有賀 誠のHRシャウト!人事部長は“Rock & Roll”
【第15回】メンター&ロールモデル(その3)
株式会社日本M&Aセンター 常務執行役員 人材ファースト統括
有賀 誠さん
人事部長の悩みは尽きません。経営陣からの無理難題、多様化する労務トラブル、バラバラに進んでしまったグループの人事制度……。障壁(Rock)にぶち当たり、揺さぶられる(Roll)日々を生きているのです。しかし、人事部長が悩んでいるようでは、人事部さらには会社全体が元気をなくしてしまいます。常に明るく元気に突き進んでいくにはどうすればいいのか? さまざまな企業で人事の要職を務めてきた有賀誠氏が、日本の人事部長に立ちはだかる悩みを克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。
みんなで前を向いて進もう! 人事部長の毎日はRock & Roll だぜ!――有賀 誠
今回は、正直なところ「メンター&ロールモデル」というよりも、「憧れの人」という表現の方が実態に近いと言えるでしょう。その人はIBM時代の同僚で、添田智恵さんという方です。彼女は世界的なアスリートです。
試練と努力
添田さんは、もともとスノーボード競技が専門でした。ところが、競技中に転倒して大けがを負い、車いす生活となってしまいます。
リハビリ入院をしている最中に車いすバスケットボールの関係者からしつこく誘われ、あまり乗り気ではないまま「一度やってみてから断ろう」という程度の思いでトライしたそうです。しかし、持ち前の負けず嫌いの性格もあり、やがて本気でチャレンジするようになっていました。さらに何と、自らのスキルとパワーを高めるため、男子チームに交じってプレイをするようになりました。
添田さんは、やがて(一番大変なところを端折っているのではありますが)車いすバスケットボール女子日本代表チームのメンバーに選出されるに至ります。パラリンピックに何回も出場、ナショナル・チームのキャプテンも務めて、シドニー大会では銅メダルを獲得されました。
くどくどと説明をせずとも、それがどれだけ大変なことか、皆さんにもおわかりいただけることでしょう。人生の中における大きな試練、そこから心機一転して、新しい道を一歩ずつ進み、やがて世界の舞台に到達するということが。私は、これほどの試練を経験したことも、そこまでの高みに近づいたこともありません。
添田さんのことを考えると、これまでの自分の努力など、また自分の達成など、とるに足らないレベルだと思わざるをえないのです。そして、彼女から元気をもらうのです。「その程度のことでへこたれるな!」と。
憧れの人
添田さんに、私のチームでスピーチをしてもらったことがあるのですが、メダルのかかった試合よりも緊張したそうです。「私はしゃべるのが苦手だし、プレゼンなどやったことがない」と謙そんされていましたが、とんでもない! 社長の話より誰の話より、インパクトがありました。
本気の努力を積み上げ、結果を出してきた人物のパワー、オーラ、カリスマ。皆さんもご経験があるかもしれません。ビジネスでも、スポーツでも、芸術でも、「真の一流」「本物」に触れたこと、そしてそこから受ける衝撃を感じたことが。まさにあれです。私は彼女に惚れてしまいました。
添田さんはスピーチの中で、車いすバスケットボール女子チームの監督やコーチが男性健常者であることの難しさを説いていました。確かに、互いの理解という点において、距離は小さくないであろうと想像ができます。
私は、いつの日か、添田さん自身こそが指導者になってくれるのではないか、なるべきだと感じています。ただ、彼女は生涯現役プレイヤーを志向しているかもしれません。それならそれで、もちろん応援します!
添田さんに「有賀さん、私が車いすで表参道を散策していると、みんなにジロジロ見られるの。何か変なのかな」と聞かれたことがあります。私は即座に答えました。「違う、違う! それは添田さんが素敵だからだよ!」と。そう、彼女は傑出したアスリートであるだけではなく、純粋にとても素敵な女性なのです。私にとって、永遠の「憧れの人」です。
有賀誠の“Rock & Roll”な一言
小さなことでクヨクヨしてないかい?
歌って、踊って、前へ進もうぜ!
- 有賀 誠
- 株式会社日本M&Aセンター 常務執行役員 人材ファースト統括
(ありが・まこと)1981年、日本鋼管(現JFE)入社。製鉄所生産管理、米国事業、本社経営企画管理などに携わる。1997年、日本ゼネラル・モーターズに人事部マネージャーとして入社。部品部門であったデルファイの日本法人を立ち上げ、その後、日本デルファイ取締役副社長兼デルファイ/アジア・パシフィック人事本部長。2003年、ダイムラークライスラー傘下の三菱自動車にて常務執行役員人事本部長。グローバル人事制度の構築および次世代リーダー育成プログラムを手がける。2005年、ユニクロ執行役員(生産およびデザイン担当)を経て、2006年、エディー・バウアー・ジャパン代表取締役社長に就任。その後、人事分野の業務に戻ることを決意し、2009年より日本IBM人事部門理事、2010年より日本ヒューレット・パッカード取締役執行役員人事統括本部長、2016年よりミスミグループ本社統括執行役員人材開発センター長。会社の急成長の裏で遅れていた組織作り、特に社員の健康管理・勤怠管理体制を構築。2018年度には国内800人、グローバル3000人規模の採用を実現した。2019年、ライブハウスを経営する株式会社Doppoの会長に就任。2020年4月から現職。1981年、北海道大学法学部卒。1993年、ミシガン大学経営大学院(MBA)卒。
HR領域のオピニオンリーダーによる金言・名言。人事部に立ちはだかる悩みや課題を克服し、前進していくためのヒントを投げかけます。