通点があります。それは「自分の世界だけで完結してしまっている」ことです。組織の中で中核人材と認められていても、組織の外で必ず通用するとは限りません。その現実を恐れて「内の世界」に閉じこもる人も少なくありません。
キャリアは常に“他者”との出会いによって進化してきました。異なる価値観や文化に触れる「越境学習」こそが、新しい学びのきっかけをもたらします。越境とは単なる環境移動ではなく、自己の枠組みを再編成する経験なのです。
物流企業のマネジャー、清水さん(51歳)は、若手中心の「スタートアップ勉強会」に飛び込む決断をしました。場違いに思いながらも参加し、そこで若い世代の柔軟さや貪欲さに触れ、自身のキャリア観を揺さぶられました。その経験が新しい事業への挑戦を後押しし、結果的に社内の新規部門に異動する転機となったのです。
越境には「勇気」と「謙虚さ」が必要です。経験や肩書を一時的に脱ぎ捨て、学習者として臨むことで、外の世界に受け入れられます。その一歩を踏み出したとき、人は「まだ変われる」と実感できるのです。キャリアの再構築のヒントは、むしろ自分が属していない場所にこそ眠っています。
3. キャリア日記をつける
キャリアの停滞を打破するために最も確実な方法は、「書くこと」です。内省はすべての学びの出発点であり、自己変容の積層をつくります。ただ、日常に追われるミドルシニアにとって、意識的に立ち止まり、自分を見つめ直す時間を持つことは容易ではありません。
そこで有効なのが「キャリア日記」です。たとえば、流通業で働く山田さん(52歳)は「1日1行キャリア日記」を始めました。ほんの些細な気づきを書き留めることで、自分の行動や価値観に新しい視点を得られるようになり、日々の仕事に変化が生まれました。
日記は形式にこだわる必要はありません。1行でも、週ごとの振り返りでも構いません。大切なのは「書く→読む→意味づける→試す」というサイクルを続けることです。こうして積み重ねた記録は、未来の自分を導く灯台になります。
今日からでも、1行書いてみましょう。「なぜ、あの言葉が気になったのか」「自分は何に反応したのか」。その小さな一行が、未来のあなたを支える力になるはずです。
4. 逆境体験を振り返る
キャリアにおいて価値を生むのは、順調な成功や昇進だけではありません。むしろ失敗や挫折、思うようにいかなかった経験こそが最も深い学びをもたらします。
たとえば、不動産営業の片岡さん(59歳)は、大きな案件の連続失注によって自信を失いました。しかし、その後に任された新卒研修の講師という役割を通じて、自らの過去の失敗に新しい意味を与えることができました。「あの時の失敗があったから今がある」と語れた瞬間、彼のキャリアは新たな角度から輝きを取り戻したのです。
逆境体験を「語れる過去」に変えることは、単なる回復ではなく自己再構築です。痛みを消し去ろうとするのではなく、それに意味を与え、未来の羅針盤へと変えていくことこそがキャリアの深化です。そして、それを他者と共有することで、学びはさらに豊かになります。
キャリアに刻まれた“傷跡”を無かったことにするのではなく、意味を宿すことで力に変わります。ミドルシニアにとって逆境の振り返りは、未来に進むための最も静かで力強い学びなのです。

5. 社内“実験プロジェクト”に手を挙げる
キャリア後半の挑戦においては、“役職”や“昇進”といった外的な動機だけでは心が動かない方が大勢いらっしゃいます。だからこそ、今いる場所で「自分にとって意味のある挑戦」を見つけることが、キャリアをいきいきとさせる生命線になるのです。組織内で小さな実験を試みる──それこそがミドルシニアにとっての「キャリアの起業」といえるでしょう。
製薬会社に勤める飯田さん(55歳)は、営業本部で10年以上安定した成果を上げてきました。しかし、「自分の成長が止まっているのではないか」という漠然とした不安を抱えていました。そんな折、社内で新規のデジタル啓発プロジェクトの立ち上げメンバー募集の案内が届きました。専門外の分野であり、成功の保証もない取り組みに「今さら自分が出ても……」という気持ちがよぎりましたが、飯田さんは直感的に「何かが変わるかもしれない」と感じ、思い切って手を挙げたのです。
最初は会議の内容についていくのも大変でした。しかし若手社員と一緒に企画を考える中で、「自分にはなかった視点」を素直に学び取るようになり、次第に「経験だけでは通用しないこと」に挑む楽しさを思い出しました。半年後、そのプロジェクトは社内表彰を受けるほどに成長しましたが、飯田さんにとって最大の収穫は「自分の中にまだ“伸び代”があると気づけたこと」だったのです。
このような“社内実験”は、大きな転機にならなくても自己概念を更新し、変化への柔軟性を育みます。特にミドルシニアにとっては、「まだできる」「まだ進める」という小さな心理的成功体験が、自己効力感を回復させ、未来を再び自分の手に取り戻すための鍵となります。
変化の起点は、社外ではなく“社内”にあることも多いのです。自分の影響範囲の中で小さな一石を投じることは、ミドルシニアが静かに始める“キャリアの冒険”であり、人生後半のキャリアを豊かにするための最も確かな手段になるのかもしれません。
このようにキャリアの歩みは、単なる職務経歴の積み重ねではなく、「自分は何者として生きたいのか」という根源的な問いに対する応答の連続です。プロティアン・キャリアが示すように、外部環境や肩書ではなく、内的価値観と自己成長を軸にキャリアを築く姿勢がこれからの時代に求められています。その実践を支えるのが、キャリア・エンゲージメントの具体的な行動です。
キャリアにおいて大切なのは、「もう遅い」と諦めることではなく、「まだできる」と自らに語りかけることです。これまでのキャリアがいかに豊かであれ、未来は常に書き換え可能であり、キャリアは完成形を目指すものではなく、進化し続ける未完のプロジェクト。だからこそ、静かな一歩がやがて大きな変化を呼び起こします。小さな問いを立て、行動へと移すこと。その積み重ねこそが、未来のキャリアを確かに動かしていくのです。

- 田中 研之輔氏
- 法政大学キャリアデザイン学部教授/一般社団法人プロティアン・キャリア協会 代表理事/明光キャリアアカデミー学長
たなか・けんのすけ/博士:社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門はキャリア論、組織論。UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員SPD 東京大学。社外取締役・社外顧問を31社歴任。個人投資家。著書27冊。『辞める研修辞めない研修–新人育成の組織エスノグラフィー』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』『ルポ不法移民』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』、訳書に『ボディ&ソウル』『ストリートのコード』など。ソフトバンクアカデミア外部一期生。専門社会調査士。『プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本論』、『ビジトレ−今日から始めるミドルシニアのキャリア開発』、『プロティアン教育』『新しいキャリアの見つけ方』、『今すぐ転職を考えてない人のためのキャリア戦略』など。日経ビジネス、日経STYLEほかメディア多数連載。プログラム開発・新規事業開発を得意とする。
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