タナケン教授の「プロティアン・キャリア」ゼミ【第71回】
プロティアン・キャリア論の深化
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
田中 研之輔さん

令和という新時代。かつてないほどに変化が求められる時代に、私たちはどこに向かって、いかに歩んでいけばいいのでしょうか。これからの<私>のキャリア形成と、人事という仕事で関わる<同僚たち>へのキャリア開発支援。このゼミでは、プロティアン・キャリア論をベースに、人生100年時代の「生き方と働き方」を戦略的にデザインしていきます。
プロティアン・ゼミも第71回を迎えました。これまでの道のりでは、プロティアン・キャリアを理論的支柱に据え、「キャリアオーナーシップ」や「キャリアエンゲージメント」といった個人の自律と組織の関係性の探究、「ライフプレナー」というミドルシニア期の生き方の再定義、さらには「カレイドスコープ・キャリア」や「越境学習」など、多様な視点からキャリア開発を考察してきました。
今日プロティアン・キャリアが注目されているのは、「キャリアのあり方」の変化に柔軟に対応する理論的体系であるからです。その核心部分は、変化の激しい社会において、キャリアを外部環境に依存するのではなく、自分の内なる価値観と意思を中心に構築するという点です。働き方の自由度が高まり、AIやDXの進展によって仕事の性質そのものが変化している今、プロティアン・キャリアの最前線をみていくことにしましょう。
PCO(プロティアン・キャリア志向)への深化と意義
前提として、「キャリアをどのように形成し、どのように生きていくのか」――この問いに明確な答えを持つことは容易ではありません。多くの人は、組織の方針や周囲の期待に沿って職務を遂行し、結果として自分のキャリアを「与えられたもの」と感じる傾向があります。こうした状況を受けて、プロティアン・キャリア論は、PCO(Protean Career Orientation:プロティアン・キャリア志向) という概念を進化させてきました。
PCOとは、プロティアン・キャリア理論を測定可能な形で定義したものであり、自己主導性(self-directedness)と価値志向性(value-driven attitude) の二次元によって構成されます。
自己主導性(self-directedness):
キャリアの意思決定を組織や外部環境に委ねるのではなく、自分自身で主体的に方向性を定める態度を指します。学習機会の探索やスキル開発、キャリア転機の選択を自ら進んで行う姿勢に表れます。
価値志向性(value-driven attitude):
昇進や報酬といった外的な指標ではなく、自分の価値観や信念を基準に「成功」を定義する態度を意味します。キャリアの充実感を「社会的意義」や「生活との調和」といった内的基準で測る傾向です。
PCOは、現代のキャリア研究において中心的な概念のひとつとして位置づけられています。その意義は単に「キャリアの捉え方を測定する枠組み」であることにとどまらず、教育、組織、そして社会のあり方にまで広がっています。その研究意義は、大きく次の四つにまとめることができます。
第一に、PCO研究がキャリアの主体を個人に移したことです。従来のキャリア研究は、組織内での昇進や報酬など「外的成功」を中心に据えてきました。しかしPCOは、キャリアの成功を「自分の価値観に基づいて定義する」ことを前提としています。これは、キャリアは外部から与えられるものではなく、内面から構築するプロセスであるとする視座を提供します。自己主導性と価値志向性という二軸を明確にしたことで、キャリア研究は「誰がキャリアを所有するのか」という根源的な問いに対する土台を整えたのです。
第二に、PCO研究がキャリア成果の多次元的理解を可能にする点です。近年の研究は、PCOが学習成果や教育的コミットメント(Kim et al., 2024)、キャリアの持続可能性(Hou et al., 2025)、さらにはAI時代のキャリア移行(Mullens & Shen, 2025)にまで影響を及ぼすことを明らかにしています。つまりPCOは、キャリアの「態度的変数」でありながら、教育学、組織行動論、人材開発、テクノロジー研究といった多領域を橋渡しする理論的基盤となり得るのです。
第三に、PCO研究はキャリア教育と人材開発に実践的な示唆を与えてくれます。教育の場においては、学生に対して「どの職業に就くか」だけでなく、「自分にとっての成功をどう定義するか」を問い直す機会を提供することができます。組織においても、PCOを支援するHR施策は、従業員の主体性を引き出し、結果として組織の活力やイノベーションを高める可能性があります。PCOは「離職リスクを高める態度」ではなく、長期的な組織コミットメントを生み出す契機なのです。
最後に、PCO研究の意義は不確実性の時代におけるキャリアの羅針盤を提供することにあります。テクノロジーの進展、社会構造の変化、ライフコースの多様化によって、従来のキャリアモデルは有効性を失いつつあります。その中で、PCOは「変化を受け止め、主体的に進路を選び取る姿勢」として、個人のキャリア形成を支える理論的・実践的支点となるのです。
PCO研究の意義は、キャリアを「組織のもの」から「個人のもの」へと転換し、その影響を教育・組織・社会に広げることで、未来の働き方と学び方の方向性を指し示す点にあります。単なる理論の一つではなく、私たち一人ひとりがキャリアの舵を自らの手に取り戻すための、実践的で学際的な知の資源であると考えられます。

社員のPCOをいかに高めていくか
では、組織はどのようにして社員のPCOを高めていくことができるのでしょうか?
第一に、キャリア対話の実施です。PCOは個人の内的な価値観に基づくため、それを顕在化させる機会がなければ、発揮されにくくなります。上司との1on1、キャリアカウンセリング、メンター制度などを通じて「あなたにとっての成功は何か」を言葉にできる環境を整えることが不可欠なのです。キャリアを語る機会を通じて、社員は自分の価値観を再認識し、自己主導性を強めていきます。
第二に、越境的な経験の推奨です。組織の枠を超えた学びや副業、プロジェクトへの参画は、自己主導的なキャリア構築に直結します。こうした経験は、外部の刺激を受けることで価値観を揺さぶり、社員に新しい意味づけを促します。結果として、自分のキャリアを「受け身」ではなく「選び取る」姿勢が強化されるのです。
第三に、個別化された学習支援です。一律的な研修は、最低限の効果しか持ちません。AIやラーニングプラットフォームを活用して、社員が自分のキャリア目標に沿って学習できる環境を提供することが求められます。ジェネレーティブAIによる学習パーソナライズは、PCOを後押しする有効な手段となるでしょう。たとえば、Mullens & Shen(2025)が提唱する「2ACT」フレームワークは、AIの活用がキャリア移行を促進するかどうかが、個人の姿勢に大きく依存することを示しました。PCOを備えた人材は、AIを単なる効率化の手段としてではなく、自分のスキルやキャリアを拡張するための資源として活用します。こうした態度は、AI時代におけるリスキリングを効果的に推進し、人材開発の成果を加速させる触媒となります。AIが人間の仕事を代替するのではなく、人間のキャリアを拡張するための道具として機能するためには、個人のPCOが不可欠な条件となるのです。
第四に、制度や評価における柔軟性の確保です。PCOは「自分にとって意味のあるキャリア」を追求する態度ですから、働き方や評価基準が画一的であれば、活かされにくくなります。副業の許可、働き方の選択肢の増加、評価における多元的な成功基準の導入など、社員の価値観に合わせた制度設計がPCOを伸ばす条件となります。
最後に、上司の姿勢や組織文化の醸成です。自己主導性は制度よりも日常的なマネジメントに左右される部分が大きいのです。上司が部下の主体的な選択を尊重し、挑戦を奨励する文化があれば、社員は安心してPCOを発揮できます。逆に、失敗を恐れさせる文化や一方向的な管理は、自己主導性と価値志向性を抑制してしまいます。
社員のPCOを支援することは単に個人のキャリア開発を助けるだけでなく、組織の学習力や適応力を高める取り組みでもあります。キャリア対話、越境経験、個別化された学習支援、柔軟な制度、そして文化的な支援。この五つを整えていくことが、社員のPCOを育み、個人と組織がともに持続的に成長するための道筋になるのです。
このような知見を総合すると、PCOと人材開発の最前線は「個人と組織の共鳴」というキーワードで表すことができます。言い換えれば、PCOは個人にとっては「キャリアの羅針盤」であり、組織にとっては「人材開発の触媒」なのです。
個人は自己主導性と価値志向性をもってキャリアを所有し、組織はそれを支援するための制度と文化を整える。この両者が相互に作用するとき、人材開発は単なるスキル訓練や研修提供の域を超え、持続可能なキャリア形成のエコシステムへと進化します。
自己主導性と価値志向性を備えた人材は、変化の時代にあっても学び続け、キャリアを持続させ、AIを味方につけながら未来を切り拓くことができます。人材開発の未来は、組織主導の一方向的な施策から、個人と組織が共鳴する双方向的な学びへとシフトしつつあります。その転換点において、PCOは理論的な裏付けと実践的な示唆を兼ね備えた知の資源として、今後ますますその価値を高めていくのです。
このようにプロティアン・キャリアとは、これからの社会を生き抜くための必須の生き方戦略です。AIや不確実性の中で生きる私たちにとって、キャリアの主体性と価値志向はますます重要性を増しています。「変化に適応するのではなく、変化を創り出す」──そのために必要なのは、まさにプロティアンな姿勢です。
【引用文献】
- Hou, Y., Lu, C., & Sun, J. (2025). Age-inclusive HR practices and sustainable careers: The mediating role of work–family enrichment and the moderating role of protean career orientation. Frontiers in Psychology, 16, 1564719. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2025.1564719
- Kim, H. J., Kim, J., & Lee, B. (2024). Mediating effects of meta-competencies in the relationship between protean career orientation and educational outcomes among Korean undergraduates. International Journal for Educational and Vocational Guidance, 24(3), 687–706. https://doi.org/10.1007/s10775-023-09584-0
- Mullens, J., & Shen, K. (2025, May). 2ACT: AI-Accentuated Career Transitions. arXiv Preprint. https://arxiv.org/abs/2505.07914

- 田中 研之輔氏
- 法政大学キャリアデザイン学部教授/一般社団法人プロティアン・キャリア協会 代表理事/明光キャリアアカデミー学長
たなか・けんのすけ/博士:社会学。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門はキャリア論、組織論。UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員SPD 東京大学。社外取締役・社外顧問を31社歴任。個人投資家。著書27冊。『辞める研修辞めない研修–新人育成の組織エスノグラフィー』『先生は教えてくれない就活のトリセツ』『ルポ不法移民』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』、訳書に『ボディ&ソウル』『ストリートのコード』など。ソフトバンクアカデミア外部一期生。専門社会調査士。『プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本論』、『ビジトレ−今日から始めるミドルシニアのキャリア開発』、『プロティアン教育』『新しいキャリアの見つけ方』、『今すぐ転職を考えてない人のためのキャリア戦略』など。日経ビジネス、日経STYLEほかメディア多数連載。プログラム開発・新規事業開発を得意とする。
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