田中潤の「酒場学習論」【第33回】
御成門「PINOKO」と、新卒採用担当者の思い
株式会社Jストリーム 執行役員 管理本部 人事部長
田中 潤さん
古今東西、人は酒場で育てられてきました。上司に悩み事を相談した場末の酒場、仕事を振り返りつつ一人で呑んだあのカウンター。あなたにもそんな記憶がありませんか。「酒場学習論」は、そんな酒場と人事に関する学びをつなぎます。
「隠れ家的な酒場」という言葉はよく聞きますが、この酒場ほど本当にしっかりと隠れている酒場も珍しいでしょう。大通りを曲がったところにある雑居ビルの階段を外からのぞくと、階段の踊り場にランタンの灯が見えます。これがこの酒場の目印です。ランタンに誘われて階段を上ると、次の踊り場にもまたランタンがあり、そこが「PINOKO」の入口です。ワインをこよなく愛するオーナーがひとりでまわすワインバーです。
コロナ禍の最中に、芝から現在の場所に移転したのですが、移転前は私の職場のすぐ近くでした。3年前に転職して、初めて芝という街で働くことになり、近隣の酒場を開拓する中で発見した大切な酒場です。当時は1階の郵便受けに店名の表示があり、今よりはまだ発見しやすかったのですが、それでも勇気を出して階段をあがって初訪した自分を褒めたいです。
ワインは常にお任せです。ほのぐらい店内にもいくつものランタンが置かれています。最初のアテには、いつもパンをいただきます。ビジネス人生を業務用小麦粉の営業から始めた私は、パンや麺をアテに飲むことがいまだに大好きです。
最近は週に1日しか出社していませんが、出社の日は飲み歩きの日でもあります。そんな飲み歩きの日のバターンとして、職場から1~2軒ほど立ち寄って歩いてここまで来る日がしばしばあります。ここに来るまでは、日本酒バーとビアバーで2杯ずつくらいいただいていることが多いですが、ほぼアテは取らずに来ます。ここでのアテと、ゆっくりと過ぎる時間を楽しみにしてお邪魔するのです。
ワインを愛するオーナーが、ワインに合う料理、そしておそらくご自身も好きなんだろうなと感じる料理を真摯につくってくださいます。一番よくオーダーするのは、レンズ豆の海に泳ぐ鴨のコンフィでしょうか。実に素敵です。私が個人経営の酒場が好きなのは、オーナーの思いで溢れている空間・世界に身を浸すことができるからです。この酒場も、とても思いに満ち満ちている愛すべき酒場です。
私は企業で雇われて働く立場なので、酒場のオーナーのように、自分の働く場を思い通りにデザインできるわけではありません。しかし、自分の所属する組織と仕事に、目一杯の思いを込めることはできます。そして、ずっとそれを続けてきました。これは私が働く原動力でもあります。
最初に入ったのが食品メーカーだったのが大きいかもしれません。最初の仕事は業務用の小麦粉の営業でした。小麦粉を原料として、さまざまな食品を製造する食品メーカーがお客さまです。自社に愛着を持ち、自社製品や自社のサービスに思いを持たなければなかなか成果をあげられない仕事でした。
小麦粉の主要銘柄についていえば、メーカーごとの商品差別性はさほどありません。そんな中で必要になったのは、お客さまに自社の小麦粉を使ってより良い製品を作っていただき、お客さまが売り上げを増やしていく仕組みに対して、素材メーカーとして貢献することです。会社の持つ経営資源と自分の発想を最大限に活かしていけば、やれることはたくさんあります。物売りの営業ではありません。そうやって仕事をしていると、自社だけでなく、顧客企業にもその製品にも愛着がわいてきます。さらには小麦粉製品のすべてに愛着がわいてきます。
次についた仕事は、人事部に異動しての新卒採用でした。29歳の時です。3年間、新卒採用を担当し、入社した社員の新入社員研修も一気通貫で担当しましたので、この3年間の新入社員に対する思いには相当なものがあります。
新卒採用担当は、自社の魅力をきちんと学生に伝え、自社が求め、そして自社に合う人材を確保することが役割です。2年ほどこの仕事を続けた頃、自分なりに新卒採用担当の定義を見直しました。新卒採用担当の究極の仕事は、「会社をもっともっと良い会社にすること」というのが新しい定義です。もっともっと良い会社になれば、新卒採用担当の仕事は飛躍的に楽になるはずです。だから、会社を良くするためにできることをするのは、新卒採用担当の大切な仕事なのだと思ったわけです。
小手先の採用戦術で学生を集めるだけでは、ちゃんとした仕事をしている感じが得られませんでした。そのためには二つのアプローチがあります。一つは文字通り会社を良くすることですが、もう一つはすでに会社がもっている良い点をさまざまな職場から探し出し、言語化して社内外に伝えることです。意外と、自社の良さには気づいていないものです。これが伝わることにより、結果的に会社はどんどん良くなるのです。このときの思いの延長上で、ずっと人事という仕事に対峙しているように思います。
オーナーの思いと個性が伝わってくる「PINOKO」のような酒場のカウンターで飲むとき、あらためて自分の仕事への思いについて考えます。良い酒場での一人飲みは、良いリフレクションになります。もっと頑張ろうとか、まだまだやりたいことや、やらなきゃいけないことがたくさんあるな、といった感じで、明日へのパワーをいただけるのです。
- 田中 潤
株式会社Jストリーム 執行役員管理本部人事部長
たなか・じゅん/1985年一橋大学社会学部出身。日清製粉株式会社で人事・営業の業務を経験した後、株式会社ぐるなびで約10年間人事責任者を務める。2019年7月から現職。『日本の人事部』にはサイト開設当初から登場。『日本の人事部』が主催するイベント「HRカンファレンス」や「HRコンソーシアム」への登壇、情報誌『日本の人事部LEADERS』への寄稿などを行っている。経営学習研究所(MALL)理事、慶応義塾大学キャリアラボ登録キャリアアドバイザー、キャリアカウンセリング協会gcdf養成講座トレーナー、キャリアデザイン学会代議員。にっぽんお好み焼き協会監事。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。